<フィギュアスケート:全日本選手権>◇20日◇東京・代々木第一体育館◇男子フリーショートプログラム(SP)首位発進の鍵山…
<フィギュアスケート:全日本選手権>◇20日◇東京・代々木第一体育館◇男子フリー
ショートプログラム(SP)首位発進の鍵山優真(22=オリエンタルバイオ/中京大)が、連覇で26年ミラノ・コルティナ五輪代表に内定した。フリー2位の183・68点で合計287・95点。父正和コーチ(54)との大会初の父子2連覇で、銀メダルだった22年北京に続く五輪切符を手にした。男子3枠は、2位の佐藤駿(21)が決定的、3位の三浦佳生(20)が確実となった。代表は21日の大会後に発表される。ペアは「りくりゅう」こと三浦璃来(24)木原龍一(33)組が84・91点で首位に立った。
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鍵山が、号泣した。2連覇で五輪代表内定にも、自身へのふがいなさが募る。「弱いなって言う感情があふれた」。3回転半が空中でほどけて1回転に。4回転トーループも転倒した。後半の暗転。リンク脇の待機エリアでタオルに顔をうずめてその場から動けなかった。ただ、父の正和コーチが寄り添った。そっとさすられた。初めは右肩、次は頭、最後は背中。「みんな見てるぞ」。その声でハッとした。「ここはゴールじゃなくて通過点。残りの期間で全力でやり切って五輪では悔いのないように」。涙を拭って前を向いた。
競技を始めた5歳から、常に隣には導いてくれる人がいた。良い時も、悪い時も。大会後は結果にかかわらず、父との反省会が日課だった。合計270点台に沈んだ11月のGPシリーズ第6戦フィンランド大会後。信念が揺るぎかけた時、拠点とする中京大のリンクで「自分を信じないでどうする」と厳しく叱咤(しった)された。「自分を信じてあげないと自分に対して失礼」。平たんな道のりではなかったシニア2度目の五輪シーズン。92年、94年五輪出場の師が、そのたびに気づきをくれた。「父の言葉はすごく大きい。何度も何度も一緒に話し合って、本来の鍵山優真を取り戻していくための作業してきた」。教えをただ信じ、ともに夢へと向かってきた。
氷を降りれば、父と子だ。「すごくいい関係性で過ごしている」。今年4月下旬。父からの誘いで、かつての拠点、長野・軽井沢へ2泊でほぼ初めての2人旅に出た。満開に咲いた桜の木の下。「子供の顔に戻っていた」(正和コーチ)と満開の笑顔を並べた。リンク上で衝突し、口を聞かない時もある。それでも帰りの車内では自然と仲直り。あつれきは家庭には決して持ち込まず、あえて競技の話はしない気遣いがありがたかった。「うまく切り替えられている要因」。心の安定剤でもあった。
幼少期から二人三脚で歩いてきたからこそ、父が笑い、喜ぶ姿がうれしい。手厳しい一面は、愛情ゆえだとよくわかる。「滑っているのは自分1人だけど、自分のためだけではないということは意識してきた」。史上初の全日本父子2連覇、五輪切符獲得は通過点。来年2月。ミラノでは満足の演技で-。それが最高の親孝行だ。【勝部晃多】
◆全日本の父子優勝 66年から3連覇を達成した小塚嗣彦を父に持つ小塚崇彦が10年に制し、史上初めて達成した。鍵山は前回大会で初めて頂点に立ち、2組目の快挙。父の正和コーチは、91年から3連覇を果たしており、連覇した父子は史上初のケースとなった。
◆鍵山優真(かぎやま・ゆうま)2003年(平15)5月5日生まれ、横浜市出身。星槎国際高横浜を経て22年から中京大。5歳で競技を始め、19年全日本ジュニア優勝。20年ユース五輪金メダル。22年北京五輪で個人&団体銀メダル。24年4大陸優勝。同全日本優勝。世界選手権は銀メダル3個(21、22、24年)銅メダル1個(25年)。趣味は写真撮影。160センチ。血液型O。