日本代表の遠藤航主将(32)が発起人の留学支援プログラム「SEKAI NI WATARUプロジェクト」が、いよいよ動き始…

日本代表の遠藤航主将(32)が発起人の留学支援プログラム「SEKAI NI WATARUプロジェクト」が、いよいよ動き始めた。

6月から始まった応募者の選定が終わり、11月からプロジェクトが本格始動。遠藤航の弟で、同プログラムの代表理事を務める遠藤暁さん(30)がこのほど取材に応じ、自身の豊富な経験や、兄と始めた新事業への意気込みを語った。【取材・構成=佐藤成】

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きっかけは兄からの何げない連絡だった。昨冬に「こういう感じのプロジェクトを始めようと思ってるんだけど、よければ一緒にどう?」とメッセージが入った。当時、JICAスーダン事務所で働いていた暁さんはエジプトにいた。兄から協力を依頼されたのは、新たな留学支援プロジェクトに関するもの。7~12歳の子どもを対象に、約1年間の育成と最低数週間程度の海外留学機会を無償で提供する新規事業を一緒にやらないかという誘いだった。経緯をこう語る。

「(エジプトで)仕事が残っているので、まだ次の仕事とかはそんなに考えてなかった段階で、こういう話をくれた。で、ちょうど僕も30歳になる年だし、これまでJICA(国際協力機構)でやってきたこともあるし、これからやりたいこともあったけど、兄がこういう思いを持ってやってくれるというのは僕もうれしいですし、兄が影響力のある現役の選手のうちにこういう社会貢献活動をやるのはうれしいなと思ったので、一緒にやろうって話になったっていう感じです」

暁さんがプロジェクトの責任者を託されたのは、単に航が信頼する兄弟だからという理由だけではない。唯一無二とも言える20代前半からの豊富な国際経験があるからだ。初めて働いた国は南米のボリビア。まだ大学生の頃だった。

「福岡大学でサッカーをやっていましたが、プロになるのはちょっと難しいなと思った時に、大学がJICAと提携を結んで、大学生を海外に派遣するプロジェクトが始まったので、本当に興味本位で面白そうだなと思って行ってみたのがきっかけですね」

幼い頃からサッカーだけに打ち込んできたため、サッカー選手以外になりたい職業は特になかった。同大学のサッカー部では、大学4年のシーズンが始まる前に、最終学年でサッカーを続けるか、区切りを付けるか決めるという。「プロサッカー選手が難しいなら別にサッカーをやらなくてもいいかなという感じだったのと、他にやりたいこともなかったので、そのきっかけとして、1回海外に行くのはいいのかなと」。サッカーを辞める決断をし、3年の春休みに1カ月間、大学の制度を使って短期ボランティアに行った。

「日本とは全てが違うと言いますか、見るもの全てが新鮮で当然面白い部分もありましたし、逆に現実を見るというか、物乞いの人もいたりとかして、日本でもホームレスの方とかいますけど、やっぱりその母数が全然違うというか。だから、そういう意味でいろいろ考えさせられるきっかけにもなりました」

自身の進路がはっきりした。「大学卒業後は日本での就職じゃなくて、JICAの長期のボランティアとしてまた外に出たいなと決めました」。そうと決まるとすぐに行動に移した。南米圏で働くにはスペイン語が不可欠。大学4年の4月からスペイン・バルセロナで語学留学することにした。「大学の単位は取り終わっていたのですが、ゼミだけあったので先生に頼み込んで。『いいよ、行ってこい』と送り出してくれました」。2カ月間、語学の授業を受けて、その後に約2週間、実践を兼ねてスペイン中を旅した。

そこからは就職活動ではなくスペイン語の勉強をする日々。ボリビアで2年間の任期の長期ボランティアに従事するために備えた。4年の春休みには、卒業旅行代わりに別の大陸での短期ボランティアに申し込んだ。

「卒業したらまた2年間ボリビアに行くことを考えたら、1回ぐらい違うところに行っておこうかと思ってエチオピアに行きました。それはJICAの公募でエチオピアでサッカーを教える1カ月間の短期ボランティアがあったので応募して合格をもらい、やってきました」

初のアフリカ大陸では、また新たな経験を積んだ。自分が進むべき道がより鮮明になった。

「エチオピアはボリビア以上に感じるものがありましたね。難民キャンプに行ってサッカーをやる機会があって、いろいろ考えさせられるきっかけを与えてくれた国です。サッカーをする以前の問題もあるんだというところにまず気づいて。難民キャンプの子どもたちも一緒にボールを蹴るとすごく楽しそうにはするんですけど、難民として母国を追われた背景がある。サッカーで支援していくよりは、もっとその前の段階の基本的な支援をしてみたいなと思いました。ボリビアでの1カ月は、漠然と開発途上国を相手に仕事したいなと思ったくらいなんですけど、その中で何をやるかみたいなのは、自分の中ではまだ定まっていなかった。エチオピアに行って、難民支援とか人道支援をやりたいなと思い始めました」

大学卒業後、18年4月から2カ月間、JICAの国内施設で訓練を受けてから満を持して再びボリビアへ。現地のサッカースクールでコーチを務めた。当然通訳はなし。慣れない異国での生活は1カ月間の短期ボランティアとは比べものにならないほどタフだった。

「バイタリティーとか、生き抜く力は身についたかなというのはあります。僕が配属されたサッカースクールは、幼稚園児から20歳くらいまで、いろいろなカテゴリーがあって、その中の2つぐらいのカテゴリーを担当しました。練習メニューを組んだり、週末の試合を引率したり。日本のいちサッカーコーチをボリビアでやっていたみたいな感じです。サッカー選手としてではなかったですけど、好きでやってきたサッカーで、海外で仕事ができるのはすごくありがたかった」

コロナ禍により予定の任期より3カ月早い、20年3月に緊急帰国したが、1年9カ月間で得たものは大きかった。その経験をさらに形にするために、日本では語学習得に励んだ。

「難民とか緊急人道支援みたいなの仕事をするには修士号を取っていた方がアプライ(応募)する時もプラスになるということで、イギリスの大学院にいくために、1年くらい実家にこもって英語の勉強をひたすらやっていました。無事合格したので、21年7月からはJICAの国内機関で働き始めて、9月からオンラインで大学院の授業を並行して受けていました」

二足のわらじを履きながら、キャリアを積み、22年からは東アフリカのウガンダに渡る。在ウガンダ日本国大使館の募集を見つけ、働くことに。学生時代に訪れたエチオピアでの経験からアフリカで働きたい思いがあったのと、難民への関心から新天地を選んだ。

「ウガンダってアフリカの中で難民を一番受け入れている国なんですよ。紛争や内戦が絶えない南スーダンに国境が接していて、彼らが南に流れてくると、ウガンダの北部にたどり着くんですね。だから、ウガンダの北部地域いる難民ってほぼほぼ南スーダン人みたいな地域もあったりします。難民に寛容な国という風に言われているので、将来的に難民関連の仕事をしたいと思うと、そういう国に行って現状を見るのがいいんじゃないかなと思いました」

業務内容で難民に対して直接コミットすることはなかった。学校に教室棟を建てたり、病院に産婦人科棟を建てたりといった箱物作りのプロジェクトに携わることが多かった。それでも実際に難民の多い北部地域に足を運ぶことはあり、目に入るものから感じるものはあった。契約期間の23年3月まで働き、同年6月から、新たに採用されたJICAのスーダン事務所に勤めた。

「ウガンダでも契約更新はできたんですけど、JICAでまた働きたい思いと、スーダンに興味があったので応募したら合格をいただきました。ただ行く前にスーダンで内戦が始まってしまい、日本人が駐在できないので任期の2年間はエジプトにいました」

治安上の観点から、現地に足を踏み入れられたのは1度だけだった。戦闘エリアではない北東部の「ポートスーダン」という港町を訪れた。検問などはたくさんあったが、町自体は平穏そのもので、「本当に紛争をやっているのだろうか」と感じるほどだったという。

「エジプトにいながらだとどうしても遠隔でやらざるを得なかったので、スーダンのプロジェクト、事業を回すという意味では、もっと現場に見に行って、いろいろと自分で肌で感じてやりたかったんですけど、それができなかったのはちょっと残念でしたね。ただ事務所のスタッフとしてスーダン政府の方たちとやりとりするなど、大きなスケールで仕事をできたやりがいはありました」

スーダンの市井の人々と触れ合う機会は限られたが、大きなプロジェクトを進めたり、将来を考えた取り組みを実行したりするのは責任もあり、面白さを感じた。意図せず住んだエジプト・カイロも過ごしやすかった。エチオピアやウガンダで生活した身からすると、同じアフリカでもここまで栄えているのかと違いを実感。イスラム圏という異文化を知ったのも大きな経験となった。

2年の任期を終えると、長年の海外生活をいったん休止し、日本に帰国する決断をする。冒頭の兄からの誘いに応じるためだった。自身が諸外国で長く取り組んできた社会貢献について、兄と深く話したことはない。それでも兄が能登半島地震で被災した石川県サッカー協会に寄付したり、コロナ禍で地元の病院にマスクを送ったりする活動については知っていた。

「僕がJICAで働いていたのはもちろん兄は知っています。彼は要所要所で社会貢献活動をやっていましたが、今回こうやって長期的な形でもやりたいという風に思っていたのはすごく僕としてもうれしいです。その思いを実現するために一緒にできるのであればという感じでやることにしました」

プロジェクトでは、子どもたちが成長する上で重視する「7つの領域」を打ち出している。そのうちの1つに「社会」という柱がある。世界各国を渡り歩き、事情を知る暁さんにかかる期待は大きい。

「世界で起きている問題を知るとか、そういった部分も子どもたちにプログラムの中に組み込んで、海外に行く前に講義をすることなどはやっていきたいと思っています。世界には難民という人もいるんだよとか、JICAの取り組みは子ども保護者の方にも話してみたいです。世界に目を向けるような形の講義を個人的にこだわってやっていきたいなとは思います。まずは知ることからだと思うので」

現在は新プロジェクトに全力を尽くしているが、将来的には、国連機関で働くという夢を持っている。

「まずはこのプロジェクトをしっかり軌道に乗せて、長期的にやっていくつもりではいるので、こっちに軸を置くという感じです。ただ僕自身ずっと、WFP(ワールドフードプログラム)という人道支援に特化した国連機関で働いてみたいという思いはありますね」

夢はいったん、胸の奥にしまい、当面はSEKAI NI WATARUプロジェクトに全集中していく。