2000年5月に四国地区では初となる30,000人収容の球場として愛媛県松山市郊外に開設された松山中央公園野球場(愛称:…

2000年5月に四国地区では初となる30,000人収容の球場として愛媛県松山市郊外に開設された松山中央公園野球場(愛称:坊っちゃんスタジアム)。以来、地方球場では初となる3度(2002・2012・2022年)のプロ野球オールスターゲーム開催をはじめ、NPBや独立リーグ、学生野球から女子野球に至るまで様々な歴史を刻んできた同スタジアムの「松山市presents坊っちゃんスタジアム25周年記念イベント」が12月13日(土)に開催された。

実に4,300人の観衆が詰めかける大盛況の中で行われたイベントでは、午前中に「プレミアム講演会」として前・侍ジャパントップチーム監督の栗山 英樹・北海道日本ハムCBOが「未来の野球人たちへ」というテーマで登壇した。

 一度はグラウンド上のステージに立つも、すぐに「スタンドで話します」と一気に観客との距離を縮め話始めた栗山CBO。2012年のオールスターゲーム以来、13年ぶりに訪れた愛媛の地について「実はファイターズの監督になる前に松山商のグラウンドによく行っていました。というのも僕は中学時代バレーボール部だったんですが、硬式クラブチームの野球(小平ポニーズ)の道に戻してくれたのが、松山商で甲子園優勝を経験された方でした。小学校時代の僕を見てくれて探してくれたから縁を感じていたんです」という秘話からスタートした。

 加えて「テスト生としてヤクルトスワローズに入団した後、スイッチヒッターになるきっかけを与えてくれたのは巨人の西本 聖さん(松山商)でした。それは外角のボールコースから内角まで来るシュートを見た瞬間『このままでは僕の技術では打てない』と思ったから。監督だった時も巨人監督だった藤田 元司さん(西条)の『過程は大事。結果がすべて』という言葉を大事にしていた」と話した。続けて「愛媛との縁がなかったら僕はここにはいなかった。愛媛の野球から色々なことを得てきたので、ここにいることは何かを得るチャンスがある」と地元の球児たちを激励した。

 その後は前回2023年開催WBCの逸話へ。選手選考の話では「ダルビッシュ 有(東北)は、知識が豊富で選手たち誰もが話したいと言っていたので、どうしても招集したかった」と右腕の重要性を語れば、ラーズ・ヌートバー(MLBカージナルズ)の招集についても「1番迷った部分でした、あの年は誰もが始まると思ってなかった戦争が始まった(ウクライナ紛争)後で、その中でも外国の人も日本の人も同じ人で仲間であるという感覚を子どもたちにも持ってもらう代表が侍ジャパンという理由で決断した」と貴重な話を口にしていた。また終盤までの劣勢一方から逆転サヨナラ勝ちした準決勝・メキシコ戦についても「1回来るチャンスで判断を間違えないように」様々な想定を思い描き決断した8回表・山本 由伸(都城)の交代劇などについても指揮官ならではのエピソードを交え解き明かしてくれた。

 そして最後は「状況判断を決して間違えないのが凄い」と評する大谷 翔平(花巻東)について。日本ハム時代から口癖にしている「だいたい人の言うことを聞くとうまくいかないんですよ」「今じゃないんです」という2つの言葉を引用し「自分で感じて、自分でやり方を決めた方がうまくいきやすいし、一年後や数年後の目標に対して逆算して順番に積み上げていくことが大事。そんな選手が高校、大学、プロで活躍できることにつながりやすいですし、そんな選手たちの集まりでWBCを優勝したんです」とアドバイスを送った。約2時間近くのロングランにはなったプレミアム講演会だったが、子どもたちは終始目を輝かし、時にはノートをとりながら世界一監督の金言を全身で吸収していた。

 なお、プレミアム講演会の後には愛媛県高野連監督会主催による「プレミアム野球教室」も開催。約350名の小中学生に対し、各監督が惜しげもなく経験に基づいた技術を丁寧に教え込んでいる。