MLB中継解説者・武田一浩氏、WBCコーチを振り返る 輝かしい実績を誇った右腕は、記念球を2つしか持っていない。NHKの…

MLB中継解説者・武田一浩氏、WBCコーチを振り返る

 輝かしい実績を誇った右腕は、記念球を2つしか持っていない。NHKのMLB中継解説者として活躍中の野球評論家・武田一浩氏は、日本ハム、ダイエー、中日、巨人の4球団で計15年間プレー。最優秀救援投手と最多勝のタイトルを獲得するなど、NPB通算89勝31セーブを記録した。現役最終年となった2002年には史上3人目となる12球団勝利を達成。古傷である右膝痛が悪化し、同年限りで現役を引退した。

 記録やタイトルに無頓着なタイプである。巨人時代の2002年5月7日、中日戦の試合前にミーティングで原辰徳監督が「今日タケがドラゴンズに勝てば12球団勝利だから」とナインを鼓舞して初めて記録に気付いたという。「原さんの言葉で『えっ? そうなんだ』と思ったんです。僕は疎いというか(記録を)全然気にしてないんですよ」。

 6回4安打2失点で移籍後初勝利。これが節目の12球団勝利でもあった。前年に一度は引退を決意していた武田氏は「一度やめると決めた人間が投げている。失うものは何もない状況で投げたら、あれよあれよという間に勝っちゃった。『ああ、まだ勝てるんだ』と自分でもビックリしましたね」と振り返った。

 2005年に導入された交流戦開始後は達成者が増えたが、それ以前では武田氏が最後の12球団勝利投手である。記録にこだわりはないものの「僕は交流戦での12球団勝利は認めていないんです」。4球団で厳しい競争を生き残り、結果を残してきたプライドがにじむ。どんなタイトルよりも記憶に残る1勝。その勝利で手にしたボールが、現役時代で唯一手元に残る記念球でもある。

 もう1つは2006年の第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で手にした。開催の前年、侍ジャパンの指揮を執ることが決まっていたソフトバンク・王貞治監督から「来年、WBCってのがあるんだけど、武田くん、コーチをやってくれ」と電話がかかってきたという。当時は「WBCって何ですか?」という程度の感覚。ただ、ダイエー時代の恩師でもある王監督の依頼でもあり、侍ジャパンの投手コーチを快く引き受けた。

王監督からサイン入りボール、記された「武田コーチありがとう」

「最初に首脳陣が集まった時、(リストの中で)選べる選手と選べない選手がいて、難しい部分もありました。そんな中で、王さんが『こういうのは、みんなの運があれば勝てるよ。運がなかったら勝てないから』とおっしゃったのが凄く印象深い。そういうあっさりしたところが王さんらしいですよね」

 最終的に投手陣は松坂大輔、上原浩治、藤川球児らプロ野球界の一線級が顔をそろえ「みんな教えることがないので、そういう意味では大変でした」と回顧する。「ある程度、できている投手ばかりなので、言うことを聞かない。そりゃあそうでしょうね。僕が(日本代表に)選ばれていたとしても、そんなに話は聞かないです。そう思いながら、どうやって気持ちよくマウンドに送り込むかということを考えてやっていました」と苦笑いで当時を思い起こした。

 東京ドームでの第1ラウンドは2勝1敗。「日本での試合の時は満員になっていなかった。最初はそこまで盛り上がってる感じはなかったです。アメリカ行って試合している間に盛り上がった感じですね」。ちなみに、観客数は快勝した中国戦が1万5869人、チャイニーズ・タイペイ戦が3万1047人、2-3で敗れた韓国戦は4万353人だった。

 米国での第2ラウンドは米国に3-4でサヨナラ負け、メキシコには6-1も韓国に1-2と再び競り負けて1勝2敗。辛くも進んだ決勝ラウンドでは準決勝で韓国に6-0でリベンジを果たし、決勝はキューバを10-6で下した。

 苦闘の末に初代世界一をつかみ取り、武田氏は王監督に「サインをください」と頭を下げたという。「ボールにサインしてくれて『武田コーチありがとう』と書いてくれました。それは今も大事にとってあります」。ずっと色褪せない思い出。2人の関係性が伝わってくるエピソードである。(尾辻剛 / Go Otsuji)