東海大・駅伝戦記  第15回  全日本大学駅伝、東海大は4区の關颯人(せき はやと/2年)が区間5位とやや遅れ、トップを走る東洋大との差は1分以上も開き、後続の青学大とは7秒差にまで縮まった。これ以上離されると優勝に届かなくなる。 5区…

東海大・駅伝戦記  第15回

 

 全日本大学駅伝、東海大は4区の關颯人(せき はやと/2年)が区間5位とやや遅れ、トップを走る東洋大との差は1分以上も開き、後続の青学大とは7秒差にまで縮まった。これ以上離されると優勝に届かなくなる。

 5区には湊谷春紀(3年)が、当日の選手変更で入った。

 当初のエントリーでは中島怜利(2年)が5区のメンバーとして発表されたが、実は湊谷には5日前に5区を走ることが両角速(もろずみ・はやし)監督から伝えられていた。他にも出雲を快走した阪口竜平(2年)、松尾淳之介(2年)らがおり、もちろん中島も調子は悪くなかったので、「まさか自分が」と少し驚いたという。

 湊谷も夏から結果を出してきた選手だ。

 夏合宿は実業団の練習に参加し、走り込んだ。そして、10月1日の札幌マラソンで優勝。どんなレースにおいても勝つことを重視する両角監督の哲学から、この段階で湊谷の全日本起用は内定したと言える。全日本メンバー組で行なった2週間前のポイント練習は養護実習のために不参加だったが、翌日に、前日思うように走れなかった阪口とともにポイント練習をこなし、ここでメンバーに確定した。

 5区の湊谷はすぐに下田裕太(青学大)と越川堅太(神奈川大)に並ばれたが、慌てなかった。お互いに牽制し合い、様子を見ながら並走していく。

「粘ってついていくしかないと思っていました」

 すると6km地点で青学大のエース下田が遅れ出した。湊谷は快走する越川と並走し、前に行くチャンスをうかがう。

「相手は足に余裕があったけど、自分はキツかった」

 それでも襷(たすき)を握り締めて、拳に力を入れて走った。中継地点でトップの東洋大とは20秒差に縮まり、東海大は3位に上がった。青学大には43秒の差をつけていた。

 6区には、國行麗生(4年)が待っていた。國行は両角監督の評価が非常に高かった選手のひとりだ。

 夏の選抜合宿では4年生としてキャプテンの春日千速、川端千都(かずと)、小林和弥らとともにチームを引っ張った。明るい性格で後輩たちから慕われ、一方で練習中は後輩の背中を叩いて激励するなど、それまでになかった上級生らしい一面も見せるようになった。

 出雲駅伝からは漏れたが、出雲後の記録会で上々の走りを見せ、高島平ロードレース(20km)では5位に入るなど調子を維持。2週間前のポイント練習のラストの3000mではペース走をして先頭を走り、フリーで走るラスト1周ではエース鬼塚翔太(2年)についていった。西出仁明(のりあき)コーチからも「よくやったなぁ」と笑顔で誉められていた。

 そんな國行の努力を両角監督は高く評価していたのだ。

「レースは勝負事なので情は入れたくないのですが、國行はすごく頑張ってきた学生です。高島平までしっかりレースをこなしてきて、決して調子が悪いわけではないのに(全日本で)使ってもらえないと他の学生の頑張りにもつながっていかない。実際、調子がいいですし、昨年6区で2位になっているので、自信はあるんじゃないかと思います」



6区の國行麗生(左)は区間2位の走りで、トップで襷を渡した

 國行は、そんな期待通りの走りを見せてくれた。

 3.4km付近でトップの浅井峻雅(東洋大)、2位の安田共貴(神奈川大)をとらえたのだ。徐々に浅井が遅れ出し、國行と安田との勝負になった。

「並走して、力を溜めようと思っていました。お互い牽制し合ったんですが、自分がもっとリズムよくいけていれば……。そこで遅いリズムにハマってしまって」

 6区の監督車が停車したポイントでは、両角監督から『攻めるぞ』と声をかけられた。安田が給水をせぬまま走るなか、國行はしっかり給水を取り、冷静に走った。その時、國行は、もう1回仕掛ける最後のチャンスを狙っていた。それがラストの登りから下るポイントだった。

「ラストの登りでギアチェンジして、下りで一気に突き離そうと思ったんですが、意外と離れず、相手がついてきて……。結果的に1秒しか離せなかった。自分が10秒以上離すことができたら(次を走る)三上(嵩斗)も利用されずに走れたと思うし、そうしたらもっと差を開くことができたと思います。区間2位ではダメですね。区間賞は当たり前だと思っていたので、力不足です」

 しかし、國行の区間賞に迫る走りで東海大は息を吹き返した。昨年の箱根駅伝同様、後半区間で上級生がレースを立て直してきたのだ。

 東海大はトップ。2位の神奈川大との差はわずか1秒。3位青学大との差は、53秒となった。

 7区、三上嵩斗(3年)は、軽快に走っていた。いかに差をつけてアンカーの川端に襷を渡すか。それしか考えていなかったという。

「神奈川大にはアンカーに鈴木健吾さんがいたので、並んで渡すのは絶対に避けたい。何秒でもいいのでアドバンテージをつくって、川端さんにラクをさせてあげたいなって思っていました」

 三上はしばらく神奈川大に後ろにつかれた状態で走っていた。

 1km2分55秒ペースで追い風もあったので、背中を押してもらうように余裕をもって走れていた。仕掛けたのは6.8km付近の給水地点だった。給水を取ると少し気が緩みがちになる。三上は走りながら、そこを引き離すポイントに考えていたのだ。

「うまく実行できたけど、自分のペースもそんなに速くなかったので、ついてこられてしまった。できれば離れてほしいなって思ったんですけど、もう1度、どこかで切り替えないと差を広げられないと思っていました」

 三上には単純に全日本に勝ちたい気持ちとともに、東海大に対する見方を変えていきたいという思いも強かった。スピード駅伝と言われる出雲では優勝することができたが、東海大は長い距離に対応できないと言われ、全日本、箱根の優勝は厳しいという見方をする者もいた。

 スピードを重視して鍛え、そこから距離を積み重ねていくやり方は、距離を踏んでいく従来の強化とは一線を画すが、東海大はあえて独自カラーを打ち出した。それを認めさせるためには勝つしかない。

「今シーズンの持ちタイムを見ていると、自分らは長い距離に対応できていないと言われるほどじゃないですし、むしろしっかりと調整さえできれば20kmも走れるメンバーが揃っている。だから勝って、見返したい気持ちが強かった」

 三上はスパートをかけて、徐々に後ろを引き離していった。

 最後の直線は1秒でもタイム差を広げるために歯を食いしばって走った。目の前に川端の姿が見えてきた。もう1度、力を振り絞って走り、襷を渡した。

 東海大はトップ通過。2位神奈川大との差は17秒。しかし、両角監督の表情はトップ通過にも硬いままだった。

「(神奈川大の)鈴木くんの走りを考えると30秒以上は欲しかったな」

 8区、川端千都(4年)が三上から襷を受け取り、淡々と走り始めた。

 何としても勝ちたい――その思いはアンカーを走ることが決まった9月の紋別合宿から高いテンションのまま維持していた。6区を走り終えた國行からも電話をもらい、「絶対に優勝しような」と激励を受けた。川端は「任せておけ」と伝え、気持ちを高めた。

 レース序盤は苦しい展開だったが5区以降、上級生たちが盛り返し、國行の6区でトップに立つことができた。出雲で走ることができず、優勝しても気持ちが入らなかった川端にとっては、出雲の悔しさをぶつけ、自分の走りで優勝に貢献するチャンスだ。

 しかし、鈴木との17秒差は決してラクに走れるタイム差ではない。走る前、両角監督から電話があったという。

「追いつかれると思うが、背後に回って粘るしかないぞ」

 神奈川大の鈴木の実力は川端もよく理解している。そうなるだろうなと心の準備をして走っていた。

「追いつかれる展開は予想していました。そこからどこまで粘れるかっていうのが勝負だと思っていました。それが5kmぐらいかなって思っていたんですが……」

 鈴木は予想以上のハイペースで川端を追い、最初の1kmで4秒縮め、2.7km付近で追いついた。川端は「思ったよりも早く来たな」と思ったが、気持ちを切り替えて粘ってついていくことを考えた。しかし、3.6km地点で鈴木が前に出ると、そこからついていくことができなくなった。

 ここで決着がついてしまったのである。

「もっと粘っていいレースをしたかったんですが……。鈴木健吾選手とは力の差があったかなと思います」

 川端は痛む親指を我慢しながらゴールを目指した。思い描いていたガッツポーズはできなかった。

 東海大は5時間14分07秒で2位、トップの神奈川大とは1分18秒もの大差をつけられたのである。川端は目を真っ赤にしながらカメラの前に立ち、レースを振り返っていた。それを終えると、「すいませんでした」とポツリとつぶやいた。

 3、4年生の走りについて話が及ぶと、また涙がこぼれた。

「國行が先頭で戻ってきてくれて、三上からトップでもらえて、すごくうれしかったし、あいつらと襷をつなぐことができて、よかったなと思いました。特に國行はこの夏もずっと一緒にやってきて、チームを引っ張ってきてくれた。走る前に電話をもらったんですが、それを実現できなくて……ホント申し訳ないなと思っています」

 実は川端の足には異変が起きていたという。左右両方の親指にマメができて、途中からは自分の走りができなかったのだ。

「このままでは終われないです」

 悔しさを噛みしめて川端はそう言った。それは自分の走りで東海大を優勝させ、1年の時の走りを超えるため。そして、両角監督を男にするために、である。

 両角監督は待機場所で立ちながらレースの模様を携帯で見ていた。川端がゴールしたのを見終えると、戻ってきた選手をねぎらった。

──悔しい2位でした。ラスト17秒の差は少し足りなかった。

「そうですね。トップでもらった川端がどうやって優勝へ向かっていくのかなって思っていましたが、実際はタイム差が少なく、厳しいなって思っていました。並ばれるのが5kmぐらいなら、もうちょっとやれたかなと思いますけど、あの最初の登りをハイペースで行かれてしまうとキツかった。まぁ力の差が歴然としていましたね、アンカー対決は」

 最終的にはアンカー勝負になったが、レースプランは前半区間で前に出て、つなぎ区間で差を広げていく展開だった。そのための選手配置だったわけだが、今回は出雲のようにうまくハマらなかった。

「選手の区間配置は問題なかったと思いますが、ミスのなかった神奈川大、何カ所かミスが出たのが東海大、そのミスの差で負けてしまったと思います。うちのミスは、1区の出遅れと4区ですね。鬼塚と關がわずかの差ではなく、タイム的に大きく遅れている。鬼塚も關も跳ねるようなスピード走行なので、駅伝のようなアップ&ダウンのロードや強風とかの気象条件に対する強さが若干足りないかなと思いました。

 あと、5、6、7区の後半区間はよく走りましたが、終わってみると区間賞ゼロ。どこで並んで、どういうふうに突き離していくのか。その課題が出ましたし、アンカー勝負を考えた時、國行、三上は差を広げないといけないという焦りがあったんだと思います。それでももっとやれたかなと思いますので、残念です」

 両角監督は、全日本を勝つために塩澤稀夕(きせき/1年)を2区に起用するという勝負に出た。彼の前後を固める選手の力が計算できたからこその賭けだったが、結局はトータルの勝負で負けてしまった。

 駅伝とは、そういうものなのだ。

 今回、東海大、青学大の2強の間に神奈川大が入ってきた。両角監督は箱根駅伝を迎えるにあたって、神奈川大以外にも前半区間で健闘した東洋大、駒澤大ら駅伝強豪校を警戒する。

「次は箱根になるわけですが、本当にどこが勝ってもおかしくない状況になってきました。箱根では少しでもミスすると負けてしまうでしょう。神奈川大の鈴木くんのようなエースがいるチームは心強いだろうし、非常に強敵ですね」

 両角監督は厳しい表情でそう言った。

 大学駅伝界は、新しい戦国時代に突入した。箱根はひとつのミスも許されない極めてシリアスな戦いになっていくだろう。

 そして、チームでは箱根に向けて、また熾烈なレギュラー争いが始まった。

(つづく)

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