全日本大学準硬式野球連盟は21日、甲子園球場を使って、第4回全日本大学準硬式野球東西対抗日本一決定戦甲子園大会(以下、甲…

全日本大学準硬式野球連盟は21日、甲子園球場を使って、第4回全日本大学準硬式野球東西対抗日本一決定戦甲子園大会(以下、甲子園大会)を開催する。厳しい選考基準を突破して選ばれた選手たちが、夢舞台で躍動する。

 「野球人生最後のマウンドになると思うので、とにかくバッターとの勝負を楽しみたいです」

 今回、西日本選抜の一員になった西川稜劍はマウンドに上がる瞬間を心待ちにしているようだった。

 最速141キロを誇るストレートに、得意球だという大きく曲がるカーブを駆使して、今回の選出。甲子園の舞台に立つチャンスを手に入れた。野球人生の最後を飾るにふさわしい舞台だが、実は「ここ2、3年は甲子園を見ることが出来なかった」と明かす。

 「ケガをする前、当時中学生だった頃は、周りの指導者から『頑張ればプロに行ける』と言われることもありました。なので、甲子園は通過点だと思っていました。でも入学した4月にケガをしてからは、甲子園で活躍する選手たちの姿、試合が見られなくなりました。それくらい避け続けていました」

 中学時代は軟式野球だったが、最速135キロほど。周りから注目されるには、十分な実力を持っていた。そんな西川は高校で、宮崎の鵬翔へ進学。プロ野球を目指して硬式野球をスタートさせた矢先、転機が訪れた。

 「肘部管症候群というケガをしてしまい、薬指と小指はいまだにしびれがありますし、肘とかに痛みが出ました。まだ身長172センチ、62キロと細身だったので、おそらく出力に対して、肉体が追い付かなかったので、ケガをしてしまいました」

 完治はしておらず、指にはしびれが残っている状態。その状態でも投げようとすると、今度は肩への負担がかかる。高校野球の最後のあたりは「痛み止めを飲んで投げていた」と誤魔化しながら、マウンドに立ち続けた。

 しかし、最後の夏は背番号10。西川はマウンドではなく、コーチャーズボックスに立ってチームに貢献。しかし初戦で富島に敗れ、高校野球は終わりを迎えた。

 この苦い経験を通じて、「野球が嫌いになった」という西川は、愛媛大に進学してから2年ほど野球から距離を置いていた。そんな西川を野球界に呼び戻したのが、甲子園だった。

 「友人から『手助けしてほしい』と言われて、甲子園大会の様子を見させてもらいました。正直レベルは知りませんでしたが、みんな上手くて、140キロの速球をどんどん投げる。硬式だとレベルが高いですが、準硬式なら硬式に近い環境で野球が出来る。それを感じたので、準硬式に挑戦することを決めました」

 抱えているケガが再発しないように、トレーナーの指導を受けながらフォームを修正。肩や肘に負担がかからないフォームを目指して、成長をし続けてきた。その結果が今回の甲子園に繋がった。

 「甲子園に立つことを想像して練習をしていたので、当時はテレビに映った選手たちが羨ましくて、2、3年は見ることが出来ませんでした。けど、準硬式で甲子園に行けることがわかったときは嬉しかったし、出場することが目標になりました。準硬式を選んでよかったです」

 体への負担が少ないことも準硬式の魅力となっている。西川のように高校時代にケガをした選手でも、準硬式で活躍することが多い。いま、ケガで悩んでいる球児にとって、西川の活躍はきっと響くはずだ。

 西川自身がそうだったように、今度は自分が活躍して、画面越しに甲子園大会を見る後輩たちに勇気を与えてほしい。