勝てば官軍。この言葉を、サッカーの試合に当てはめてもよいものか。日本サッカーは現在、岐路に立たされている。サッカージャ…
勝てば官軍。この言葉を、サッカーの試合に当てはめてもよいものか。日本サッカーは現在、岐路に立たされている。サッカージャーナリスト後藤健生が延長戦を含めて120分の激戦となった今年の天皇杯準決勝と、その周辺から日本のサッカー界の「危機」に警鐘を鳴らす!
■ミス連発の5対4よりも「0対0」
サッカーという競技は、もともと点が入りにくいスポーツだ。イタリアでは「両チームが完璧な試合をしたら、結果は0対0になる」と言われているくらいである。
なぜ、サッカーでは点が入りにくいのか? 兄弟スポーツであるラグビーと比べてみよう。ラグビーは前方へのパスを使わずにボールを前に進める競技である。そして、前に前にと進んでいってゴールラインを越えてボールをタッチダウンすれば「トライ」が成立して得点(5点)が入る。前に出るだけでいいのである。
だが、サッカーではボールを前に進めるだけでは点にならない。相手ゴール近くまでボールを運んだうえで、手が使えるGKに加えて複数のDFが守るゴールの枠にボールを入れるという、「前に運ぶ」とは異質な作業を成功させなければいけないのだ。サッカーのゴールの「枠」はクロスバーの下だから、相手が立っているだけでシュートはブロックされてしまう。
閑話休題。
僕は守備的な試合や0対0の試合はけっして嫌いではない。両チームの守備陣がミスを連発して5対4になるような試合よりも、0対0のほうがよほど締まった内容の試合だと思う。
ちなみに、野球を見るときも、僕は「乱打戦」よりも「投手戦」のほうが好きだ。たとえば、ワールドシリーズ第2戦のドジャース山本由伸とケビン・ガウスマンの投げ合いのような……。
これは、もちろん「人の好みの問題」だ。
だが、僕が好きなのは両チームが積極的に攻め合って、それを守備陣やGKが頑張って失点を阻止する、そんな試合である。
■無理せずに攻めて「守り合う」試合
最近だったら9月23日のJ1リーグ第31節の柏レイソル対サンフレッチェ広島の試合だ(三協フロンテア柏スタジアム)。両チームが激しい攻撃を繰り返し、柏が10本、広島が17本のシュートを放ったが、守備陣が奮闘して得点を許さずスコアレスドローに終わった。
広島のミヒャエル・スキッベ監督は開口一番「Jリーグの中でもトップのゲーム」と自賛したが、僕もまったく同感だった。
だが、FC町田ゼルビアとFC東京の天皇杯準決勝は、ともに慎重さが先に立って決定機らしい決定機がほとんど生まれないまま90分が経過した。公式記録によれば、90分までのシュート数は町田が7本、FC東京が6本だった。どちらも10本に届いていない。
チャンスが生まれかけて、「そこだ、前線に縦パスを差せ!」と思った瞬間に、慎重な両チームの選手たちはバックパスを選択して、熱くなれるようなシーンが生まれないのだ。
「互いが激しく攻め合って、懸命に守り合う」そんな試合を期待したいのに、目の前で展開されているのは「慎重に、無理せずに攻めて、懸命に守り合う」そんな試合だった。いや、「懸命に」守る必要がほとんどないような時間も長かった。
前にも述べたように、勝つために守備的な戦いを選択することも必要だというのは理解できる。
だが、試合は「勝てばいい」ものなのだろうか?
■「フットボールはパッションだ」
南米諸国でよく言われる言葉に「フットボールはパッションだ」というのがある。
気持ちを抑制的に戦うラグビーと違って、アソシエーション式フットボール(サッカー)は発散的なスポーツだ。気持ちを前面に出して戦う楽しみ。これがなくては、フットボールではない。そして、「攻める」ことこそがパッションにつながるはずだ。
いや、優れたDFなら守備に魅力を感じるだろうし、好守で相手の決定機を阻止したGKは血が沸き上がるような快感を感じることだろう。
だが、DFやGKが守備でパッションを感じるためには、相手の強力な攻撃がなくてはならない。素晴らしい攻撃を体を張って阻止し、攻撃側のトリックを読み勝って阻止するからこそ、守備の選手たちは快感を感じることができるのだ。相手の攻撃が強ければ強いほどパッションの熱は上がる。
観客はそんな選手たちのパッションを感じ取って自らの感情を高揚させる。そのために、彼らは暑いときも、寒いときも、雨の中でも高額の入場料を払ってスタンドに詰めかける。