世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ【第38回】パオロ・マルディーニ(イタリア) サッカーシーンには突如として、た…
世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第38回】パオロ・マルディーニ(イタリア)
サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。世界を魅了した古今東西のフットボール・ヒーローたちを、『ワールドサッカーダイジェスト』初代編集長の粕谷秀樹氏が紹介する。
第38回は、1980年代後半からのミラン黄金時代に欠かせぬ存在だった名DFパオロ・マルディーニを紹介したい。彼のディフェンスは誰よりも美しく、芸術性に満ちていた。まさに「DFのファンタジスタ」。その完全無欠のプレーぶりには、セリエAの歴代得点王たちも脱帽した。
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パオロ・マルディーニ/1968年6月26日生まれ、イタリア・ミラノ出身
photo by AFLO
今も昔も、DFに求められる要素は基本的に変わっていない。
肉体を削り合うような激しいフィジカルコンタクトに打ち克つ強靭な体格、マンマークの技術、戦況に応じた戦術理解、押し込まれる展開でも難なく跳ね返す精神力......近ごろは俊敏性と精度の高いフィードが加わった。
そのすべてを持ち合わせていたのが、パオロ・マルディーニである。
1989年だったと記憶している。取材でミランの練習場を訪れた。フランク・ライカールト、マルコ・ファン・バステン、ルート・フリットの「オランダトリオ」の存在感が際立つなかで、ひとりの若者に筆者は引き寄せられた。
何から何まで自然体だ。大物の前でも緊張せず、気負ってもいない。むしろ楽しそうにも映った。強度の高い1対1でファン・バステンを抑え、ライカールトやフリットからボールを奪って嬉々としている。まだ21歳のマルディーニは、キラキラと輝いていた。
「世界最高の左サイドバックになる。間違いない」
アリゴ・サッキ監督(当時)も絶賛していた。
【正確無比のクロスは練習の賜物】
1980年代後期のイタリアは、守備に重きを置いていた。失点を抑える手法は高度かつ狡猾、時に乱暴で、ジュゼッペ・ベルゴミ、ピエトロ・ヴィエルコウッドといったストッパー型が高く評価されていた時代である。
この流れに、サッキは楔(くさび)を打った。
右からマウロ・タソッティ、アレッサンドロ・コスタクルタ、フランコ・バレージ、マルディーニが並ぶ4バックは、ストッパー型よりも柔軟だった。ゲーム展開に応じて強くは寄せず、味方のフォローを待つ。バレージの号令により、一気にラインを上げる。統制に優れるDF陣だった。
なかでも異彩を放っていたのが、マルディーニである。守備対応はもちろん、大きなストライドで左サイドを駆け上がり、左足から正確なクロスを上げる。彼の攻撃参加はミランの強みでもあった。
このクロスは練習の賜物だ。元来は右利きだが、元イタリア代表DFでもある実父チェーザレの「両足で正確に蹴れる選手はいないぞ」のアドバイスに従い、ミランの下部組織に加入した1978年から左足のキックに磨きをかけていたという。
「技術、戦術、フィジカル、パーソナリティ、リーダーシップなど、どれをとっても傑出していた。彼にまさるDFは現れないだろう」
ミランで同じ釜の飯を食い、現在はブラジル代表監督を務めるカルロ・アンチェロッティも、マルディーニを高く評価するひとりだ。ミランのような強烈すぎるエゴの集合体をまとめられたのは、天性のリーダーシップによるものだろう。
おそらくアンチェロッティは、間近でマルディーニのメンタルタフネスと存在感に身震いしたのだ。まさしく「イル・カピターノ(ザ・キャプテン)」である。
技術と戦術、フィジカルのすごさは、マルディーニと同じ時代にセリエAを戦った歴代得点王のコメントにも表れている。
「ボールだけ正確に奪い取っていく。しかも強烈に」(ガブリエル・バティストゥータ)
「いつの間にか彼の間合いに引き込まれていた」(ジャンルカ・ヴィアッリ)
「1対1も空中戦の競り合いも、ほかのDFとはひと味もふた味も違った」(エルナン・クレスポ)
【ファーガソンの勧誘はしつこかった】
マルディーニのスライディングタックルに「削ってやる」といった邪心は一切ない。ボールを確実にヒットするだけで、乱発しない。
彼らの時代のDFは、「スライディングタックルは最終手段」の教えが染みこんでいた。(1)半身で構える(2)つま先立ち(3)相手とボールを同時に見る(4)誘導したい方向に身体を向ける(5)イニシアチブを握るためのフェイント(6)マーカーとの距離は1メートル以内に保つ──。この「6大原則」に則って堅守を実行していた。
そしてマルディーニは、誰よりも高度に、美しく、芸術的に守備のスキルをこなしていた。通常、攻撃側の選手に用いられる「ファンタジスタ」という表現が、DFでも当てはまる稀有な存在といって差し支えない。
特異な得点感覚を持つロナウドはインテル時代に「フェノーメノ(怪物・超常現象)」と恐れられたが、守りが研ぎ澄まされていたマルディーニも同様にモンスターだった。完全無欠のDFである。
それにしても、マルディーニほどの選手がレアル・マドリードやプレミアリーグのビッグクラブに狙われなかったのだろうか。移籍に関しては、信憑性が乏しすぎるゴシップすら流れてこなかった。しかし、実父チェーザレは次のように明かしている。
「マンチェスター・ユナイテッドがコンタクトしてきた。アレックス・ファーガソンが私に連絡してきたんだ。あなたの息子をウチでプレーさせる気はないかってね。もちろん、その場で断ったよ。パオロはミランの宝だったからね。ただ、しつこかった。本気だったのかもしれないな」
オールド・トラッフォードの左サイドを疾走するマルディーニ! 想像しただけでドキドキする。ライアン・ギグスの背後でプレーする姿が見たかった。ユニフォームの色合いはミラン同様「ロッソネーリ(イタリア語で赤と黒)」だ。マンチェスター・Uが提示した移籍金はいくらだったのだろうか。
【レッドカードはわずかに3枚】
キャリアの晩年、左サイドバックからセンターバックに移したあとも、マルディーニは美しく、存在感が薄れることはなかった。加齢によるスピードの衰えには抗(あらが)えなかったが、熟練の守備技術はそのハンデを補って余りあるものだった。
しかも左足で、右足で正確なフィードを操り、攻撃の起点にもなっていた。21世紀のCBは是が非でも手本にしなければならない。
スピードとフィジカルでマルディーニをしのぐ選手は、たしかに現在にも存在する。しかし、組織としてなら守れるが、個の技術では往年の名手が上まわっている。
マルディーニの時代と2025年の今日ではフットボールが違うとはいえ、屈強のストライカーを美しさで打ち砕く者が現れれば、DFの概念はガラリと変わる。力づくが過ぎる21世紀のフットボールは少々味気なくはないだろうか。
マルディーニはセリエAを7回も優勝し、チャンピオンズリーグは5回も制している。さらにミラン史上最多となる902試合に出場し、レッドカードはわずかに3枚。
彼は美しく、強靭、スピーディ、なおかつ極上のフェアプレー精神にあふれる芸術的なタレントだった。史上最高のDFが背負っていた3番は、ミランの永久欠番になっている。