西部謙司が考察 サッカースターのセオリー 第73回 ジュリアーノ・シメオネ&マルコス・ジョレンテ 日々進化する現代サッカ…

西部謙司が考察 サッカースターのセオリー 
第73回 ジュリアーノ・シメオネ&マルコス・ジョレンテ

 日々進化する現代サッカーの厳しさのなかで、トップクラスの選手たちはどのように生き抜いているのか。サッカー戦術、プレー分析の第一人者、ライターの西部謙司氏が考察します。

 アトレティコ・マドリードの右サイドに注目。ジュリアーノ・シメオネとマルコス・ジョレンテは共に父親がプロサッカー選手。親子でプロはたくさんいますが、そうした選手たちが同じチームでコンビを組むのは珍しいケースだといいます。


アトレティコ・マドリードのジュリアーノ・シメオネ(左)とマルコス・ジョレンテ(右)

 photo by Getty Images

【華麗なるスポーツ一家、マルコス・ジョレンテ】

 アトレティコ・マドリードの右サイドは二頭立てサラブレッド仕様になっている。

 ディフェンスラインは4バックだが、引いてローブロックになると5バックに変わる。プラス1は右サイドハーフのジュリアーノ・シメオネだ。右サイドバック(SB)のマルコス・ジョレンテが中へ移動し、右外へMFが引いてくる。

 右のふたりはいろいろと似ている。どちらも俊足、運動量がすごく多い。FW、MF、DFとすべてこなす。守備時のコンビは攻撃でも効いていて、ジュリアーノが強烈なスピードとエネルギーで駆け上がるだけでなく、さらにマルコスも加わる。槍が2本あって交互につき出してくるから、相手には堪ったものではない。

 速くてパワーがあって技巧的にも優れたふたりは、血筋もサラブレッドだ。

 マルコス・ジョレンテの父親はパコ・ジョレンテ。レアル・マドリードで活躍したFWだが、さらに大叔父は伝説的な左ウイング、フランシスコ・ヘントなのだ。マルコスの時速35キロというスピードは父親からの遺伝だろうし、さらに「世界最速」と言われた大叔父から受け継いだものと思われる。

 大叔父ヘントは1950~60年代のレアル・マドリード黄金時代にアルフレード・ディ・ステファノと名コンビを組んだ偉大な選手だが、マルコス・ジョレンテの親戚は実はスポーツ選手だらけである。

 祖父もレアル・マドリードのレジェンドであるラモン・グロッソ。ディ・ステファノの後継者としてチャンピオンズカップ優勝に貢献した名手だ。父親の兄弟はふたりがプロサッカー選手、ふたりがプロバスケットボール選手。いずれもレアル・マドリードでプレーしていて、マルコスもレアル・マドリードのユースを経てトップに昇格。2019年からアトレティコ・マドリードでプレーしている。

【親子鷹のシメオネ父子】

 ジュリアーノ・シメオネの父親はディエゴ・シメオネ。アトレティコの監督だ。

 こちらもアスリート家系で、3人兄弟の長男ジョバンニは主にイタリアのクラブで活躍した元アルゼンチン代表。次男のジャンルカもサッカー選手。ジュリアーノは三男だが、兄弟3人すべてアタッカーでプレースタイルは父親のディエゴ・シメオネとは似ていない。

 父シメオネはアルゼンチン代表の中心的MFだった。運動量が豊富で攻守に貢献し、非常に賢い選手。1998年フランスW杯ではイングランドのデイビッド・ベッカムを挑発して退場に追い込んだプレー(?)が印象的だが、アリエル・オルテガやガブリエル・バティストゥータを後方から操り、フアン・セバスチャン・ベロンとともに技巧と頭脳でチームを動かし助けていた。ただ、足が速いという印象はなく、この点は一族皆速いマルコス・ジョレンテと違って、ジュリアーノは身体能力的に父親とは異なっている。

 親子で有名なサッカー選手はかなり存在する。

 古くはハンガリーのスーパースター、フェレンツ・プスカシュ。父親も同じ名前のフェレンツ・プスカシュ、キシュペストの監督だった。父親が監督を務めるクラブで息子がプレーしていたという点はジュリアーノ・シメオネと同じだ。

 1949年の飛行機事故で壊滅してしまった「グランデ・トリノ」のエースだったバレンティノ・マッツォーラの息子がサンドロ・マッツォーラ。こちらは1960年代の「グランデ・インテル」のエースとなっている。どちらも偉大なアタッカーとして知られている。

 チェーザレ・マルディーニはミランで活躍したDF。MFもこなす技術を持ち、地上戦空中戦とも抜群。リーダーシップ、フィールド内外の振る舞いも模範的。1950~60年代で最も優れたDFのひとりだった。引退後はイタリア代表監督も務めた。

 息子のパオロ・マルディーニは父親と非常によく似た資質を持ち、さらに父を上回る圧倒的なプレーぶり。最初は「チェーザレの息子」と見られていたが、すぐに父親のほうが「パオロの父」になった。1998年フランスW杯のイタリア代表で親子は監督と選手の関係だった。パオロの息子ダニエルもミランでデビュー、現在はアタランタでプレーしている。

【影響するのは遺伝か環境か】

 フアン・セバスティアン・ベロンのニックネームがブルヒータ(小さな魔法使い)なのは、父親のフアン・ラモン・ベロンがブルハ(魔法使い)だったから。

 マンチェスター・ユナイテッドで活躍したGKピーター・シュマイケルの息子カスパー・シュマイケルもGK。どちらもプレミアリーグ優勝を経験している。

 パブロ・フォルラン(父)とディエゴ・フォルラン(子)、リリアン・テュラム(父)とマルクス・テュラム(子)、エンリコ・キエーザ(父)とフェデリコ・キエーザ(子)、アルフィ・ハーランド(父)とアーリング・ハーランド(子)など、親子でプロ選手という例はけっこう多い。

 親子でプレースタイルがそっくりな人もいれば全然違う場合もあり、遺伝なのか環境なのか、それともたまたまなのかはわからない。

 ただ、同じチームで同じサイドにプレースタイルが似ていて、父親がサッカー選手のマルコス・ジョレンテとジュリアーノ・シメオネが組んでいるのは非常に珍しい。

 ジュリアーノはローマ生まれだが4歳の時にブエノスアイレスへ移住。リーベル・プレートのアカデミー育ちで、のちにアトレティコのユースに移った。イタリア、アルゼンチン、スペインの3つの国籍があるわけだが、アルゼンチン代表でプレーしている。

 スペインとアルゼンチンは昔から強く結びついている。多くのアルゼンチン人がラ・リーガでプレーしてきた。ところが、チーム単位となるとアルゼンチンのプレースタイルそのもと言っていいアトレティコは、ラ・リーガの中では特異な存在だ。レアル・マドリード、バルセロナとは違う、守備にぬかりのないハードなサッカー。

 親子でも似ていたり似ていなかったり、アルゼンチンの影響が強いのに現在のスペイン代表はかつてのオランダの系譜になっている。そんなに単純なものではないらしい。

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