立大4回戦をもって4年生は引退。一枚岩で戦ってきた日々を終え、それぞれの進路へと進む。この4年間、彼らはどのような思いを胸に過ごしてきたのか。お話を伺った。 選手コメント 森龍馬 主将 ー今日の試合を振り返って  僕自身が何度もチャンス…

立大4回戦をもって4年生は引退。一枚岩で戦ってきた日々を終え、それぞれの進路へと進む。この4年間、彼らはどのような思いを胸に過ごしてきたのか。お話を伺った。

選手コメント

森龍馬 主将

ー今日の試合を振り返って

 僕自身が何度もチャンスで凡退してしまって、苦しい状況にしてしまいました。それでもエースと4番が最終的にはしっかり仕事をしてくれて、勝つことが出来たのはすごく来年にもつながるのじゃないかなと思います。

ー中山選手の先制打について

 本当に頼もしいやつですね。

ー熊谷選手も学生最後のマウンドで素晴らしい投球をみせました

 今まで苦しい思いをしてきた分、ああいう形で締めくくれたのは、良かったのではないかなと思います。彼らしい投球を最後にしてくれて、同じ4年生としては嬉しかったです。

ー今季を振り返って

 やっぱり優勝出来なかったのは本当に悔しいの一言ですし、まだ何かが足りないのだなと言う気持ちはあります。ただ、3年生以下はすごく頼もしい選手ばかりなので、来年は必ず天皇杯勝ち取ってくれると思います。

ー4年間を振り返って

 正直なところ、優勝出来なかった悔しさは1番に出てきてしまいますけど、それでもいろんな方々が支えてくれてその中で野球やらせてもらってることに感謝してますし、自分自身としてもけがで苦しんだ中、本当にたくさんの方々に支えてくれたので、心から感謝したいと思います。

ー下級生時代は故障に苦しみました

 きつかったですけど、宿命だと受け入れてやってきたので、これもまた将来何かにつながってくれればいいなと思います。

ー苦しんだ下級生時代から考えて現在の姿をみてどのように感じますか

 4年生になってやっと野球をやってるなと実感しましたかど、やはりもっともっとチームに貢献したかったなという思いが強いです。

ー今季開幕直前で足を痛めました

 開幕は絶対に間に合わないだろうなっていうのは、自分でも分かって本当に悔しさとみんなへの申し訳なさでいっぱいでしたね。

ーそこから驚異的な回復で先発復帰を果たしました

 毎日治療を繰り返して、絶対後半はチームの為に頑張るぞという気持ちだったのでよかったです。

ー今季は7試合連続安打を記録しました

勝つ為にしかプレーしてないので、少しでも貢献できたのが、よかったです。

ー高校、大学と主将を務めましたが

 1番キャプテンの行動が、チームに影響を与えると思いますし、言動も自分自身が行うこともキャプテンの行いがチームに影響してくるので、常に先頭に立っていなければいけない部分に関しては辛かったことも多かったですけど、その中でも選手たちが全員ついてきてくれたので、やりがいも感じましたし、このチームで優勝したいと思いましたね。

ーどちらの方が大変でしたか

 選べないですね。ただ法政大学っていう歴史と伝統のある野球部で優勝しなければいけないので。法政でキャプテンやるというのは簡単なことではないなと感じました。

ー自身も故障期間は長かったので、故障者やベンチ外の選手にも寄り添えたと思います

 怪我で野球のできない選手には、声を掛けたりとか出来ましたし、「一緒に頑張っていこうな」という自分の経験を話すことは出来たのでそういう部分を考えれば生かされているのではないかと思います。

ー春秋とチームの危機を乗り越えられた要因は

 春も秋も同じことを言ったと思いますけど、「六大学に属して伝統ある法政大学でこのユニフォームを着て戦っている以上は下を向いている暇はないですし、常に前を向いて目の前の相手と戦うのが使命だ」とは伝えましたね。

ー同期については

 本当に1年のときから怪我ばかりのこんな自分についてきてくれたことに感謝してますし、一生の仲間だと思います。

ー副将の2人については

雄二(清水)は自分の考えている事を下級生中心に伝えてくれて、本当に助かりましたし、俵(積田)に関しても練習中に厳しさを出してくれて常に内野を引っ張ってくれましたし本当に副キャプテン2人と学生コーチ2人にはこの1年間支えられました。彼らがいなかったら、ここまで僕も頑張れてなかったと思います。

ー進路については

 明治安田生命に進みます。声を掛けていただいて、先輩も2人いるので、そこでもう一度一生懸命頑張りたいなと思います。目標はもちろん都市対抗に出て優勝することです。

ー期待する後輩は

  3年生全員です。3年生がチームを引っ張ってくれたら、優勝出来ると思います。

ー最後にファンへのメッセージをお願いします

 本当4年間勝てない中で、不甲斐ない気持ちでいっぱいでしたがその中でも応援し続けてくださったことには心から感謝してます。ありがとうございました。

 

清水雄二 副将

ー今日を終えた心境は

これだけ延びてしまい、優勝できなかったというのは1番悔しいのですが、来年3年生以下はいいチームになると思うので、そう行った意味でも今日は勝って終われたことは大きいなと思います。

ー今季を振り返って

 個人的には下にすごい選手がたくさんいるので、そのサポートを1年間できたかなとは思います。チームとしては、投手がちゃんと抑えてくれればいい試合ができると思いますし、そこは野手とピッチャーのお互い様だと思うので、ちゃんと噛み合えば絶対優勝できるチームではあったのかなと思います。

ー最高学年としての1年間でしたが、今年はどのようなチームに仕上がりましたか

 4年生は龍馬(森)と熊谷とかしか出ていないという状況でしたけど、3年生の川口(凌,人3)だったり満平(小林,法3)だったり中山(翔太,人3)だったりが引っ張ってくれたので、出てる人が自分たちの思いを表してくれたのかなと思います。

ー副将としてどう役割を果たしてこれましたか

 自分のやることなんて喋ることだけなので。そのコミュニケーションはチーム全員と取れたのかなと思います。

ー副将としての1年間を自己評価すると

野球面としては全然ですが、副将という面ではよくできたかなと思います。

ー3年生までの時との心境を比べると

 1年生から3年生までは付いていくという立場で、楽といえば楽な立場だったんですけど、ここ1年幹部としてやってきて、高校の時もやっていましたが、上の立場に立つ難しさというのを改めて知れたなというのはあって、深い1年間だったかなと思います。

ー法大としての4年間について

 六大学として恥じないように、という気持ちはありました。自分が入ってから5位、5位で、そこから立て直していかないといけないなと思っていました。

ー神宮でプレーするということは

 大学で初めてプレーをして、こういう球場でできるのも六大と東都だけで、しかも土日でお客さんも入った中でできるというのは六大だけの環境だと思うので、こういう環境でやらせていただけたことはすごく感謝しています。

ー大学野球を通して得たものは

 人との付き合い方など、野球以外の面で目上の人だったり、下だったり同級生との付き合い方など、そういう人間関係の中で成長できたなと思う部分はあります。

ー今日で学生としての野球人生が終了しますが誰に感謝をしたいですか

 4年間高い学費を出してくれた親もそうですし、同期だったら1年生の時から常にまとめてくれていた龍馬には感謝しています。

ーこれから生かしていきたいことは

社会人になっても出れるかどうか分かりませんが、今と同じ立場になるかもしれないので、ベンチでのことだったり、守備で途中から入っても、自分はそういうタイプだと思うので、生かしていけたらなと思います。

ー今後の目標は

 進路先である西濃運輸さんでレギュラーを張れるように頑張っていきたいなと思います。レギュラーとして都市対抗でやれたらなと思います。

ー後輩へ

 満平に関しては、5年、6年野球を一緒にやってきているので、特に思い入れはありますね。あいつもいい選手だと思うので、プロへ行ってほしいなと思います。

ー同期へ

 そんなに野球が上手い代では無かったですけど、仲はよかったので、ありがとうと伝えたいです。

ー応援してくださったファンの皆さんへ

4年間、結果は出せませんでしたが本当に応援していただきありがとうございました。これから先は、3年生以下が本当に優勝できる力を持っていると思うので、これからも応援をよろしくお願いします。

 

俵積田健人 副将

-今季をチームと個人で振り返っていかがでしたか

 チームではやっぱり優勝できなかったことが悔しいです。個人としては中々出場機会が無かったですけど、試合に出してもらえることもありましたし、その中で結果を残せなかったというのも悔しいですけど、頑張って最後まで努力して勝とうとして最後までやって来れて良かったです。

-今季のチームの雰囲気はいかがでしたか

 リーグ戦が始まる前のオープン戦から雰囲気がすごく良くて、初めに明大に負けた後、少し雰囲気が落ちた部分もありましたけどそこから立て直して、東大戦で負けた後もすぐに立て直して勝ててきたということは、切り替えることが僕ら4年生の仕事だと思っていたので、そういう事が出来て最後勝てたので良かったと思います。

-副将を今季は任されましたが大変だったことはありましたか

 副将になったのも、監督とか森に推薦してもらってなりましたけど、試合にも全然出なかったですし、実力も今試合に出ている選手に比べたら全然ないので、言いにくいこともあったんですけど、それでも森のおかげだったリ清水のおかげで頑張れたので良かったです。

-4年間で思い出に残るゲームはありますか

 今日のゲームです。元々自分たちの今シーズンのチーム的に4年生があまり出ず、3年生以下が頑張っていかないといけないチームで3年生以下の頑張りが最後も出ていて、4年生も後ろからサポートしてあげるということができたので、今日接戦を最後の最後に勝てたというのは嬉しかったです。

-法大の4年間の経験は俵積田選手にとってどのようなものになりましたか

 法政大学の4年間は1,2年生の時に試合に全然出ていなくて何もしていなかったですけど、それから3年の時からリーグ戦に出るようになってチーム内の競争とか六大学での争いとかそういうのを含めてものすごく人間として成長できましたし、これから社会人野球を続けるにしてもすごく良い経験になっているので、この経験を生かして頑張ろうと思います。

-神宮のファンの声援をいつも聞いていたと思いますがいかがでしたか

今季は雨や1勝1敗の3戦目とかで平日になったりする試合が多かったですけど、それでもいつも大勢のファンの方々が応援しに来てくださって本当にありがたくて、負けたら本当に申し訳ない気持ちになりますし、勝ったらものすごく喜んでいただけるというのが僕たちはすごくうれしくて、優勝は出来なかったですけど今日最後に勝った姿を見せられて良かったと思います。

-今後成長していってほしい後輩選手はいますか

中山ですね。今日の活躍もありましたし、来年引っ張っていかないといけない人間だと思うので頑張ってほしいと思います。

-今後の俵積田選手はどんな道を歩まれますか

 これから兵庫県の新日鐵住金広畑というところで社会人野球をやらせていただきます。大学でもそうだったんですけど守備が売りで、また少し足も速くて、打撃とかは全然ダメなんですけど、守備や走塁にこだわってチームに貢献できるような選手になりたいと思います。

-最後にファンの皆さんにメッセージをお願いします

 いつも応援いただきありがとうございます。また法政大学はあきらめずに優勝目指して頑張っていきますので応援よろしくお願いします。

 

熊谷拓也 投手

-今日の試合を振り返って

 勝てて良かったです。最後なので。

-勝利投手でした

そうなんですか(笑)。そうだったら嬉しいです。最後の最後に。でも、菅野(秀哉)です。菅野が頑張ったので。河野(太一朗,文3)もよく頑張りましたし。ちょっと運が良かったかな、最後だけ、という感じです。

-大学野球最後の試合を終えましたが、今の気持ちは

 もう社会人に目がいってる感じですね。

-リリーフでスタートとなった今季を振り返って

 全然良くなかったですね。全然、もう納得いく成績でも内容でもなかったので、また一から練習して、社会人でいいスタートが切れるようにやっていきます。

-今年は、投手責任者として過ごされた1年でもありました

 4年生も含めピッチャーは愉快なやつばかりだったので、楽しかったですね。

-4年間を振り返って

 悔しいという気持ちじゃないですかね。野球の難しさを思い知れた大学野球でした。

-具体的にどういうところで難しさを感じましたか

高校野球からレベルが1段も2段も上がるので、バッターを抑えたりとか、バッターを抑えるために何をしなきゃならないかとか、すごい厳しさを痛感したというか、知れた大学野球生活だったんじゃないかなと思います。

-厳しい中でも、生かされた高校時代の教えなどはありますか

そうですね。今日も来られてますけど、高校の監督が、「ピッチャーたるものはどんな練習も手を抜かずにしっかりやる。試合はその発表の場である」と。練習を大切に出来たことは高校からの教えが生きたのではないかなと思います。

-今日で引退となりますが、法大野球部はどのような存在でしたか

色んな気持ちがありますけど。最終的には、いい思いと言えるのかは分からないですけど、勝って終われて。そう聞かれると難しいですね。でも、いい意味で楽しくできた、いい環境の野球部だったんじゃないかと思います。

-同期にむけて

 ありがとうございました。

-後輩にむけて

もう春に向けての練習が始まると思うので、春にしっかり神宮で勝てる練習をして、自信を持って神宮でプレーしている姿を楽しみにしています。

-今年は優勝を目指した年だったと思いますが手が届きませんでした

最大の目標ではあったので、それを達成できなかったというのは、足りない部分が多かったのかなと。それをしっかり反省して次に生かせれば良いのではないかなと思いますけど、同じ失敗ばかりじゃ進歩もないので、社会人ではもっと違った自分を見つけられるように頑張ります。

-『違った自分』の理想はありますか

勝てるピッチャーです。

-先発でですか

 はい。

-4年間神宮という場でプレーできることは恵まれていることだと思います

 そうですね。自分の力だけじゃなくて、色んな人の支えもあって、神宮のマウンドで投げ続けられたと思うので、皆さんに感謝して、次の舞台ではしっかり恩返しできるように頑張ります。

-真木(将樹)コーチは

 真木さんにはもう、感謝しきれないほどたくさんあるので。まだ全然ピッチングは良くないので、また教えてもらって、社会人の練習にいけるように。まだまだお世話になると思います。真木さんには。

-青木(久典)監督に向けて

 すごく信頼を置いてくださって、その信頼に応えることができなかったというのは、すごく申し訳ない気持ちがありますけど、そうして信じて下さったことを、すごく嬉しく思います。

-社会人野球ではNTT東日本に進まれるということですが、そこでの目標はなんですか

 2年後にプロに行くのが目標ですし、社会人に行って、都市対抗も今年優勝していますし、東京ドームのマウンドでもしっかり投げられるようにというのは目標です。

-ご家族に向けて

 これからもよろしくお願いします。

-最後に、今まで応援してくださったファンの皆さまへメッセージをお願いします

 どんな状況でも、神宮に足を運んでいただいて応援してくださったというのはものすごく僕らの力になりましたし、それが励みで、神宮でもどんな辛いことがあってもできたと思うので、まだ後輩たちも来年の春に優勝するために頑張ると思うので、応援してください。ありがとうございました。

 

プレイバック

森龍馬 (誰もが認める背番号10 チームを何度も救った主将の一言)

 森龍馬の法大での戦いが終わった。故障に苦しんだ下級生時代。主将として、そして主軸として駆け抜けた4年生。結果的に1度も頂点に立つことは出来なかった。最終戦後「何かがまだ足りないのかな」と漏らした森。11季ぶりの優勝を逃して悔しさを滲ませながらも、「支えてくれたたくさんの人に感謝したい」と周りの人たちを気にかける姿はまさに主将の姿そのものだった。

 高校でも主将を務め、大学3年時から副将を務めた森。青木監督も「森だから3年からやらせた」と語るようにそのリーダーシップはチーム内外から一目置かれていた。歴代主将には森の高校の先輩でもある畔上翔(平27年度卒=現Honda鈴鹿)がいる。昨季開幕前、どちらも見てきた指揮官は2人の主将についてこう述べていた。「畔上も素晴らしい人間だが、ずっと表舞台に立ち続けた。でも、森は大学でけがなどで苦しんだからこそ畔上以上に人として成長できたと思う」。度重なる故障に苦しんだ下級生時代。昨季、初めて規定打席に到達し「やっと野球がやっていると思った」感慨深く語っていた姿は印象的だった。苦難を宿命として受け入れて腐らずに野球に向き合うことで今年の活躍につながる結果に。さらに故障に苦しむ選手やベンチ入り出来ない選手にも声かけは欠かさなかった。明暗を味わった森だからこそ、様々な境遇の選手たちに寄り添うことが出来たのだろう。

 今年の法大は何度も危機があった。春は開幕4連敗、秋は最大の屈辱となった東大戦連敗。並みのチームなら、きっとチームは崩壊し、凋落の一途を辿っただろう。だが森は何度もチームを鼓舞し続けた。「六大学で法政のユニフォームを着ている限り、前を向いて戦い続けなければならない」。主将のこの一言で何度もチームは蘇り、2季連続のAクラスまで立て直すことが出来たのは違いない。これが同期から「キャプテンは森しかいない」と言わしめる所以なのだろう。同期について「けがばかりの自分についてきてくれて、感謝しかないし、一生の仲間」と頭を下げ続けた。

 「法政のキャプテンは簡単なことではない」。これが1年間戦い続けた森の最初で最後の本音だろう。だが100年の歴史を誇る法大の歴代主将の中でも最高レベルのキャプテンだったことは言うまでもない。そしてファンの中には、再び指導者として法大のユニフォームを着てほしいと思ってるファンは少なくないと考えられる。そのことについて森は「まだ分からないですね。そんな簡単ことではないので」と言葉を濁した。だが、生まれながらのキャプテンシーを誇る森にとって、全く可能性がないとは言えない。「3年生全員に期待している」と語り、法政のユニフォームを脱いだ背番号10。だがもし、背番号30を着て再び神宮に帰ってきたときは成し遂げてほしい。この4年間で叶えられなかった“夢の続き”を。(渡辺拓海)

森龍馬(もり・りゅうま)
キャリアデザイン学部4年
1995年4月18日
東京都・日大三
176cm 78kg 右投右打
通算成績:34試合出場 26安打 1本 12打点 1盗塁 打率.295

 

清水雄二 (森主将との橋渡し役を担った"兄貴" 可愛い後輩たちに託した夢の続き)

「野球という面では全然でしたが、副将という面ではよくできたかなと思います」。清水は最後に、こう振り返った。

 副将就任時、理想の副将像に「主将を隠れて支えていた存在だった」だったという、今年巨人からドラフト6位指名を受けた若林晃弘(平27年度卒,JX-ENEOS)の名前を挙げていた。 主将を影で支えるとは。当時の清水なりの答えはこうだった。「“絶対的存在"である森主将に、いかにみんなを付いて行かせるか。」“あいつについていけば間違いない存在”だという森主将。つまり、チームがいい方向に向かっていくにはそんな森について行くことが正解なのに間違いはなかった。

 しかし、森も願望が強すぎるあまり突っ走りすぎてしまうが故、チームが置き去りになることもしばしば。特に法大のような大所帯のチームでは、同じ意識レベルでひとつの方向へ向かせることは難しく、どうしても部員全員の中に意識の”差”が生まれることは目を背けられない現実にある。「チーム一丸となって」という言葉をよく耳にするが、それはそう簡単なことではないのはどのチーム、どの競技にしても当てはまるはずだ。そういった森の考えをチームに浸透させるべく、時に聞き役にもなるような『兄貴分』として、全員とのコミュニケーションを欠かさなかった。

「自分が出れないとかはどうでもいい」。

 最後のリーグ戦を迎える前、”優勝パレード”を夢見た清水二が堂々と口にしたこの言葉が忘れられない。ラストイヤーだ。HOSEIを胸にプレーできる最後の年。だがメンバー表を見ればいつも下級生の名前がずらりと並んでいた。チームを強くするためには試合に出る後輩の成長が第一。そう考えた清水二は最後の最後の瞬間まで後輩のサポート役に徹した。 とにかくその下級生がやりやすい環境を作っていくことを心がける。ベンチでは声を出し続け、時に後輩から緊張感が読み取れればそっと寄り添い、ほぐしていく。「東大戦で負けてからの2戦は4年生の力が大きかった」と後輩の口からも、その役目のなす大きさは間違いなかった。

 夢は夢のまま終わってしまった。だが誰よりもチームのことを第一に考え続け、後輩思いであった清水二。”優勝パレード”の夢はその後輩の手によって現実に変えてくれるはずだ。(山口有沙)

清水雄二(しみず・ゆうじ)
法学部4年
1995年10月10日
岐阜県・中京大中京
173cm 72kg 右投右打
通算成績:54試合 12安打 0本 6打点 4盗塁 打率.167

 

俵積田健人 (森主将の推薦で副将に就任 ベンチで支え続けた縁の下の力持ち)

 リーグ通算安打1本。最終戦での出場は無かった。この4年間、本人にとって満足のいく成績を残せなかったと思っているかもしれない。しかし副将として、精神的存在としてチームを支え続けた俵積田が残した功績は大きい。

 「俵積田」という珍しい苗字から印象に残っているファンの方も多いのではないだろうか。先発での出場や打撃機会には中々恵まれなかったものの3年秋に初出場を果たし、その後は主に守備固めや代走要員で10試合に出場。最高学年となり監督や森主将からの推薦で副将に就任した。就任直後に敢行したインタビューで最高学年としての個人の目標を聞いた際、俵積田は「誰が試合に出ようがチームが勝利する方が優先だと思います」と話した。この言葉から彼の人柄を感じ取ることができる。決して試合に出場することを諦めたわけではないが、野球は個人戦ではなく団体戦ということを改めて思い出させてくれる一言だった。たとえ試合に出場できなくても副将としてベンチでチームを支えるということは、出場するのと同じくらいの価値がある。彼の存在が同じような境遇の選手たちに勇気を与えたかもしれない。「試合にも全然出なかったですし、実力も今試合に出ている選手に比べたら全然ないので、言いにくいこともあった」と副将になった今年一年を振り返った。そんな思いがありながらも主将や周りと切磋琢磨しながらチームの雰囲気を保ち、春秋ともにAクラスという結果を残すことに成功した。

 優勝できなかったことが悔しいと語る中、野球を最後まで頑張ってこられて良かったと話した俵積田。これからは社会人野球チーム・新日鐵住金広畑で再出発を図る。副将としての最後の一年、六大学野球でプレーした4年間の経験を生かし、新たな野球人生のスタートを切る。(岡崎祐平)

俵積田健人(たわらつみだ・けんと)
人間環境学部4年
1995年10月22日
大阪府・阪南大
177cm 77kg 右投左打
通算成績:10試合出場 1安打 0本 0打点 0盗塁 打率.091

 

熊谷拓也 (神宮のマウンドに立ち続けた法政不動のエース 『悔しさ』を糧にさらに上のステージへ)

「悔しい」。熊谷拓也のこの言葉にどれだけの意味が込められているのだろうか。

 高校1年から、『ドラフト候補』としてエースナンバーを背負い、2年秋には当時桐光学園の松井裕樹(現東北楽天)に投げ勝ち、3年夏は全国屈指の激戦区神奈川県で準優勝。小技に長けた横浜高校に敗戦し甲子園こそ逃したものの、最速144㌔を計測するなどプロは目前だった。 しかし、「大学野球のトップリーグで野球をやりたい」とプロの道には進まず、法大を選んだ熊谷。1年春から4年間神宮のマウンドに立ち続け、通算7勝。六大学オールスターも2年次から3年連続での選出。5勝を挙げた2年時は、石田健太(平26年度卒=現横浜DeNA)という投手の柱が抜けた法大にとって苦しい年だったが、その穴を埋めた。ずっと出場し続けること自体が難しい中で、ケガもせずいつでも主力としてマウンドに立ち続けた。

 それでも、述べた「悔しい」という言葉。2年で先発として5勝を挙げて以降、先発として結果が出なかった。自身が抑えで投げ、チームが勝った試合後も笑顔でロッカールームから出てくることはなかった。そんな「納得していない」と語ったもがき苦しんだシーズンがあったからなのか。『熊谷なら』とマウンドを任せてくれるなかで、その期待に応えられなかったからなのか。 この4年間を、「いい経験になった」、「負けてしまったけれどいい4年間だった」と前向きに口にする選手も多い中で熊谷の放った短い一言は、何よりも4年間に懸けた想いの強さが滲み出たように感じた。

 4年間、もがき続け必死に走り抜けた大学野球の最後の日となった10月31日。立大と4回戦までもつれ込み迎えた最終戦は、2死満塁とピンチでの登板となった。今までなら、安打や四球を許していた場面かもしれない。だが、この日は違った。持ち味であるキレ味のある直球を中心に、自身の背番号と同じ17球を投げ勝利を掴んだ。どれだけ好投しても、勝ちに恵まれなかったこの2年間。大学野球最後の試合に、ようやく野球の神様が熊谷に目を向けた。

 「2年後プロに行くのが目標」。既に熊谷の気持ちは社会人野球に向いている。4年間で経験した「悔しい」気持ちをバネに、社会人チームで活躍しプロを目指す。『熊谷ならいける』。私たちはきっと、2年後に大歓声の中でマウンドに立つ熊谷の姿を見られるはずだ。(中西陽香)

熊谷拓也(くまがい・たくや)
キャリアデザイン学部4年
1995年6月2日
神奈川県・平塚学園
180cm 85kg 右投右打
通算成績:51試合7勝12敗 170回1/3 113奪三振 防御率4.12