現在は自身が立ち上げたスポーツブランドで野球界に貢献 松坂大輔氏を2歳上の兄に持ち、独立リーグなどでプレーした松坂恭平氏…

現在は自身が立ち上げたスポーツブランドで野球界に貢献

 松坂大輔氏を2歳上の兄に持ち、独立リーグなどでプレーした松坂恭平氏(株式会社ONE4ALL代表取締役)は小学校、中学時代は兄を追いかけるように同じチームでプレーした。シニアチームで大輔氏が日本代表などで活躍するなか、恭平氏は徹底した“管理野球”に耐えきれずにチームを去った。ポッドキャスト番組「Full-Count LABー探求のカケラー」に出演し、「松坂大輔の弟」としての当時の心境を語った。

 大輔氏は中学1年夏に「江戸川南リトル」での最後の大会で日本一へ。そのまま「江戸川南リトルシニア」に移り、2年時に関東大会優勝、3年時には全国選抜大会で準優勝に貢献するなど“怪物”の片鱗をいかんなく発揮していた。

 恭平氏も兄と同じチームに所属し、リトル時代は主に「3番・遊撃」として最後の夏に全国3位に輝いた。そのまま兄と同じチームに入団したが、その頃から「少し野球がつまらなくなってきたんです」と明かした。

「何十年も前の話ですけど」と前置きした上で「当時は全部サインでした。投手が投げる球も全部決まっているんです」。攻撃だけでなく守備でも捕手が1球ごとにベンチの指示を受けていたという。「好きにやらせてほしいと思いながらやっていた」と振り返る。

 さらに野球への気持ちを遠ざけたのが丸刈りだった。チーム内で徹底されていたわけではないが、「勝ち上がっていくたびに、みんながどんどん丸めていくんです。五厘刈りってやつです。あれが嫌で嫌で……」。同僚は自発的に刈っていたが、恭平氏は「強要される雰囲気になってくるのも嫌で。なんかもうがんじがらめみたいになっちゃっていて。僕はそう感じてしまった」。

 中学1年夏にはチームをやめる決断をする。両親に告げると「父は怒るというより悲しんでいましたね。『それくらい我慢しろ』みたいな感じでした」。皮肉にも同じ時期、大輔氏は日本代表入りを果たしていた。兄が輝きを放つ一方で、恭平氏は野球から離れていった。「僕はもうその“舞台”には立てない、と。辞めちゃったので」。その後、中学校の部活で野球を続けることになるが、選手としての兄との“差”を感じ始めた時期でもあった。

 11月で43歳になる。今の松坂恭平が当時の自分に声をかけるとすれば――。「『五厘刈りくらいしておけよ。お前は何をこだわったんだ』って。レギュラーで試合にも出ているし、逆に出られない子もいましたし。『お前は何の不満があったんだ?』っていうのはちょっと言いたいですね」。穏やかな笑みを浮かべた。(Full-Count編集部)