現在、アジアのサッカー界は日本がリードしていると言ってもいいだろう。だが、かつては韓国の前に歯が立たない時代があった。さ…
現在、アジアのサッカー界は日本がリードしていると言ってもいいだろう。だが、かつては韓国の前に歯が立たない時代があった。さらに時代をさかのぼれば、中国の悠久の歴史に思いを馳せざるを得ない。蹴球放浪家・後藤健生は東アジアカップで中国文明のすごさを思い知った!
■「中華民国」建国につながる反乱の地
武漢では近世史、近代史に関係する名所もたくさんありました。
たとえば、「武昌起義軍政府旧址」。
中国は16世紀以来、現在の中国東北部の満州族が立てた「清」王朝が支配していましたが、19世紀後半には清朝は弱体化して西欧列強の侵略を受け、1895年には日清戦争に敗れてしまいます。そして、20世紀に入ると反清運動あるいは民主化運動が盛んになっていました。そんな一触即発の状態の中で、1911年10月10日に武昌で軍人が反乱を起こし、軍政府を樹立したのです。
これをきっかけに反乱は全国に及び、清朝が倒れて中華民国が建国されることになりました(辛亥革命)。
武昌での反乱自体は計画的というより偶発的な事件でしたが、その後、中華民国では10月10日が革命記念日(双十節)として祝われることになりました。
その軍政府が樹立された建物が旧跡として保存されており、当時使われていた「鉄血十八星旗」も見ることができます。
■毛沢東が「健在」をアピールした別荘
さらに近代史関係では中国共産党のリーダーであり、中華人民共和国建国の父である、毛沢東主席関係の別荘なども東湖湖畔に残っています。
毛沢東は隣の湖南省出身の革命家ですが、中国建国後、自ら旗を振った「大躍進政策」が失敗して数千万人が餓死するという事態に至り、1950年代末には権力を失ってしまいます。その後、毛沢東は武漢に居を構えていたのです。
毛沢東は実権を握っていた劉少奇国家主席などを打倒して権力を取り戻すために、1966年に左派を動員して「文化大革命」を起こしますが、この年、毛沢東は武漢の長江で水泳を披露しました。72歳になっていた毛沢東は、これによって自らの健在ぶりをアピールしたのです。
■次回のE-1は久しぶりの「中国開催」
武昌起義軍政府旧址のすぐそばには、「黄鶴楼」という高さ51メートルの塔が立っています。現在の塔は1985年に再建されたものでエレベーターも設置されていますが、丘の上にある塔の最上階の展望台からは、目の前に長江が流れる雄大な景色を見ることができます。
長江の対岸には高さ221メートルの亀山テレビ塔も立っていますが、手前の長江には全長1670メートルの武漢長江大橋が見えます。1957年にソ連の技術援助を受けて完成したこの橋は、長江をまたぐ橋としては全国で初めてのものでした。
2015年の東アジアカップでは日本代表が男子は最下位、女子は3位と散々な成績でしたが、数々の名所旧跡を巡った武漢での滞在はとても興味深いものでした。
次回のE-1選手権は久し振りの中国開催になります。開催地がどこになるのか、決定を楽しみにしています。