ニモ…
ニモ正義は、アメリカの高校バスケットボールでもハイレベルでプレーしてきた選手で、高校3年生(日本の高2)の時点ですでに複数のDIカレッジ(全米大学体育協会NCAA1部)からオファーを得ていた。現在南カリフォルニア大学(以下USC)の名将エリック・マッセルマンヘッドコーチがアーカンソー大学を指揮していた際にはunofficialではあるが同大を訪問、その後も連絡を取り合っていた。そして高校4年生となる2023−24シーズンはBリーグのシーホース三河に特別指定選手として入団することを決意。高校生としてオンラインで勉強しながらプロの世界で経験を積んだ。翌シーズンはNBAグローバルアカデミーに所属。そしてこの8月、ノースイースト・ミシシッピ・コミュニティカレッジ(以下NEMCC)への進学が決まった。
そのままアメリカの高校に残っていれば、すんなりとD1の大学でプレーしていただろう。だがニモは、多くを学び、素晴らしい出会いと経験をした過去2年間に「悔いはない」と言う。NEMCCのコード・ライトHCは、「ヨシには優れた才能がある。身長200センチのガードとして非常に優れたスキルをもっており、運動能力もある有望選手だ」と期待を寄せる。
新天地で3年ぶりに学生アスリートとして新たなスタートを切ったニモに今の気持ちや過去2年の経験、また“バスケットボール一家”で育ったことなどについて聞いた。
インタビュ=山脇明子
三河での挑戦とNEMCCへの歩み
――NEMCCへの進学が決まるまでの経緯について聞かせてください。
ニモ 元々の目標はDIの大学に行き、アメリカで勉強とバスケットボールを両立することでした。NBAを目指して、大学でいいシーズンを送りたいと思っていました。しかしトランスファー(転校/編入)市場の活発化やいろいろなことが重なり、複雑になっていきました。(過去2年)海外でプレーしていたことも一部の大学に僕が海外の選手だと誤解を招いたようでした。海外の選手でリクルートされるのはビッグマンが多いですが、いい選手であり、十分な活躍を見せてさえいれば、アメリカの大学は存在に気づいてくれると思います。でも僕は十分に証明できていませんでした。
でも今の大学のライトHC、アシスタントコーチたち、そしてチームメートとの日々をとても気に入っています。みんな毎日一生懸命に練習していて、僕も彼らの中で力一杯頑張ることができています。まだチームに加わって間もないですが、すでに成長を感じることができています。3年ぶりのキャンパスでの学生生活も楽しいですね。ホームスクールは楽ですが、別のことに気が散ることもありましたし、実際に学校に通い、他の生徒と一緒に勉強する方がずっといいと感じます。
――あなたは高校3年生の時点ですでに複数のDIの大学からオファーを得ていましたよね?
ニモ 結構誘いを受け、多くの大学のコーチたちと話しました。特に大きかったのは、(三河でのシーズンを終えた2024年に)USCに移ってしまいましたが、エリック(マッセルマン)がヘッドコーチを務めていた時のアーカンソー大で、見学にも行きました。正式なオファーはもらわないままでしたが、以降も連絡を取り合っていました。それ以外では、ネバダ大や姉(富士華)がプレーしていたカリフォルニア州立大フラトン校(以降CSUF)、テネシー大チャタヌーガ校など4~5校だったと思います。でも僕は高校最後の年をBリーグでプレーすると決め、本当に多くのことを学ばせてもらいました。
――17歳で家族のもとを離れ、日本に行くと決めることは、簡単なことではなかったと思います。
ニモ 最初は悩みました。17歳という年齢で日本に行って一人暮らしすることが自分にできるかどうかもわかりませんでしたし、対戦相手が高校生から大人になり、しかも僕が夢見るNBAでプレーしたことがある選手もいる中でしっかり戦えるか不安もありました。Bリーグの選手たちは僕よりずっとフィジカルで、ずっと強く、多くの経験があります。
チームに合流してから、チームメートたちがどれだけ自分よりも年上であるかにも驚きました。柏木真介選手(2024−25シーズンをもって現役引退。現在は三河ユース巡回コーチ)は、僕が三河にいたとき42歳で、みんな僕のお父さんになれる年齢だと冗談を言っていました。日本に行くことは、難しい決断ではありましたが、三河ではたくさんのいい思い出がありましたし、日本でプレーすることで、僕はコート内外で成熟できたと思います。
ファンも最高でした。Bリーグはどのチームもファンが熱心で、そういうところがすごく好きです。日本で出会った人たちのことを恋しく思いますし、また絶対に会いたいですね。NBAに行けなかったとしても、ぜひ日本に戻ってBリーグでプレーしたいと思っています。チームメートやコーチから多くを学びましたし、楽しく過ごさせてもらい、本当に感謝しきれません。一生忘れることのない経験でした。
――三河では、出場機会が限られたこともそれまでになかった経験だったと思いますが、その辺りはどのように捉えていましたか?
ニモ 自分の若さを考えても出場機会があまり与えられないことやコート上でベストプレーヤーになれないことはわかっていました。僕にはサイズはありましたが、あのときはフィジカルもありませんでしたし、優れたプレーヤーである年上の選手たち相手に張り合うメンタリティも持っていませんでした。
でも自分はプレーできると証明するためにできる限りの努力はしました。最終的に出場時間はあまりもらえませんでしたが、あの経験があったからこそ精神的に強くなれたと思いますし、次のレベルに上がるための準備ができたと感じています。
――三河での1シーズンを経てオーストラリアに渡り、昨シーズンはNBAグローバルアカデミーでプレーしました。同アカデミーでの経験はどうでしたか?
ニモ 最高でした。オーストラリアで送った昨シーズンは、精神的により健康な状態だったと思います。グローバルアカデミーでの期間は、NBAグローバルアカデミーとオーストラリアのベストプレーヤーを集めた“Center of Excellence”の2チーム、合計20人ぐらいの選手といつも一緒に練習していたため、チームメート以外でも多くの友達ができました。コーチ達も僕達が気を抜かないように努めてくれて、毎回一生懸命練習に取り組むようにしてくれました。だからかなりのトレーニングをこなしてきましたし、あそこでの学びも多かったです。
豪州での経験を経て見据える現在と未来
――もしアメリカの高校に残っていたら、今頃DIでプレーしていたと思いますが、アメリカを出て海外でプレーしたことに悔いはありませんか?
ニモ ないですね。日本とオーストラリアで本当に多くのことを学びましたから。素晴らしい選手達と出会い、彼らのプレーや努力を目の前で見ることができました。彼らの姿を見て勉強できたことは、そう簡単には得られない経験です。
――この夏は、なかなか進学先が決まらず、焦ったり落ち込むようなことはありませんでしたか?
ニモ ストレスはそれほどありませんでしたが、時々「これで終わりなのかな? もう学校に行けず、諦めないといけないのかな」と思ったことはありました。でも次の日には「まだ終わりじゃない」とジムに行ってシュートを打ち、練習を続けていました。自分には高いレベルでプレーできる能力があると信じています。だからいつか僕の存在に気づき、次のチャンスをもらえる時がくるはずだと思って練習していました。
――NEMCCは、昨季全米ランキング入りしたこともある高レベルの短大です。
ニモ 今季を迎えるにあたって、間違いなく自信が持てるようになっています。過去2シーズンは、自分の実力を証明できませんでしたし、ボールを持った時に常に自信を持ってプレーすることができず、消極的になっていました。でもそういった経験も踏んで、今は準備ができています。ここに来る前、現役のプロ選手や元プロの選手達と対戦して、スコアすることもできましたし、しっかり張り合うことができました。それにより、次シーズンに向けて自信がつきました。高校の時のように、もう一度多くの勧誘を受けるようなシーズンにできそうな気がします。開幕が待ちきれません。自分自身をしっかり証明するシーズンにしたいです。
――2年前からどういうところが成長しましたか?
ニモ ドリブルからシュートに持ち込む技術やペースです。高校の時は一定のスピードでプレーしていて、ペースを落としたり、落ち着いてディフェンスを読むということをしていませんでした。でも今では違います。シーホース三河所属時にコーチ・ライアン(リッチマンHC)からペースを落とすことを学びました。じっくりと、焦らずにやること。そうすれば自然に得点できるようになるということを教えてもらいました。もちろん他にもあります。ディフェンスで正しい角度にいること、フィジカル、ハードなプレーなど、いろいろな面で学び、伸ばすことができました。
(後編に続く)