(13日、第107回全国高校野球選手権2回戦 神村学園―創成館) 神村学園の西原維吹(いぶき)選手(3年)の父の正勝さ…

 (13日、第107回全国高校野球選手権2回戦 神村学園―創成館)

 神村学園の西原維吹(いぶき)選手(3年)の父の正勝さん(48)は、1994年に佐賀商が初優勝したチームの主将。九州勢同士の決勝となった樟南(鹿児島)戦では、勝負を決める満塁本塁打を放った。維吹選手は父がスタンドで見守る中、奮闘したがチームは敗れ、「親子2代で全国制覇」を目指す戦いは終わった。

 野球を始めたのは小学2年のとき。二つ上の兄、颯汰さん(19)がプレーしているのを見て「楽しそう」と思ったのがきっかけだった。父から野球をすすめられたこともなく、甲子園の全国制覇も知らなかった。野球を始めて1年ぐらいしたとき、周りから聞いて初めて知ったという。

 昔から、父とあまり野球の話をしたことはない。試合を見に来てくれても、自分から聞かない限り、何も言わなかった。プレーで悩んだときは「自分で考えなさい」。すぐに答えは教えてくれなかった。

 兄は父と同じ佐賀商に進んだが、自身は「高いレベルで野球がやりたい」と神村学園を選んだ。そのときも父は「全部まかせる」だった。

 高校時代の父は遊撃手。父を意識したことはないが、「華があるポジション」にあこがれ、ずっと内野手でプレーを続けてきた。高校に入ってからは二塁手で、鹿児島大会では6番打者としてチーム最多の6四死球。派手さはないが、堅実なプレーでチームを支えた。

 父が本塁打を放った映像を見たことがある。4―4で迎えた九回表二死満塁。大観衆の中で堂々とプレーをしていた。「あの場面で打ったメンタルがすごい」と憧れた。

 13日、最後の夏に初めて出場した甲子園。1点を追いかける七回には変化球に食らいつき、チーム初安打。父に少しは近づけた気がしたが、九回二死では走者を一塁に置いた場面で三ゴロ。最後の打者になった。

 試合後、維吹選手は「3年の春まで思うようにいかず苦しかったけど、両親はずっとサポートしてくれた。勝つことが一番の恩返しと思っていた」と涙を流した。

 ただ、アルプスで見守った父、正勝さんは「甲子園に応援に来られてよかった」とねぎらった。(井潟克弘、森田博志)