(12日、第107回全国高校野球選手権大会2回戦 尽誠学園3―0東大阪大柏原) 「甲子園は、ほんまに楽しんでな」 初戦の…
(12日、第107回全国高校野球選手権大会2回戦 尽誠学園3―0東大阪大柏原)
「甲子園は、ほんまに楽しんでな」
初戦の5日前。東大阪大柏原の土井健大監督(36)は練習後に、選手を集めて改めてこう伝えた。
「次打席で『こんな観客いるんや』と周囲の景色も見ながら、自分らの野球ができれば、楽しいと思う。俺が高校生の時には、それを楽しむ余裕もなかったから。そしていつも通り、周囲への感謝も忘れるな」
■履正社の「浪速のミニラ」、プロでもプレー
大阪の名門・履正社で主将・捕手・4番打者を務め、強打を誇る「浪速のミニラ」として、2006年春の選抜大会では甲子園の舞台も経験。オリックスや巨人などプロの世界でもプレーし、その後在籍した社会人野球では仕事をしながら野球に向き合った。
「30歳になったら、区切りとしてなにか新しいことをしよう」。今後の人生を考えていたとき、社会人野球で知り合った指導者から「東大阪大柏原でコーチをしないか」との話が来た。
同校は11年夏に初の甲子園出場を果たしたが、以降は成績が伸び悩み、監督交代も相次いでいた。
コーチとして赴任したのは2017年。野球部の当時の雰囲気は「最悪」だった。ボールやバットなどの道具はボロボロ。グラウンドの土も汚い。
そして選手たちが野球や大人に対して不信感を感じているようにも思えた。
「まずは野球に打ち込める環境を整えてあげたい。選手たちに大人として認められるようになろう」。そう決意した。
自ら部室を掃除し、1人でグラウンドの雑草を刈り、道具を手入れした。学校施設の一新を学校側に打診するなど、選手のためになりふり構わず環境を整えようとした。
2018年、監督に就任。その後、選手寮も完成した。選手たちも徐々に、野球に対する情熱を取り戻してきたように感じた。
技術指導以上にこだわるのは、「一流の選手である前に、一流の高校生であれ」。プロまで経験した野球人生で、選手としての活躍よりも人として大切なことがあると学んだからこそ、とりわけ人間教育に重きを置く。
■「おまえを見捨てない」
東大阪大柏原に集まる選手は、土井監督の知人からの紹介がほとんどだ。「私を信じられなかったら、子どもは預けないでください」と、入学前の生徒の保護者には必ず伝えている。地元を離れて入学を決めた生徒にも「俺はなにがあってもおまえを見捨てない」と伝える。
だからこそ、選手たちは同校に来た理由を「監督さんがいるから」「選手に向き合う土井監督の元で野球がしたいから」と口をそろえる。
土井監督は「選手に『出会えて良かった、こんな大人になりたい』と思ってもらえるような監督になりたい。だからこそ選手にも、今から出会う人を大切にしてほしい」と話す。
監督7年目の今年。粘り強い攻撃と継投策で大阪大会を接戦で勝ち上がり、決勝の相手は大阪桐蔭。4点差を追いつかれたが、延長十回タイブレークの激戦を制した。試合後には選手たちに胴上げされ、「やったぞー!」と喜びを爆発させた。
これまでの努力が実った瞬間だった。
選手と共に歩んでつかんだ甲子園。「一戦一戦向き合い、柏原らしくいつも通り戦う」。そう意気込んで臨んだ初戦は、尽誠学園(香川)が相手だった。
「こんな客入ってたんや。こんな音鳴ってたんや」。選手の時よりも冷静にスタンドを見渡すことができた。
「選手たちには申し訳ないけど、僕が一番楽しんでいたかもしれないです」
試合は主力選手のけがなどもあり、0―3で敗れた。試合後の取材で、「打線がなかなかつながらなかった」と振り返り、「全ては僕の責任。選手たちは本当に頑張った」と、選手らをたたえた。
激戦の大阪大会を勝ち上がり、甲子園を楽しむという目標は達成できた。
「次は甲子園で1勝、2勝と思ってくれる子たちと一緒に頑張りたい。また戻って来たい」と力を込めた。(渡辺萌々香、武井風花)