第107回全国高校野球選手権大会(朝日新聞社、日本高野連主催)で9日に初戦を迎える佐賀北の3年生部員は16人全員が、全…
第107回全国高校野球選手権大会(朝日新聞社、日本高野連主催)で9日に初戦を迎える佐賀北の3年生部員は16人全員が、全国制覇を果たし「がばい旋風」が巻き起こった2007年生まれだ。宮崎淳多主将らは不思議な縁を感じながら「新しい佐賀北の風を吹かせる」と意気込む。
07年の第89回大会で、出場2回目の佐賀北の前評判は高くなかった。開幕戦で初勝利を飾ると、延長十五回引き分け再試合を制するなどして勢いに乗り、決勝では副島浩史選手が逆転満塁本塁打を放って優勝した。
あの夏、佐賀の街は佐賀北一色だった。今のチームで中軸を打つ野田錬平選手の父、繁蔵さん(46)は8月22日の決勝を、仕事の打ち合わせを切り上げテレビで応援した。佐賀北の卒業生で、知人から全国制覇を記念するボールをもらった。9月に息子が生まれると、ボールと一緒に写真を撮り、翌年の年賀状にした。
代打の切り札、秋好和哉選手の母、知歌子さん(45)も同校の卒業生で「応援ツアーのお知らせが来たのに、和哉がおなかの中にいて行けず、悔しかった」と笑う。
がばい旋風について、当時監督だった百崎敏克さん(69)は「『がばい』は副詞で『とても』というような意味。副詞は用言を修飾するから『がばいうれしい』とは言うが、『がばい旋風』だと『とても旋風』になっておかしいねと冗談で話していた」と元国語科教諭らしく振り返る。今はアドバイザーとして選手と接し、「18年も経ったんだなー、と。そういう年に生まれた子が甲子園に出てくれたのは本当に感慨深い」と言う。
31歳の本村祥次監督は、優勝後、5年ぶりに全国選手権に出場した時の主将だった。「お帰り~」。第94回大会の開会式で受けた温かい大きな拍手が忘れられない。就任6年目、髪形は自由にして、今年のチームは初めて男子マネジャーを置かなかった。1学年の選手数が20人を切り、その役割を2人の女子マネジャーに託した。
百崎さんは「昔の通りやる必要はないし、時代も変わる。いろんなことを改革するのは良いこと」と後押しする。一方で「泥臭く、全力疾走、全員野球。思わず応援したくなるチームになろうというのは変わらない」とも。流れがある野球では、運やツキを呼び込める行動が大事という考えは、受け継がれている。
捕手の片渕絢心選手は自宅に「がばい旋風」を取り上げたDVDがあり、入学前から見ていた。「やっぱり、副島先生のホームラン、さすがにすごい。甲子園に来てみて、縁というものを改めて感じた」
片渕選手が副島「先生」と言ったのは、決勝で劇的な本塁打を放ち、36歳になった副島さんが今、佐賀県立高志館高の野球部監督を務めているからだ。夏の佐賀大会前、佐賀北の最後の練習試合の相手は高志館だった。副島さんは「合同練習などやった仲で、後輩だからうれしい」と祝福する。
副島さんのあの本塁打以降、甲子園で佐賀勢に本塁打は出ていない。今年の佐賀北は佐賀大会で本塁打はなかった。実は18年前も佐賀大会では0本。副島さんは全国大会を前に「ぶっちゃけ、甲子園でホームランを打ってみたい」と意気込み、大舞台で計3本塁打を放った。輝いた07年に生まれた後輩たちへ、「本塁打を打ってほしい。話題にもなりますし」とエールを送った。(森田博志)