(21日、第107回全国高校野球選手権埼玉大会5回戦 山村学園9―5早大本庄) 最後の打者になってしまった。外のスライダ…
(21日、第107回全国高校野球選手権埼玉大会5回戦 山村学園9―5早大本庄)
最後の打者になってしまった。外のスライダーにバットが空を切った瞬間、両ひざをついた。早大本庄・田中柊成選手(3年)の夏が終わった。
投手として大きく成長したきっかけは、2年前の秋季県大会だった。1年生ながら3回戦の山村学園戦に先発。しかし、5回を投げ本塁打を含む9安打を浴び、4失点。直球頼みの単調な投球しかできず、先輩の足を引っ張り続けた自分のふがいなさに、泣いた。
ずっとものにできなかったカーブを習得。持ち味の直球のキレと制球力に緩急が加わり、屈指の好投手へと成長していった。春季大会ベスト8でつかんだ今夏のシード権は、主将でエースで中軸打者の田中選手を抜きには語れない。
そして迎えた夏の5回戦。この山村学園戦は2年間待ち望んだリベンジ戦だった。しかし――。
疲れはなかったという。だが、直球は伸びに欠け、自慢のカーブは上ずった。一回、わずか10球で2点を失うと、その後もずるずると失点を重ねた。5回を投げ、毎回の被安打11、6失点。六回のマウンドに田中選手の姿はなかった。リベンジは、かなわなかった。相手の校歌を聞きながら涙が止まらなかった。
県内の中学3年生から選抜される「埼玉西武ライオンズジュニアユース」のエースだった。県内の強豪校に当時のチームメートたちがいる。自分の試合の直前に敗退した春日部共栄の藤崎柊一塁手(3年)もその一人だ。
こんなメッセージを敗戦後の藤崎選手から預かっていた。「おれたちの代わりに勝って、勝って、甲子園に行ってくれ」。田中選手にそれを伝えると、「藤崎……」。そう声を詰まらせ、再び泣き崩れた。(抜井規泰)