<2025年全国高校野球選手権大会東東京大会:堀越2-1東亜学園(延長10回タイブレーク)◇17日◇4回戦◇明治神宮野球…
<2025年全国高校野球選手権大会東東京大会:堀越2-1東亜学園(延長10回タイブレーク)◇17日◇4回戦◇明治神宮野球場
1980年代から90年代にかけて、東京の高校球界で西日本テーストのスキのない野球をしていたのが、中野区の東亜学園と堀越だった。東亜学園の監督だった上田 滋(現助監督)は東洋大姫路の出身で、堀越の監督だった桑原 秀範は広島商の出身で、同校の監督として夏の甲子園大会で準優勝したこともある。東亜学園も堀越も、彼らの教え子がチームを引き継いでいるが、足を使ったスキのない野球をすることは変わらない。
この試合、東亜学園は春季都大会の優勝に貢献した左腕の佐々木 俊(3年)が先発。堀越は背番号は8ながら、大事な試合を任されることが多い、やはり左腕の平子 太一が先発した。
先制をしたのは、東亜学園だった。3回裏に8番・佐藤 海斗捕手(3年)が二塁打を放ち、9番・佐々木の内野安打で一、三塁とし、1番・磯部 翔貴外野手(3年)のスクイズは内野安打になり、1点が入る。けれども堀越は、しっかり守り追加点は許さなかった。
東亜学園の佐々木は6回まで無失点に抑えていたものの、「ボールが先行していました」と語り、今一つしっくりしていなかった。そして7回表堀越は、6番打者で主将の佐藤 颯馬内野手(3年)が左前安打を放つと、東亜学園の投手が左腕の佐々木であるにもかかわらず、果敢に二盗に続き、三盗も決める。そして8番・荒関 悦詩外野手(2年)の中前安打で佐藤が生還し、同点に追いつく。こうした攻めは、かつて桑原監督の下、現在侍ジャパンの監督である井端 弘和が1番、そして現在の堀越の監督である野口 晃生が2番であった時代の堀越を彷彿とさせる。
その後は東亜学園の佐々木も、堀越の平子も得点を許さず、延長タイブレークにもつれこんだ。
10回表堀越は、投手ながら1番打者である平子からという好打順。しかし平子は一ゴロになったが、2人の走者は二、三塁に進塁した。そして代打の永野 友惺(3年)の右前安打で三塁走者は生還。しかし続けて本塁を狙った二塁走者は、アウトになり、1点止まり。無死一、二塁から始まるタイブレークで先攻のチームにとって、1点止まりというのは厳しい展開だ。
その裏東亜学園は先頭打者である途中出場の荒井 哉汰内野手(2年)は三振に倒れたものの、二塁走者の鈴木 朝陽外野手(3年)、一塁走者の政岡 亨汰内野手(3年)が重盗を仕掛けて成功する。「足は警戒していました」と堀越の平子は言う。序盤から走者が出ると、しっかり牽制をしていた。そして要所要所を締める投球で延長戦にもつれんだが、最大のピンチを迎える。
ここで東亜学園の6番・高見 遼汰内野手(3年)の打球は遊ゴロになる。三塁走者が本塁を突くべきかどうか、微妙なタイミングであったが、東亜学園に迷いはない。春季都大会の関東第一戦で9回サヨナラ勝ちした時も、一ゴロで本塁に突入した。「基本的にゴロストップという考えはありません」と東亜学園の武田 朝彦監督は言う。そうした果敢な走塁で攻め続け、春季都大会で初優勝した。
これも勝負の綾だが、堀越は10回表に遊撃手の金子 憲伸(3年)に代打・永野を送ったため、10回裏からは、二塁手だった主将の佐藤が遊撃手になっていた。そして佐藤からの落ち着いた送球で三塁走者の鈴木はアウトになった。
「ショートは変わったばかりでしたが、よくやってくれました」と、堀越の野口監督は語る。野口監督は、堀越から亜細亜大に進んだだけに、学生時代は徹底的に守備を鍛えられた。しかしその当時のやり方だと、今の時代、パワハラとか、しごきなどとみなされる。「選手たちにも昔のやり方は、できない」と言っています。ならば、緊張する場面でも慌てない守備をいかに作るか。ノックがノーエラーでないと終わらないといった練習を、あくまでもゲーム感覚でやって、緊張する場面でも落ち着いて守れる、守備力を付けてきた。
この場面、東亜学園の無理な走塁というよりも、落ち着いてアウトにした堀越の守りが良かったというべきだろう。
最後は7番・五十嵐遥貴内野手(3年)は中飛に倒れ、2-1で堀越が延長10回タイブレークの激戦を制した。堀越の平子は「10回を投げたのは初めてです」と語る。平子は134球を投げて被安打5、四死球1,奪三振8で失点1。「自分の悪いところが出た」という佐々木は148球投げて、被安打10、四死球4、奪三振4と苦しい投球ではあったが、タイブレークでの失点を除けば、失点はわずかに1。互いに持ち味を出した好ゲームだった。
なお、かつての強さを取り戻しつつある堀越は、5回戦で日大一と葛飾野の勝者と対戦する。