元阪神・狩野恵輔氏、4年目に初1軍も3球三振デビュー 2000年ドラフト3位で群馬県立前橋工から阪神に入団した捕手・狩野…
元阪神・狩野恵輔氏、4年目に初1軍も3球三振デビュー
2000年ドラフト3位で群馬県立前橋工から阪神に入団した捕手・狩野恵輔氏(野球評論家)の1軍デビューはプロ4年目の2004年9月22日の広島戦(広島)だった。代打で出て、結果は3球三振だったが、その年にはプロ初スタメンマスクも経験して「これでやれる」との思いだったという。ところが、5年目は絶不調。6年目に巻き返してウエスタン・リーグ首位打者に輝いたものの、1軍になるとさっぱり。また打ちのめされて……。
狩野氏はプロ1年目の2001年から3年目の2003年まで2軍で汗を流した。その間に阪神1軍監督は野村克也氏から星野仙一氏に代わり、2003年には18年ぶりの優勝で沸いたが、その輪に加わることはなかった。2軍指揮官も2003年から1軍コーチになった岡田彰布氏に代わって、元阪神正捕手の木戸克彦氏が就任し、さらに鍛えられた。
「1点取られても怒られました。例えば5-1で勝ったとしても『なんであの1点、ああなったんや』とか『昨日の1軍の試合見たか、あの場面の配球を言ってみろ』とか、しんどかったですね。でも、あの時いっぱい試合に出させてもらって、勉強になりました。今思えば、あれがよかったんですよ」。そしてプロ4年目(2004年)、ついに1軍昇格の日がやってきた。1軍監督は2軍監督時代からお世話になっている岡田氏だった。
9月4日に出場選手登録された。だが、この時は試合に出ることなく、1軍の空気を味わうだけで9月9日に抹消された。「コーチには『またチャンスがあるから』って言われました」。9月21日に2度目の登録。翌9月22日の広島戦(広島)で待望のプロ初出場となった。2-3の9回表に、「8番・遊撃」で出場していたルーキー・鳥谷敬内野手への代打で打席に入った。相手は広島助っ人左腕のジョン・ベイル投手だった。
「3球三振でした。ファウル、ファウル、空振り。全部振ったはずです。足がフワフワしていました。地に足がつかないというのはこういうことかって。振っているんですけど、振っている気がせぇへん、みたいな。ムチャクチャ緊張したのは覚えていますね」。矢野輝弘捕手、野口寿浩捕手に次ぐ第3捕手の立場でそこからしばらく出番なしが続いた。2試合目の出場は、阪神が5-1で勝った10月7日の横浜戦(横浜)。「8番・捕手」でプロ初のスタメンだった。
「向こうの(先発)ピッチャーは三浦(大輔)さん。こっちの先発は筒井(和也)さんでプロ初登板、初勝利だったんですよね」。2003年ドラフト自由枠で愛知学院大から入団したルーキー左腕・筒井を盛り立てて5回1/3、1失点。2番手・藤川球児投手がマウンドに上がったところで、狩野氏も矢野と交代となった。打撃は3打数無安打(右飛、三ゴロ、三飛)。その年の出場はそれで終わったが「今まで通りやっていけば、どうにかいけるんじゃないかと思っていました」と話す。
6年目に2軍で首位打者…1軍では攻守で結果残せず
オフには結婚もした。だがプロの世界は甘くなかった。岡田阪神が優勝した2005年、狩野氏の出場は2試合にとどまった。1軍登録された8月16日の横浜戦(大阪ドーム)での代走出場と、2-12で大敗した8月19日のヤクルト戦(神宮)で途中からマスクをかぶり、1打数無安打(空振り三振)のそれだけ。8月22日には登録を抹消された。2005年は2軍で打率.258、2本塁打、20打点。「調子が悪くて、バッティングもいろいろ改造しているんですけど、全然うまくいかない年でした」。
このままではいけない。もう一度、気を引き締めて臨んだプロ6年目の2006年は「バッティングが絶好調でした」と振り返る。2軍では打率.348でウエスタン・リーグの首位打者に輝き、10本塁打、44打点と大爆発。阪神2軍の優勝に貢献し、6-0で勝利したイースタン・リーグ覇者のロッテ2軍とのファーム選手権(9月30日、山形)にも「3番・捕手」で4打数1安打1打点。守っては阪神先発・中村泰広投手を好リードして4安打完封勝利に導いた。
それでもその時点までに1軍から呼ばれなかった。「1軍の層が厚くて、2軍で3割を打っても上がれない時代だったんです。で、その後に1軍に上がって、またショックを受けるんですけどね」。2006年の狩野氏の1軍出場は1試合だけ。ようやく登録されたのが10月14日で、シーズン145試合目(当時は146試合制)のその日の広島戦(広島)に「8番・捕手」でスタメン出場したが、結果を残せなかった。
岩田稔投手とのバッテリーだったが、阪神打線が初回に2点先行しながら、その裏に3点を失って逆転され、2回にも追加点を奪われた。打撃では広島先発・大竹寛投手の前に三ゴロ、見逃し三振の2打数無安打で途中交代となった。「2軍で首位打者を獲ったし、いけるぞって思っていたのに全く打てなかった。キャッチャーとしても駄目だった。あれだけ自信があったのに、あれだけファームでやったのに、1軍とはこれだけ差があるんだと思いました」。
ショックを受けながら狩野氏は「スイッチが入った」と言う。「このままだったら、ホンマに終わると思ったんです。自分が思っていたのとあまりにもかけ離れていたんですよ。でも、僕の野球人生って、打ちのめされて頑張って上がるんです。この時もね……」。苦しいことを経験してまた乗り越える。このオフに再び鍛錬を重ね、背番号を99に変えて臨むプロ7年目の2007年にはプロ初安打、初打点がサヨナラ打となるなど、ついに1軍で活躍のシーズンがやってくる。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)