早稲田大・伊藤樹インタビュー(前編) ドラフト候補はふたつのタイプに大別される。アマチュアでの実績を評価される「実戦型」と、将来性を評価される「ロマン型」である。 たとえ公式戦で結果を残していなくても、ロマン型の選手がドラフト戦線で脚光を浴…
早稲田大・伊藤樹インタビュー(前編)
ドラフト候補はふたつのタイプに大別される。アマチュアでの実績を評価される「実戦型」と、将来性を評価される「ロマン型」である。
たとえ公式戦で結果を残していなくても、ロマン型の選手がドラフト戦線で脚光を浴びることも珍しくない。実戦型の選手にとって、ロマン型がもてはやされるのは面白くないのではないか。早稲田大4年の伊藤樹(たつき)に尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「僕自身、スケールの大きいピッチャーを見ると『この体を制御できて、ゾーンで勝負できるようになったら、すごいことになるんだろうな』って想像してしまいます。もちろん、『そちら側になりたかった』という思いもありますよ」
早稲田大のエース・伊藤樹 photo by Kikuchi Takahiro
【昨季はエースとしてリーグ戦連覇に貢献】
伊藤は間違いなく、実戦型にカテゴライズされる投手だろう。5月15日現在、東京六大学リーグ通算16勝3敗、防御率1.97の実績を誇り、昨年は3年生エースとしてリーグ春夏連覇の原動力になった。
身長177センチ、体重84キロと、体格的には平凡の部類に入る。今春のリーグ戦で自己最速の152キロ(トラックマンによる計測)をマークしたものの、ストレートで押すタイプではない。スプリットなど多彩な球種を操り、両コーナーを正確に突くコントロール、機敏なフィールディングを含めた総合力で勝負する。
スケール感があるタイプではないだけに、「プロで通用するのか?」と懐疑的な目で見られることもある。もちろん、伊藤本人もそのことは自覚している。
もうひとつ、ドラフト候補の特性を大別するなら「天才型」と「秀才型」に分けられるだろう。何も考えなくても「できてしまう」天才型と、努力してコツコツと積み上げてきた秀才型。伊藤は自他ともに認める秀才型である。
天才型の選手を見て、苛立ちを覚えることはないか。そう聞くと、伊藤はこの日一番の高いトーンでこう答えた。
「イラッときますよ! 悔しくてしょうがないです。こっちは時間をかけてやってきているのに、天才はあっという間にやれちゃうじゃないですか」
実戦型の秀才──。それが伊藤という投手の表向きの顔だった。秀光中等教育学校(宮城)では、軟式球で最速144キロを計測。「ピッチトンネル」という概念が一般的ではなかった当時、ストレートの軌道から小さく落ちるスプリットを武器に完成度の高い投球を展開していた。
本来であれば、伊藤は「スーパー中学生」と華々しいスポットライトを浴びても不思議ではなかった。だが、当時の中学軟式球界には最速150キロを計測してしまう、森木大智(現・阪神)という大器がいた。ほかにも関戸康介(現・日本体育大)など、伊藤よりもスピードがある投手が存在した。伊藤は「自分で自分の価値を押さえつけてしまったところがあったのかもしれません」と振り返る。
「僕は物わかりのいいタイプなんです(笑)。同じグラウンドに立っていると、彼らのすごさがわかってしまう。こういう人たちが、ロマン型になるんだろうなって。だから自分は違う道を歩んでいきたいと、中学生の段階で思っていました」
伊藤の言う「違う道」とは、「勝てる投手」という実戦型の王道である。実際に試合後の記者会見で、伊藤は「勝てる投手になりたい」という思いを頻繁に語ってきた。
【殻を破ろうと試行錯誤の日々】
だが、これまで伊藤を見てきたなかで、「殻を破ろう」ともがき苦しむ時期があったように思えてならなかった。まるで優等生が興味本位でヤンチャに手を染めるような。そんな印象を本人に伝えると、伊藤は観念したように「おっしゃるとおりです」と認めた。
「自分のなかで勝手に抱いてしまったものを、どこかで崩していかないといけないと思ったんです」
高校2年の夏など、まさにそんな時期だった。2020年8月15日に甲子園球場で実施された甲子園交流試合・倉敷商(岡山)戦。2番手でリリーフ登板した伊藤は、全23球中21球をストレートで押しまくった。ボールがいくら暴れようとお構いなしに、力強く腕を振る。5年前の心境を伊藤はこう明かす。
「あの時は、成長していない自分への焦りや葛藤がありました。高校1年の時に甲子園で星稜(石川)に打たれて(1回1/3、5失点で降板)、この球速帯、ボールの強さでは勝てないと痛感しました。『どうすれば球が速くなるかな?』と、フォームを試行錯誤したんですけど、そんなに結果は出ませんでした」
2年秋頃から感覚をつかみ始め、3年春のセンバツでは好投。手応えを感じ始めたが、同年夏はコンディション不良で甲子園出場を逃した。仙台育英の須江航監督は「奥川恭伸くん(ヤクルト)がモデルになってくる」と伊藤の育成方針を語り、石橋を叩くように慎重に見守っていた。だが、伊藤は「奥川さんのレベルには、まったくたどり着けませんでした」と実感を明かす。
伊藤は須江監督と話し合ったうえで、高卒でのプロ入りを断念。小宮山悟監督からの誘いを受け、早稲田大への進学を決める。
大学進学後、再び伊藤に「ヤンチャ期」が訪れた。1年春からリーグ戦のマウンドを踏んだが、荒々しい腕の振りで内容は不安定だった。ボールが大きく抜けたと思ったら、続いてすばらしい球筋でコースに決まることもある。再現性の乏しい投球が続いた。
当時について、伊藤はこう振り返る。
「1年から試合で投げたいとは思っていましたけど、高校と同じことをやっていたら進歩はないと思いました。小宮山さんからも『先を見て、ひとつずつ計画を立ててやりなさい』と言われていて。その時は試合のなかで強いボールを投げることを覚えようとしていたんです」
結果にはつながらなかったが、伊藤がスケールアップするには避けては通れないプロセスだった。2年生に進級すると、今度は「人生で一番投げ込んだ」と振り返るほど、ブルペンに入り浸った。コントロールに磨きをかけるため、フォーム固めに取り組んだのだ。伊藤は「めちゃくちゃスピードは落ちたんですけど、ラインの収め方がわかりました」と語る。
そして、伊藤は奇妙な練習法を編み出す。野球選手にもかかわらず「メトロノーム(一定の間隔で音を刻む、テンポを合わせるための音楽用具)」のアプリを活用し、投げ込みを敢行したのだ。
つづく>>