1981年に“赤門旋風”を巻き起こした平野裕一氏が始球式に登板 東大は東京六大学野球リーグで唯一優勝経験がなく、1998年秋以降は54季連続最下位だが、シーズン6勝を挙げVに限りなく近づいたこともある。“赤門旋風”当時の監督・平野裕一氏が4…

1981年に“赤門旋風”を巻き起こした平野裕一氏が始球式に登板

 東大は東京六大学野球リーグで唯一優勝経験がなく、1998年秋以降は54季連続最下位だが、シーズン6勝を挙げVに限りなく近づいたこともある。“赤門旋風”当時の監督・平野裕一氏が4日、連盟結成100周年の「レジェンド始球式」に登板した。

 71歳の平野氏が投じた球は、捕手の手前でワンバウンド。「こういう機会を与えていただいて本当に光栄です。ワンバウンドしてしまったことは少し悔やまれますが、いい経験になりました」と笑みを浮かべた。

 平野氏が27歳の大学院生にして監督に就任した1981年(昭和56年)春。東大は早慶から勝ち点を奪い、初優勝の可能性もあると騒がれた。結局6勝を挙げながら4位にとどまったが、東京六大学野球史を彩る“赤門旋風”としてファンの記憶に刻まれている。当時の主将が、現在チームを率いている大久保裕監督である。

 時代が変わっても、東大が他大学に比べて高校時代の経験、技術、体格などで劣る状況に変わりはない。それでも赤門旋風当時の東大は、いち早くウエートトレーニングを取り入れるなど、他大学にないやり方で活路を見いだそうとしていたという。

 最近も、相手投手のデータをVR(バーチャルリアリティ)に落とし込み、事前に対戦を疑似体験するなど、先進的なアプローチを行っている。昨秋には慶大、法大から1勝ずつ挙げ、7年ぶりにシーズン2勝をマーク。平野氏は「(現在も赤門旋風当時と比べて)全然遜色ない、いいチームだと思います。いろいろ東大らしい試みをして、東大らしい人づくり、チームづくりをしてくれています。どこかで思い切りのいいプレーをして突破口を開けば、勝ちにつながるのではないでしょうか」と期待を寄せた。

慶大2回戦で同点に追いつく健闘、3盗塁でホームに迫るも「もう1本が出なかった」

 一方、大久保監督は“恩師”の平野氏について「攻撃的な監督だった方で、今もグラウンドに顔を出してくれて、『何かやらかせよ』、『変わったことをやれ』と言ってくれています」と明かし、「私も、普通のことをやっていても勝ち目はないと思いますし、少しは工夫をしているつもりですが、なかなか結果が出ない」と頭をかく。

 東大はこの日の慶大2回戦では、1点ビハインドの4回、四球と相手投手の暴投で得た無死二塁のチャンスで、4番の大原海輝外野手(4年)が中前適時打を放ち、同点に追いつく健闘を見せた。しかし、同点のまま迎えた7回の守備で、神奈川・慶応高が2023年夏の甲子園大会で107年ぶりの全国制覇を達成した時のレギュラーである渡辺憩捕手(2年)に勝ち越しソロを被弾。さらに6連打などでこの回計5点を奪われ、一気に突き放された。

 東大の攻撃陣は、5安打(そのうち3本は内野安打)に抑えられた中、3盗塁で相手守備陣をかき回しホームに迫ったが、結果は1-6の敗戦。大久保監督は「今日は結構走れましたが、もう1本が出なかったのが残念です」と惜しむ。

 今季の東大は今のところ6戦全敗で、残るは法大、立大との2カード。決して、むざむざと負けているわけではない。“令和の赤門旋風”が巻き起こる可能性はあるはずだ。(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)