今村猛氏のトラウマになった巨人・長野への死球 広島でリリーフ投手として活躍した今村猛氏は、プロ2年目だった2011年8月7日の巨人戦(マツダ)での出来事を忘れられずに野球人生を歩んできたという。長野久義外野手への頭部死球で危険球退場。「シュ…

今村猛氏のトラウマになった巨人・長野への死球

 広島でリリーフ投手として活躍した今村猛氏は、プロ2年目だった2011年8月7日の巨人戦(マツダ)での出来事を忘れられずに野球人生を歩んできたという。長野久義外野手への頭部死球で危険球退場。「シュートが抜けました」。以降、右打者への内角シュートは基本的に封印して外角中心の配球になった。「あの軌道がどうしても出てきちゃうんで……」。その後、カープに欠かせない戦力となっていったが、“苦しみ”とも闘いながらの日々だった。

 2011年6月1日の楽天戦(Kスタ宮城)に、5回3失点でシーズン3敗目。それが今村氏の1軍最後の先発になった。以降の登板はすべてリリーフだったが、最初から適性を見せていたわけではない。6月6日のソフトバンク戦(マツダ)では2番手で登板し、小久保裕紀内野手に3ランを浴びるなど1回2/3を8失点。立場を確立しはじめたのは、6月26日の中日戦(マツダ)でプロ初ホールド(1回2/3を無失点)をマークした頃からだ。

「あの時は、とにかく2軍に行かないように。それだけを考えていました」。7月に入って安定感が増した。3ホールド目を記録した7月12日の横浜戦(尾道)からは9登板連続無失点。そのうち7月28日のヤクルト戦(神宮)からは4登板連続ホールドと調子を上げてきたところで、8月7日の巨人戦を迎えた。登板数も含めて、すべてが初体験のような2年目20歳。「さすがに疲れていたのかもしれない」。“悪夢”が待っていた。

 2-3の7回から登板。7回は無失点に抑えたが、2イニング目の8回に連続二塁打を浴びて7月9日以来の失点を喫し、スクイズで追加点も許した。2死走者なし。ここで長野に左側頭部への死球を与えてしまった。「厳しいところにいかないと思って投げたんですが……。シュートが抜けて……」。危険球退場となり、長野は担架で運ばれた。この一投がトラウマになった。

“危険球後遺症”と闘いながら…高卒2年目で54登板の躍動

 右打者に内角シュートのサインが出ると、「あの軌道がどうしても(頭の中に)出てきちゃうようになったんです」。捕手のサインには、その度に「首を振っていました」と話す。それでも内角に投げなければいけない状況の時には「加減したり、変に抜けすぎないようにということばかり考えていました。気持ち悪さがありました」。自然と捕手も今村氏には外角中心の配球になっていたという。「僕も外角をすごく練習しました」。それが生き残る道でもあった。

 長野に謝罪した上で、今村氏はさらに必死になった。右打者への内角球が投げにくくなっていることを相手に悟られないように、マウンドでは今まで通りを貫いた。8月11日のヤクルト戦(マツダ)では、2-3の8回に登板して1回無失点。その裏に打線が逆転して、2勝目を挙げた。とはいえ長野への死球以前に比べると失点も増え、8月には3敗を喫した。表面上は黙々と投げていたが、その裏では“危険球後遺症”との闘いも繰り広げていた。

 だが、そこでズルズルと落ちていかなかったのは鍛錬、努力の証しだろう。外角球にどんどん磨きがかかっていった。9月下旬に守護神のデニス・サファテ投手が故障離脱した際には代役で抑えを務め、10月8日のヤクルト戦(神宮)では7-4の9回に登板。打者3人で抑えてプロ初セーブをマークした。20歳5か月でのセーブは当時の球団最年少記録だった。「覚えています。うれしかったですね」。

 先発でスタートし、リリーフに配置転換。さらに危険球退場といろんなことがあったプロ2年目は54登板で3勝8敗2セーブ13ホールド、防御率4.69。「内角に投げられれば、もちろんよかったんでしょうけどね」。精神的に苦しみながらも、何とか踏ん張って成長していった。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)