東北高校ではダルビッシュを擁し甲子園準V、若生監督の新たな挑戦 今夏の甲子園王者・花咲徳栄の優勝で幕を閉じた秋季高校野球…

東北高校ではダルビッシュを擁し甲子園準V、若生監督の新たな挑戦

 今夏の甲子園王者・花咲徳栄の優勝で幕を閉じた秋季高校野球埼玉大会。67歳の若生正広監督が率いる埼玉栄は先月29日に行われた準々決勝で今夏の埼玉大会4強の山村学園に2-5で敗れ、10年ぶりのベスト4進出はならなかった。

 若生監督は米大リーグ、ドジャースのダルビッシュ有投手を母校の宮城・東北高校で指導し、2003年夏の甲子園ではダルビッシュを擁して準優勝。監督を務めた1993年から04年まで、甲子園には春夏合わせて7度出場した。05年8月から指揮を執った福岡・九州国際大付属高校では、11年の選抜大会で準優勝。甲子園には通算11度出場し、大勢の教え子をプロ球界に送り込んだ。

 15年4月に埼玉栄へ復帰。「東北と九州国際は出場させたのに、サカエは甲子園に連れて行ってもらえません、と卒業生から言われてね。(故・佐藤栄太郎)理事長との(甲子園出場という)約束も果たしていなかったから」との理由で思い出の地に戻って来た。

 ダルビッシュの恩師として、甲子園の常連監督としてすっかり著名になった若生監督だが、指導者としてのキャリアをスタートさせたのが、ほかならぬ埼玉栄だ。法大から社会人野球のチャイルドでプレーし、スポーツメーカーに勤務した後、87年に埼玉栄に着任。36歳で指導を始め、就任2年目の春季県大会で準優勝し関東大会でも4強入りした。

 しかしそのころ低迷中だった東北高校の再建を要請され、わずか3年で埼玉栄を去ってしまう。「強化はまだまだこれからという時期だし、愛着もあっただけに苦渋の選択だった」と述懐する。

熱血指導続けた今夏、「この30年でこれだけまじめに面倒を見たのは初めて」

 07年に難病の黄色じん帯骨化症を発症し、独力では歩くこともできない状態ながら、埼玉栄の監督就任要請に応じた。復帰1年目の夏は185センチの大型右腕・出井敏博の活躍で8強まで進んだが、春は2回戦で敗れ秋は南部地区予選で敗退。2年目も夏はベスト16入りしたものの、春と秋はいずれも地区予選で姿を消し、県大会にも出られなかった。3年目の今年も春が地区予選、夏は初戦の2回戦で敗れ去っただけに今大会にかける意気込みは相当なものだった。

「この夏は早々に終わったから、厳しい練習を積んできた。朝9時から夕方4時まで、付きっ切りで指導したんだ。この30年でこれだけまじめに面倒を見たのは初めて。昔と違って今は言葉でも強く叱れないから、監督が一生懸命やっている姿を見せることが大切なんだよ」

 敗戦後の長い取材の間、言葉の端々には悔しさ、もどかしさ、やるせなさがこれでもかというほどにじんだ。

 プロ注目のエース右腕・米倉貫太ではなく、左の嶋田航を先発起用したが、3本の二塁打を含む5安打2失点で2回で降板。3回から米倉が継投したものの、4、5回にいずれも2死から計3失点。淡白な打線に援護はできなかった。

米倉は「素材的にはピカイチ」、再び過酷な練習へ

 首をひねる指揮官。「2人とも練習試合には強いのに、重圧のかかる公式戦になると弱い。新チームになって今日で30試合目だけど、東海大菅生と佐久長聖に負けただけ。山村さんより強いチームにも勝ってきた」と残念がるというよりあきれる。

 米倉の最速は146キロ。7、8月の1日1000回の腹筋をはじめとする体力・筋力強化により、150キロも期待された。若生監督は「指導してきた投手の中でも素材的にはピカイチ。でも勝負に弱い。特にランナーがいる時は全然駄目。球を置きにいってしまう」と指摘した。

 来春まで、また過酷な練習が待ち受ける。

「孫みたいな選手だし、特に多くは言わない。もっと練習しなさいと言うだけだね」

 いつまで監督を続けるのか――。そう水を向けるとニンマリしながら「もう年だからなあ。でも情熱はある」と答え、「東北と九州国際にあって埼玉栄に足りないのは、粘り強さとしつこさ。そこを何とかしたい」と言って長い取材を結んだ。

 ユニホームは東北、九州国際大付属と同じ縦じまで、胸のチーム名もローマ字に変えた。あとは甲子園だ。(河野正 / Tadashi Kawano)