(22日、第97回選抜高校野球大会1回戦 早稲田実8―2高松商) 高松商の三塁手・唐渡大我は試合が始まる前、守備位置につ…
(22日、第97回選抜高校野球大会1回戦 早稲田実8―2高松商)
高松商の三塁手・唐渡大我は試合が始まる前、守備位置につくと帽子とグラブを取った。本塁を背にかがんで、左手は胸に、右手は三塁ベースに置き、20、30秒ほど目を閉じる。「志摩さん、帰ってきました」と心の中で話しかけながら――。
志摩さんとは、1924(大正13)年の第1回選抜中等学校野球大会に出場し、決勝で早稲田実を破って優勝した時の三塁手、志摩定一さんのことだ。その年の冬に、肺の病気で亡くなった。
志摩さんは「俺は死んでも、魂は残って三塁を守る」と言い残したという。
その遺言から後輩たちが始め、伝統としていまも続いているのが「志摩供養」だ。
元々は選手たちが三塁ベースを囲んで円陣を組み、口に含んだ水をベースに吹きかけていたが、衛生面などの理由もあって、現在の形に落ち着いた。
捕手として入学した唐渡も、先輩がやっている姿を見て、その意味は知っていた。昨秋から三塁手となり、公式戦で自分も始めた。
「志摩さんと一緒に守っている感じがする、少し重みのあるポジション。自分も死ぬ気で、体を張ってボールを止めよう」
志摩さんのことは時々、長尾健司監督から聞いていた。今春の選抜大会の初戦で早稲田実との対戦が決まると、改めてその話になった。「志摩さんが亡くなって100年。その思いが、早稲田の試合を実現させたんじゃないの? だから、たぶん、グラウンドに志摩さんがいるよ」と言われた。
この日、唐渡は4番に座り、八回に右前へ適時打を放った。一塁ベース上で何度も、何度も、右拳を突き上げた。「絶対勝ってやるという思いだった」。だが、九回2死一、二塁で回ってきた第5打席は空振り三振。試合が終わった。
「夏、また甲子園に帰ってきます」。今度は、大先輩に吉報を届けるために。(大坂尚子)