日本一のマネジャーになりたい――。そんな思いを胸に第97回選抜高校野球大会に挑むのが、横浜(神奈川)の林田大翼(つばさ)さん(3年)だ。同校OBの父に憧れ選手として入部したが、監督からの打診を受け入れた。19年ぶりのセンバツ制覇へ、…

チームメートのリハビリを手伝う林田大翼さん=横浜市金沢区の横浜高校長浜グラウンドで2025年1月10日午後4時3分、矢野大輝撮影

 日本一のマネジャーになりたい――。そんな思いを胸に第97回選抜高校野球大会に挑むのが、横浜(神奈川)の林田大翼(つばさ)さん(3年)だ。同校OBの父に憧れ選手として入部したが、監督からの打診を受け入れた。19年ぶりのセンバツ制覇へ、サポート役としてベンチ入りしチームを後押しする。

「父を超えたい」と横浜へ

 「もう少し強く投げてみようか」。1月上旬、グラウンドでは筋力トレーニング用のメディシンボールを使い、仲間のリハビリにつきそっていた。選手のモチベーションを上げるため、笑顔は絶やさない。

 横浜市出身で小学3年で野球を始めた。中学では横浜旭峰ポニー(現・保土ケ谷中央リトルシニア)でプレー。横浜OBで中堅手として活躍した父・光伸さん(57)の背中を追い、「選手として超えたい」と父の母校の門をたたいた。

 毎朝6時ごろに起きて自主練習に参加し、放課後の練習を終えて帰宅するのは午後9時半過ぎ。自宅でも素振りをするなど、練習漬けの日々を送った。

 猛練習のかいがあって、昨春の県の地区大会では、初のベンチ入りを果たした。メンバー発表があった日は母・久代さん(53)の誕生日だった。「『誕生日プレゼントだよ』と渡された背番号を、ユニホームに縫うのがうれしかった」と久代さんは振り返る。

予期せぬ打診、気持ち揺れ

 昨夏はベンチ入りできず、チームも県大会決勝で敗退。新チーム結成後の8月上旬、村田浩明監督(38)から声をかけられた。「マネジャーをやってみないか」。予期せぬ打診に、悔しさや戸惑いが入り交じり、涙があふれた。

 帰宅後、監督からの言葉を父母に伝えた。「自分はどうしたいんだ。選手よりもマネジャーでいいのか」。小さい頃から必死に努力を続けてきた息子の姿を知る父も、気持ちが揺れ動いていた。「要請を受けるにしても、本人が納得してからでないとマネジャーも頑張れないと思った」と光伸さんは話す。

 相談したチームメートからは「林田がやりたいことをやったらいいよ」とアドバイスを受けた。だが、結論を出すことができず、体調を崩して1週間練習を休んだ。

 決め手となったのは「このチームで日本一になりたい」という思いだった。甲子園で優勝するために、何ができるか。自分に何度も問いかけて答えを出した。「マネジャーとして選手たちを支えていく」。光伸さんは「自分でした決断なら人に負けないマネジャーになれ」と背中を押した。

主将とともにチームの中心に

 マネジャーになって半年以上が経過した。遠征先に持って行くはずの野球道具をほぼ全て忘れるなど、失敗もあったが、チェックリストを作るなど、工夫しながら日々乗り切ってきた。

 普段は練習開始の1時間半前にはグラウンドに来て準備する。けがをした選手のリハビリに付き合ったり、試合になれば記録員としてベンチ入りしたりする。

 なぜマネジャーに起用したのか。村田監督は「気が利いて、先の先を読んで最初に行動できる人物。うちは阿部(葉太主将)と林田が中心のチーム」と絶大の信頼を寄せる。阿部主将も「グラウンドでいろいろ動いてくれて頼もしく、感謝している」と語る。

 センバツは記録員としてベンチに入る。「選手と同じ気持ちで頑張りたい」。頂点を目指すため、自分にしかできないことがある。決意を胸に憧れの舞台に立つ。【矢野大輝】