【柳田将洋が明かすドイツ移籍の真相 前編】日本を発つ前日にインタビューに応じた柳田 サントリーを退社してプロに転向した、バレーボール全日本代表の柳田将洋。ドイツ1部のチーム「TV Ingersoll Bühl(ティービー・インジェルソル・ビ…

【柳田将洋が明かすドイツ移籍の真相 前編】



日本を発つ前日にインタビューに応じた柳田

 サントリーを退社してプロに転向した、バレーボール全日本代表の柳田将洋。ドイツ1部のチーム「TV Ingersoll Bühl(ティービー・インジェルソル・ビュール)」に移籍を決め、9月20日に日本を発った。チーム合流直後に行なわれたイタリアでのカップ戦では、いきなりMVPに輝く活躍を見せ、チームの優勝に貢献。幸先のいいスタートを切っている。

 Sportivaは出国前の柳田に、悔しい結果に終わったグラチャンのことや、プロ転向、ドイツリーグを選んだ理由などを聞くことができた。新たな道を歩み始めた、25歳の日本のエースが見る未来とは。

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--今年5月に中垣内ジャパンが始動してから順調な足取りでしたが、グラチャンでは5戦全敗。世界トップのチームとの差をどこに感じましたか。

「高さとパワーで劣るのはある程度仕方ないことなんですけど、うまさや、つなぎなど、細かいプレーも負けてしまっていたと感じました。そこは、僕らが一番負けてはいけないところだし、アピールしていかないといけないところ。強みとして出せる部分だと思うのですが、そこが世界に対して劣ってしまった。そこはもっと精度を上げていかないといけないですね」

--グラチャンで世界のトップと戦えることを、どう思っていましたか。

「大会前のインタビューでは、『楽しめる大会ではない。世界のトップとどれくらい戦えるかという期間になります』と言ったと思うんですが、実際にそういう大会になりましたし、思っていた以上に厳しい戦いになりましたね。あれくらいのレベルのチームと対戦して『楽しめる』ようになるためには、よほどうまくならないといけないと感じました」

--逆に、ここは通用すると思ったところを教えてください。

「真ん中からの攻撃を組み立てられている時は相手に脅威を与えることができたと思いますし、そこを中心に組み立てるバレーボールをやっていけば通用することはわかりました。クイック、それに絡めたパイプ(バックセンターからの速い攻撃)、ライトからの攻撃がしっかり生きていましたし、相手より高さがない以上、そういう展開に持ち込む必要があると思います」

--最後のブラジルとの試合ではスタメンを外れ、中垣内監督のコメントでも、「サイドアタッカーを2m以上に大型化していきたい」ということが表明されました。186cmのサイドアタッカーとして、その流れをどう感じていますか?

「身長に関しては、もしかしたらジャンプ力がすごく伸びるかもしれませんけど、基本的には対応できることではないし、何も変えることはありません。僕は僕でしっかり自分のやるべきことをやるだけだと思います。

『やばい』とか、そういう感情はないです。僕は、2mの選手にはできないことをすればいい。経験なのか、スキルなのか、スピードなのか。それらをしっかりと高めていけば、道はあると思います。他の選手が活躍すると、これからバレーボールを仕事にする僕としては危機感があります。でも、そこを不安に思うのではなく、もっと自分に何ができるかを冷静に考え、腐らずに頑張りたいと思います」

--グラチャンでのご自身のプレーについての評価は?

「率直に言うと、よくはなかったです。サーブも名古屋大会の2戦では全然走っていませんでしたが、大阪に場所を移して、そこから少しずつ自分のプレーができるようになりました。サービスエースこそ取れませんでしたけど、相手のレシーブを崩して、Cパス(アタッカーがひとりしか選択できないパス)やDパス(ダイレクト返球、もしくはアタック返球できないパス)とかにして得点につなげる機会は結構あって。だから、サービスエースにこだわりすぎる必要はないと思います。返ってきたボールをしっかりつないで決めることもできました。ただ、全部の試合でいつも通りのプレーをすることができなかったことが、個人としてのこれからの課題だと感じています」




プロ転向を決意するまでの経緯について語る柳田

--試合中は、コート上のキャプテン的な役割を担って、チームを盛り上げていましたね。

「オミさん(深津英臣)が今年はキャプテンで、オミさんがコートにいると雰囲気が締まるんです。キャプテンとしての振る舞いや、声かけなどが本当に素晴らしい。でも、そのオミさんが出られない試合もありますからね。オミさんがやっていたことを見ていたし、それに劣らないようにという気持ちで、みんなに声をかけていました」

--今年の春に、プロ転向を発表した時の周囲の反応は?

「転向する前に母親に相談した際は心配されました。『その選択は大丈夫なの?』と。やはり、サントリーというすごい大きな企業を辞めてまでプロになるというんですから当然ですよね。でも、辞めることのマイナスを打破できるような、『自分のやりたいこと』もちゃんと伝えられました。そこに関しては躊躇(ちゅうちょ)はありませんでしたね。そうしたら、親も『じゃあ、やってみればいいんじゃない』と背中を押してくれました」

--その「大企業を辞めてまでやりたい」理由とは。

「『バレーボールで生きていきたい』ということです。自分のプレーを見た人に影響を与えられるかどうかが、自分の生活に返ってくる。もっと言えば、自分のプレーによって競技人口を多くしたい、バレーをもっと盛り上げたい、大きな存在にしたいといった感じです。選手としてしっかり結果を出して、それを生活にできたらと思っています」

--サントリーサンバーズの先輩である酒井大祐選手(2006年にプロ契約)から、いろんなアドバイスをもらったと聞きますが。

「酒井さんからはプロの厳しさを聞きました。酒井さんがJTからサントリーに来た(JT初優勝に貢献したが、そのシーズンで契約解除されサントリーに移籍)のは、僕もよく知っていましたし、その移籍の経緯の厳しさはリアルでしたね。会社員でなく、プロとしてやるのはシビアなことなんだというのを教えていただきました」

--プロになりたいというのは、いつごろから思うようになったんですか?

「1年半くらい前ですかね。ワールドカップ2015が終わってVリーグが始まる頃に『プロになりたい。海外でもやりたい』という気持ちが芽生えてきました。次の代表が始まる頃には、もう『プロでやりたいです』という話はさせてもらって。そこまで、酒井さんをはじめ、いろんな人の意見や話を聞いて自分の覚悟が決まりました。本当に周りの人に支えてもらい、感謝しています」

(後編につづく)