研究熱心さと人柄が評価され、31歳で2軍投手コーチ就任 NPB史上2人目となる通算250ホールドと10年連続50試合登板…

研究熱心さと人柄が評価され、31歳で2軍投手コーチ就任

 NPB史上2人目となる通算250ホールドと10年連続50試合登板を達成した日本ハムの宮西尚生投手。彼を最も近くで見てきたのは、入団当時投手コーチだった厚沢和幸ベンチコーチだ。選手として華々しい実績はないものの、周囲から絶大な信頼を寄せられる厚沢コーチとはどんな人物なのだろうか。

 大宮工高から国士舘大を経て94年のドラフト2位で入団した厚沢コーチは、1年目の95年に左の中継ぎとして7試合に登板したものの、なかなか1軍に定着できなかった。03年限りで現役を退くまでプロ9年間で1軍登板は42試合、防御率5.37の成績。選手として結果は残せなかったが、研究熱心さと人柄が評価されて、引退と同時に31歳で2軍投手コーチとして指導者人生をスタートさせた。

 厚沢コーチの名前が全国区になったのは、14年に国内フリーエージェント(FA)権を取得した宮西がオフに行った残留会見の時ではないだろうか。残留の決め手の一つとして宮西の口から「厚沢さんを日本一のコーチにしたい」という言葉が飛び出したからだ。

 ちょうどスコアラーからコーチ復帰へ異動が決まった頃だった。選手からこんなことを言われるのは、コーチ冥利に尽きるはず。そう思って聞いてみると、下積みが長かった苦労人は照れくさそうに笑った。

「『うん、そうして。勝って日本一になって』と思ったよ。まあ、うれしかったね」

 15年はリーグ2位に終わったものの、投手コーチからベンチコーチへと立場が変わった昨季、本当に日本一になった。最優秀中継ぎのタイトルも獲得して約束を果たした宮西は「日本一で恩を返せたので、これでタイになりました」と笑う。その心底うれしそうな口調とドヤ顔に、師弟コンビの強い絆がにじみ出ていた。

現役時代から養ってきた観察眼「もう趣味だね」

 宮西が入団1年目のキャンプ初日、厚沢コーチがリリーフとしての適性を見抜いた。キャッチボールを見た瞬間に「左が嫌がるボールの軌道を持っていた。コツをプラスすれば、左打者を確実に取れるピッチャーになる」と確信。オーバースローからスリークォーターにフォームを修正し、つきっきりで指導にあたった。宮西が壁にぶつかる度に、技術的にも精神心的にも乗り越える術を与えた。

 厚沢コーチが言うコツとは、自身の現役時代から養ってきた観察眼に基づいている。ファームでは若手がネット裏で登板投手の球種やコースを記録する。通常年齢が上になれば免除されるが、自ら志願してネット裏から様々な投手を観察し続けた。

「もう趣味だね。なぜスピードが遅くてもこの投手は打たれないのか。このピッチャーは速いのになんでバコバコ打たれるのか。いろいろ見ているうちに、フォームの見やすさだと気が付いた」

 現在、厚沢コーチはホームゲームの試合前練習ではフリー打撃で毎回登板しており、そこでヒントをつかむこともあるという。「自分で毎日投げていてわかることもある」。フォームを分析する力、クセ探しは超一流だ。

 もし、今の観察眼と知識があれば、現役時代にもっと活躍できたのではないだろうか。そんな質問をぶつけてみると、少し考えた後で「もうちょっと頑張れたかな」と笑い、こう付け加えた。「あの頃の自分が気付かなったことを若い子に降り注ぐということ」

「僕はどうでもいい。選手に上手になってほしいし、1年でも長くユニホームを着てほしい」

 手当たり次第に修正してきたわけではない。フォームを変える際には慎重に慎重を期する。「いじる前にどうなるか、何パターンかイメージする。美容室で髪を切るのと一緒。いじった後は戻せないから」。コミュニケーションを重ねて、育成にあたってきた。

 コーチとしての信条は、選手第一。「僕はどうでもいい。選手に上手になってほしいし、1年でも長くユニホームを着てほしい。『あっ本当だ!』と思ってもらえることがうれしいよね」と話す。

 昨季から日本では馴染みの薄いベンチコーチを務める。選手を直接指導するのではなく、監督に相談されたら答えるのが仕事だ。ヘッドコーチのように他の部門を統括する訳でもない。「スコアラーと連携は多い」とその頭脳で昨季の日本一に貢献した。

 現在はBクラス転落の原因究明に忙しい。「調子が悪かったとか、けが人が多かったでは済まされない。今年なんで失敗したのか。それを繰り返さないようにしないといけない」。その観察眼と研究心でチーム建て直しの一端を担う。(石川加奈子 / Kanako Ishikawa)