2024年、webスポルティーバで人気の高かった記事を発表します。本日は女子バレーボール日本代表としても活躍し、昨年4月に引退した宮下遥さんのインタビューです!(初公開日 2024年10月2日)元女子バレー日本代表宮下遥 引退インタビュー…
2024年、webスポルティーバで人気の高かった記事を発表します。本日は女子バレーボール日本代表としても活躍し、昨年4月に引退した宮下遥さんのインタビューです!(初公開日 2024年10月2日)
元女子バレー日本代表
宮下遥 引退インタビュー 中編
(前編:バレー女子日本代表で竹下佳江と比べられた日々 リオ五輪本番は「記憶が欠け落ちている」>>)
4月に現役引退を発表した、元女子バレー日本代表の宮下遥さんのバレーボール人生を振り返るインタビュー。その中編では、リオ五輪後に中田久美監督が指揮する日本代表でプレーした日々、現役最後のシーズンに黒鷲旗大会を制したこと、今後についても聞いた。
日本代表のセッターとして長く奮闘した宮下遥
photo by 坂本清
【"高速バレー"への適応に苦悩】
――リオ五輪後、中田久美さんが女子日本代表の監督に就任。求められる"高速バレー"への適応に苦労していた印象もあり、代表への招集が見送られることもありましたね。
宮下:久美さんの本当の気持ちはわからないですけど、たぶん、「一緒に戦いたい、頑張りたい」と思ってくれていたと思うんです。でも私は、東京五輪はもういい、代表はもういいとなっていました。久美さんに直接言ったわけではないですが、周りの人にはけっこう言っていたので、耳には入っていたと思います。だから、私のことを思いきって使いづらかったんでしょうし、一緒に戦えなかったんだろうな、と。
――先ほど(前編)は、リオ五輪後は古賀紗理那選手のためにも東京五輪へ、という意気込みを話していたかと思いますが......。
宮下:久美さんがチームとして求めるプレーが、頭ではわかっていても、実際に表現することができなかったんです。それでも久美さんは、「気持ちを見せてくれれば」という部分も絶対にあったと思うんですけど、「私はもうそんな高いレベルできないから、もっと上手な選手を起用したほうがいい。私なんかを使ったら、またリオ五輪みたいなことになる」と思い込むようになりました。
当時、「私と久美さんの仲が悪い」といった報道もありましたが、まったくそんなことはありません。私も、なんとしてでも久美さんの気持ちに応えたいという思いはあって、久美さんは私の自主練に付き合ってくれました。よく「遥、遥」と声もかけてくれましたね。久美さんの期待に応えることができなかった私が悪いんです。
――そこで苦しんだのは、所属する岡山シーガルズで求められるトスと、代表で求められるトスが違ったからでしょうか。どちらのバレーがいいというわけではなく、違う質のバレーの間で揺れ動いていたように見えました。
宮下:日本代表は、それぞれのチームのプレーができて、代表で求められるプレーもできる、使い分けができる選手が選ばれるところです。それができない人、私が行くからうまくいかなかった。自分が大事にしている部分は、代表でプレーしても変わらないと思っていたんですけど、ちょっとブレちゃって。そうなると、チームに戻った時の自分もブレてしまって、何が大事なのかわからなくなる時間がすごく長くなったんです。
――ひとつの策として、代表の戦術に近いチームに移籍することなどは考えませんでしたか?
宮下:周囲からは本当に何度も、「移籍したほうが遥らしくできる」「海外に行ったほうがもっとよくなる」などと言われましたが、一度も考えたことはなかったですね。「今の私があるのは岡山シーガルズと、河本昭義監督とチームのおかげだ」という思いが強かったので。
【「チームを優勝させたい」という願い最後に叶えた瞬間】
――宮下さんは「チームを優勝させたい」と言い続けていました。そしてキャリアの最後で、黒鷲旗大会を制してそれを叶えました。チームへの置き土産がチーム初タイトルというのは、すごく劇的でした。
宮下:河本監督は、黒鷲旗の開幕前に「優勝する」と言っていました。いつもは、そういうことをあまり言わない人なんです。もちろん外に向けては「優勝を目指す」と言いますけど。内に向けてそういうことを言わなかった。「優勝するぞ」と真剣なトーンで言うのは初めてだったので、「こりゃあ、頑張らなくちゃ」と思いました。
ただ、黒鷲旗のように連戦が続くと、シーガルズはなかなか体力が持たなくて、いいところまで行っても準々決勝や準決勝で終わることが多かったんです。でも今年は、主将の川島亜依美さんと、副主将の私が引退を発表したことで、最後までいい集中力が続いたんじゃないかと思います。初めての優勝だから「マグレ」と言われてしまうかもしれないですけど、監督のひと声から始まり、タイトルを獲るべくして獲れた、という大会だったと思います。
黒鷲旗で優勝したあと、胴上げされる宮下
photo by 坂本清
――現役生活の最後の最後に、優勝を成し遂げたことに関して思うことはありましたか?
宮下:黒鷲旗の決勝で勝った直後は、シンプルに大会を戦いきれたこと、優勝できたことの達成感がすごくありましたね。引退する実感はなくて、「ありがとうございます」という気持ちでいっぱいでした。これまでは、勝ちきって大会を終えたことがなかったですから。しばらくして、みんなとの最後の時間、最後のプレーだったんだ......という思いがうわーっと溢れてきました。
――今後の活動に注目しているファンも多いと思いますが、何か決めていることはありますか?
宮下:引退から何カ月か経って、いろいろアドバイスをいただくことも多いです。いろんな道があって、みんな「すごく素敵だな」と思うんですけど、すぐに決めてしまうと、選択肢が狭まってしまうことになるかなと。もうしばらくゆっくりして、今まで自分ができなかったこと、好きな時に好きなところに行って、好きな人たちに会っていろんな話をしながら、今後どうしていこうかを決めようと思います。
だから今の段階では、「私はこういうことをします」とは言えません。中学生の時からVリーグでプレーするようになったので、ほかに学びたいこともたくさんあります。今の段階でバレーボールに関わることをしようとしても、すぐに限界がきちゃうんじゃないかなって。何かを学ぶには時間は必要だけど、これからの人生も長いので、ゆっくり考えていきたいですね。
(後編:あらためて振り返る現役生活 印象に残った3つのシーン、人生を変えた人とは?>>)
【プロフィール】
■宮下 遥(みやした・はるか)
1994年9月1日生まれ、三重県出身。177cm。セッター。中学3年生だった2009年に岡山シーガルズに選手登録され、同年11月にⅤリーグ史上最年少出場記録となる15歳2カ月でデビュー。翌年3月には日本代表の登録メンバーに選ばれ、2016年のリオ五輪では正セッターを務めた。岡山シーガルズひと筋で15年プレーし、2024年4月に現役引退を発表した。