猪本健太郎さんが語るプロの厳しさ「来年も大丈夫と思っている選手いない」 ソフトバンクとロッテでプレーし、現役引退後はブルペン捕手としてソフトバンクを陰から支えた猪本健太郎さん。2023年限りで退団し、昨年9月に福岡市内で生花店をオープンさせ…

猪本健太郎さんが語るプロの厳しさ「来年も大丈夫と思っている選手いない」

 ソフトバンクとロッテでプレーし、現役引退後はブルペン捕手としてソフトバンクを陰から支えた猪本健太郎さん。2023年限りで退団し、昨年9月に福岡市内で生花店をオープンさせた。育成契約で入団し、2年目のオフには戦力外を意識したというプロ生活。転機となったのは、後にメジャーリーグへ挑戦する“原石”との過酷なトレーニングの日々だった。

 2008年育成ドラフト4位でソフトバンクに入団した猪本さん。戦力外通告を受けたのは8年目を終えた2016年オフだった。この年、ウエスタン・リーグで打率トップに「5糸差」の2位となる.30461、4位タイの11本塁打、同じく4位タイの48打点をマーク。結果を残してみせたが「もう準備してました。選手自身も分かるじゃないですか。『危ないな』って」と、球団からの通達を落ち着いて受け止めた。

 落ち込むことがなかったのは、すでに覚悟をしていたからだ。「多分、『来年も大丈夫』と思って過ごしているファームの選手はいないと思いますね。ルーキーとかは置いといても、5年目くらいの子でそう思わない子はいないんじゃないですか。僕も毎年、『もう終わりやわ』って言っていました」。

 最初に戦力外を意識したのは2年目を終えた2010年オフだったという。「これは無理やな」。頭に浮かんだのは、肩を落として地元の熊本に戻る自分の姿だった。「このまま帰ったら『俺、情けねえな』って思ったんですよ。さすがに何も爪跡を残さないで実家に帰るのはダメというか、嫌だったので……」。20歳にしてそう決意した直後、全日本ボディビル選手権を6年連続で優勝した高西文利さんがソフトバンクの臨時コーチになることが決まった。

転機となったボディビル王者との出会い「鍛えまくれば恥ずかしくねえだろ」

 猪本さんにとって、まさに運命の出会いだった。「もともと筋トレは好きだったので、『じゃあやろう』と。見た目で1番わかるじゃないですか。『こいつ頑張っているな』って。『鍛えまくれば恥ずかしくねえだろ』と。打つ、打たないとかもう置いといて。とりあえず何か残そうと思いましたね」

 翌2011年から週6日の筋トレ生活が始まった。2軍戦の終了後に30分のハードトレーニング。「上、下、その他の部位で1日ずつ。休みを挟んで、また上、下、その他っていう1週間。今のトレーニングと全然違いますよ。もっとゴリゴリの筋トレ。ぶっ倒れるのが日常でしたね。」。シーズン前は80キロだった体重は95キロにまで増加した。「増えた分は全て筋量です。体脂肪率は8%でしたね」。過酷な日々を励ましあう“同志”もいた。2010年の育成ドラフト4位で入団したルーキーの千賀滉大投手だった。

「僕と千賀、そして(2009年ドラフト2位で入団した)川原(弘之)で筋トレを引っ張っていきましたね」。トレーニングの効果は飛距離にも如実に表れた。2013年の開幕前に支配下登録された千賀を追いかけるように、同年オフに背番号が2桁に変わると、翌2014年にはウエスタン・リーグで17本塁打を放ち、タイトルを獲得。戦力外を覚悟してから4年で見間違えるほどの変貌を見せつけた。

 それでもプロの壁は厚かった。捕手陣は田上秀則さん、細川亨さん、山崎勝己さん、鶴岡慎也さん、高谷裕亮さんらがしのぎを削っていた時代。そして、千賀と同期入団した甲斐拓也捕手が頭角を現し始めた2016年オフに猪本さんは戦力外通告を受けた。入団テストで合格したロッテで1年間プレーしたが、2017年限りで現役を引退。通算16試合の出場をもってユニホームを脱いだ。

「俺は先にクビになるけど、お前は20年できるから。マジで頑張ってくれ」。自身の“夢”を託した相手が甲斐だった。巨人にFA移籍した後輩への思いは、誰よりも熱かった。(長濱幸治 / Kouji Nagahama)