終わりの見えないNBAのGOAT(Greatest of All Time=史上最高の選手)論争。昨今はマイケル・ジョーダン…

 終わりの見えないNBAのGOAT(Greatest of All Time=史上最高の選手)論争。昨今はマイケル・ジョーダンとレブロン・ジェームズの二大巨頭の比較ばかりが話題となるが、人間には人体的な衰えがあり、それぞれのキャリアにはピークが存在する。

 このGOAT論争に新たな視点を提供するべく、『HoopsHype』は独自の視点から歴代スターたちのキャリアにおける5年間のピークを選定。その期間のデータをもとに、新たなランキングを作成した。

 その結果、1位に驚きはないが、2位以下は非常に興味深い並びとなった。

1位:マイケル・ジョーダン


期間:1987年〜1992年

レギュラーシーズン成績:32.5得点、6.6リバウンド、7.4アシスト

プレーオフ成績:34.5得点、6.7リバウンド、6.8アシスト

受賞歴:NBAタイトル × 2、ファイナルMVP × 2、シーズンMVP × 3、オールスター × 5、オールスターゲームMVP × 1、オールNBAファーストチーム × 5、年間最優秀守備選手賞 x 1、オールディフェンシブファーストチーム x 5、スラムダンクコンテスト優勝 × 2、オリンピック金メダル x 1

 バスケットボールの神様が初優勝を果たしたのは、1991年のこと。そこから最初のリーグ3連覇を達成し、一時の引退を挟んで次のスリーピートの始まりが1996年のため、この期間こそジョーダンのピークと考えるのが自然だろう。

 しかし、『HoopsHype』は80年代後半のジョーダンは、優勝期のジョーダンと同等またはそれ以上の存在だったと述べている。特筆すべきは1987-88年シーズンであり、この年、ジョーダンは平均35.0得点、5.5リバウンド、5.9アシスト、3.2スティールという圧巻のスタッツを残し、リーグMVPと最優秀守備選手の個人二冠を獲得したほか、オールスターやオールNBAファーストチームにも選出された。

 優勝は、ライバルだったボストン・セルティックスの王朝終焉や、バットボーイズの異名を誇ったデトロイト・ピストンズに対してブルズがスイープを達成したチームメイトの強化も大きな要因としており、個人レベルのピークは初優勝前からのものだった。

 その理由のひとつとして、『HoopsHype』は独自の計算式から選手個人のグローバルレーティングを算出しているが、その結果に基づくと、ジョーダンはキャリア通算で9度のシーズンMVPを獲得するべきだったという(実際の獲得回数は5回)。以上の理由から、同メディアはこの時期のジョーダンを「狂気」と評している。

2位:カリーム・アブドゥル・ジャバー


期間:1970年〜1975年

レギュラーシーズン成績:30.8得点、15.5リバウンド、4.3アシスト

プレーオフ成績:28.5得点、16.8リバウンド、4.0アシスト

受賞歴:NBAタイトル × 1、シーズンMVP × 3、オールスター × 5、オールNBAファーストチーム × 4、オールNBAセカンドチーム × 1、オールディフェンシブファーストチーム x 2、オールディフェンシブセカンドチーム x 2

 NBA史上最多となる6度のMVP獲得、レブロンに次ぐ歴代最多得点記録保持者であるジャバーは、キャリア2年目からピークに到達。タイトル獲得数と所属歴を踏まえて、ロサンゼルス・レイカーズ時代の背番号33が目に浮かぶ読者も多いはずだが、『HoopsHype』のグローバルレーティングはミルウォーキー・バックスのジャバーこそ、同選手の全盛期だったという見解を示している。

 受賞歴の輝かしさこそジョーダンには見劣りするものの、ジャバーはミルウォーキーに球団史上初のタイトルをもたらしたほか、3度のリーグMVP、1度のファイナルMVP、2年連続の得点王、さらには1度のブロック王を獲得。リーグのブロック数が1973-74年シーズンからカウントされはじめたことを考慮すると、もう数回分、ブロック王の称号が増えていた可能性さえある。

 ジャバーもレブロンと同じく、長きにわたって一線で活躍した息の長い選手として知られているが、得点、リバウンド、ブロックのキャリアハイはデビューから7シーズンまでに集中しており、若くして全盛を迎えていた。『HoopsHype』は20代前半にして多くを成し遂げたジャバーについて、「GOAT論争で常に過小評価されている」と声を大にしている。

3位:ウィルト・チェンバレン


期間:1965年〜1970年

レギュラーシーズン成績:25.6得点、23.2リバウンド、6.5アシスト

プレーオフ成績:20.6得点、25.4リバウンド、5.2アシスト

受賞歴:NBAタイトル × 1、MVP × 3、オールスター × 4、オールNBAファーストチーム × 3

 もし仮に、チェンバレンがジョーダンやジャバーと同じ時代に生まれていたら、GOAT論争の結末は変わっていたかもしれない。それでも平均50.4得点、25.7リバウンドを達成した1961-62年シーズンを含まない『HoopsHype』のキャリアピーク選定は、大胆な予想と言えるかもしれない。

 当然ではあるが、チェンバレンもまたキャリア後半になるにつれて、数字のインパクトが落ち着いていった。同メディアが爆発的なスタッツではなく、60年代後半をキャリアベストと捉えた理由は、フィラデルフィアが生んだ伝説のビッグマンがこの時期に3度のMVPと初優勝を成し遂げたからだろう。

 

 なお、チェンバレンは1960年から7年連続でリーグ得点王に輝いており、選定期間に限定すれば、2度の得点王、4度のリバウンド王、そして1968年にはセンターとしては異例のアシスト王も獲得。打倒セルティックスを掲げて、得点効率を重視したプレースタイルへの変更があったのもこの頃である。

4位:レブロン・ジェームズ


期間:2008年〜2013年

レギュラーシーズン成績:27.8得点、7.6リバウンド、 7.3アシスト

プレーオフ成績:28.3得点、8.9リバウンド、6.4アシスト

受賞歴:NBAタイトル × 2、ファイナルMVP × 2、MVP × 4、オールスター × 5、オールスターゲームMVP × 1、オールNBAファーストチーム × 5、オールディフェンシブファーストチーム× 5、オリンピック金メダル × 1

『HoopsHype』のGOATランキングで2位にランクインするレブロンだが、自身が所持するシーズンMVPを全て獲得した時期にもかかわらず、5シーズン限定のランキングではその順位が4位にまで下落する。

 キングはキャリアを通じてスタッツにムラのない一貫性をもった唯一の選手だが、2008年以降の5年間は身体能力のピークであると同時に、周囲に影響力を与え、勝ち方を心得た時期だった。2012年と2013年には、当時所属のマイアミ・ヒートに球団が獲得した3つのチャンピオンリングのうち2つをもたらしており、世間から大きな批判を浴びたヒートへの移籍を結果で黙らせた。

 その後、レブロンは故郷クリーブランドへと戻り、キャバリアーズにタイトルをもたらし、現所属のロサンゼルス・レイカーズでも優勝を経験するわけだが、ヒート移籍を決断した2010年の“The Decision”の前後は自他共に認める同選手の絶頂期だった。

5位:シャキール・オニール


期間:1997年〜2002年

レギュラーシーズン成績:28.2得点、12.0リバウンド、3.1 アシスト

プレーオフ成績:29.7得点、13.5リバウンド、2.9アシスト

受賞歴:NBA タイトル × 3、ファイナルMVP × 3、MVP × 1、オールスター × 5、オールスターゲームMVP × 1、オールNBAファーストチーム × 4、オールNBAセカンドチーム × 1、オールディフェンシブセカンドチーム × 2

 ポジション別では常にその名前を見かけるものの、GOAT論争でシャックが5位以内に選出されるランキングはほぼないだろう。

 レイカーズといえば史上最高のフランチャイズプレーヤーであるコービー・ブライアントのイメージが色濃いものの、スリーピートを達成した2000年からの3年間はシャックの存在感が一層際立っていた。

 この時期のディーゼルは文字通りアンストッパブルな存在であり、万物を弾き飛ばす圧倒的なフィジカルと、その巨漢からは想像もできないテクニックの掛け合わせにより、対戦相手は理不尽なファウルでしかシャックを止めることができなかった。

 シャックは1997年から2002年の5年間で3度の優勝およびファイナルMVPの受賞のほか、2000年には得点王、そしてその全ての期間でフィールドゴール成功率1位に輝いている。だが、そんなシャックが、当時のライバルだったサンアントニオ・スパーズのティム・ダンカンに対して「唯一倒せなかった選手。彼がGOATという意見には俺も同意する」という賛辞を送っていることも忘れてはならない。

文=Meiji