日本国内には、さまざまなサッカーの大会が存在する。その中でも独特の地位を占めているのが、「全国社会人サッカー選手権大会…

 日本国内には、さまざまなサッカーの大会が存在する。その中でも独特の地位を占めているのが、「全国社会人サッカー選手権大会」だ。通称「全社」とは、どのような大会なのか。サッカージャーナリスト人生で初めて観戦した後藤健生が、同大会の「魅力」と「危険」を指摘する。

■目標は「JFL」への昇格

 さて、社会人連盟に加盟している「社会人」チームには全国リーグはなく、各都道府県リーグ、各地域リーグで戦っている。そして、各地域の1部リーグに所属するクラブの多くが全国リーグ、つまり日本フットボールリーグ(JFL)へ昇格することを目標にしている。

 それと同時に、すべての「社会人」チームが参加する、いわゆるカップ戦として存在するのが、全国社会人サッカー選手権大会なのだ。ここには、各地域の1部だけでなく、都道府県リーグに所属するチームも地域予選から参加できる。

 たとえば、今年の全国大会には東京都リーグに所属し、関東リーグ昇格を狙っているSHIBUYA   CITY FCが参加し、1回戦では中国リーグ所属で天皇杯で旋風を巻き起こしたこともある福山シティFCに勝利している。

 第1種チームが参加する全国選手権(カップ戦)としては、現在、下記の3つの大会が存在する。

 1つ目は、Jリーグや大学リーグ、社会人などを含めて協会加盟の第1種チームすべてに参加資格がある全日本選手権大会(天皇杯)。次に、各地域・都道府県の大学リーグ加盟チームに参加資格がある全国大学選手権(インカレ)。そして、最後にJリーグやJFLといった全国リーグと大学リーグ加盟チーム以外に門戸が開かれたのが、全国社会人選手権大会「全社」である。

 ちなみに、第60回全国社会人選手権大会には32チームが参加し、1回戦から決勝戦までを行った。全国9地域にある社会人サッカー連盟には、加盟チーム数に比例して出場枠が割り振られており、関東に7チーム、関西に5チームの出場枠が与えられ、最低でも2チームが参加できることになっている。それに開催県(今年は滋賀県)代表を加えた32チームが参加するのだ。

■大学生から「実業団」の時代へ

 今年が第60回大会ということは、第1回大会は1965年に開催されたということだ。つまり、全国社会人選手権大会は1964年の東京オリンピックの翌年に始まった、きわめて長い歴史を持つ大会でもある。

 当時は、「社会人」という言葉にも実質的な意味があった。

 日本のサッカーは、第2次世界大戦前までは大学チームによって牽引されていた。大学を卒業すると多くの選手は引退したが、社会人になってもサッカーを続ける選手もいた。企業内のチーム(実業団)でプレーする場合もあったし、クラブチームでプレーする場合もあった。

 ただ、多くの選手は全日本選手権には大学のOBと現役学生によって構成されるチームで参加していた。「慶應BRB」とか「早稲田WMW」といった名称のチームだ。天皇杯の歴史を紐解けば、こうしたチームが何度も優勝を遂げてきていることがわかる。

 しかし、戦後になると、実業団チームで強化に力を入れるチームが現われ始める。1954年には東洋工業(のちのマツダ。サンフレッチェ広島の前身)が実業団として初めて決勝に進出したが、慶應BRBに敗れた。そして、1960年には古河電工(ジェフ・ユナイテッド千葉の前身)が慶應BRBを破って実業団で初めて天皇杯を獲得した。

 その後、時代は実業団優位に移っていく。

 1964年には東京オリンピックが開かれたが、翌1965年には日本のサッカーで初めての全国リーグ、日本サッカーリーグ(=JSL~1992年まで、以降、ジャパンフットボールリーグ~1998年まで、の後を受け継いで、現在の日本フットボールリーグ=JFLに)が始まり、実業団の強豪8チームが参加した。

 そして、これと同時に全国社会人選手権も始まったのだ。

■「不参加チーム」のための大会

 それまで、社会人(実業団)チームが参加できる全国大会としては3つあった。一つは、天皇杯全日本選手権大会。そして、全日本実業団サッカー選手権大会があった(1948年に第1回大会)。これは、文字通り実業団(選手がすべて同一企業あるいは企業グループに所属するチーム)だけの大会で、クラブチームは出場できなかった。

 そして、さらに全国都市対抗サッカー選手権大会があった。これは、1955年に第1回大会が開かれており、クラブチームにも門戸が開かれて補強選手が認められていたので、他企業の選手が参加したり、複数の企業の合同チームが参加したりもした。

 今では、選手は必ず1つのチーム(クラブ)に登録されることになっているが、当時はそういうことが許されていたのだ。

 そして、天皇杯全日本選手権大会も含めて、こうした全国大会はすべて集中大会として開催されていた。全チームが特定の都道府県に集まって一斉に開催され、現在の全国社会人選手権大会と同じように、連戦のノックアウト式トーナメントとして行われたのだ。

 当時、日本代表の特別コーチとして招聘されていたデットマール・クラマー(西ドイツ)は、こうした大会を視察して、ノックアウト式では1回戦で敗れたチームは1試合しか経験できないこと。そして、準決勝、決勝となると、連戦の疲労が溜まってきて高いレベルの試合ができないこと、そうした弊害を指摘。リーグ戦形式の導入を提言したのだ。

 JSLは、このクラマー・コーチの提言を受けて発足した(「日本サッカーの父」と呼ばれるクラマー・コーチは地域リーグを想定していたようだが、当時の指導者たちは一気に全国リーグを発足させた)。

 そして、JSLに参加しなかった社会人チームのための大会として、新たに始まったのが全国社会人サッカー選手権大会だった。

 だから、「全社」が集中方式の連戦で行われるのは、大会が始まった1960年代のやり方をそのまま踏襲したものだということになる。僕が最初のほうで「今時、こんな……」と書いたのはそういう意味なのである。

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