神奈川大学陸上競技部駅伝チーム・中野剛新監督インタビュー 後編 第100回箱根駅伝終了後、神奈川大学陸上部駅伝チームを35年間率いてきた大後栄治監督が勇退し、一線を退いた。そのあとを継ぎ、監督に就任したのが中野剛である。前回の箱根駅伝は21…

神奈川大学陸上競技部駅伝チーム・中野剛新監督インタビュー 後編

 第100回箱根駅伝終了後、神奈川大学陸上部駅伝チームを35年間率いてきた大後栄治監督が勇退し、一線を退いた。そのあとを継ぎ、監督に就任したのが中野剛である。前回の箱根駅伝は21位に終わり、神奈川大の再建を託された中野は初陣となった全日本大学駅伝予選会で7位通過を果たし、好スタートをきった。2028年の大学創立100周年に向けて"強い神奈川大"を実現するために、中野監督はどのようにチームを再建していくのだろうか。


第100回大会で1区を走った巻田理空

 photo by AFLO

――2021年にコーチになられて、2023年にヘッドコーチに就任されました。実際に駅伝チームを指導し始めて、驚いたことはありましたか。

「大後先生の指導方針でもあったと思うんですけど、学生が嫌がることは無理にさせないスタンスが確立され、決め事も学生が全部決めていくので、すごいなと思いました。その一方で課題も見えていました。全体でやっていこう、という部分でチームがひとつになりきれていないところがありました」

――1月の箱根駅伝後、監督に就任されました。まず、最初に取り組んだことはどういうことだったのですか。

「昨年のチームは巻田理空(現Kao)や小林篤貴(現NTN)をはじめ4年生に優秀な選手がたくさんいましたが、箱根の結果は21位でした。その強い4年生が抜けて、残った学生たちに、まずは自分たちの力のなさを春までに認識させようと思っていました。これから箱根の予選会を突破し、シード権獲得という目標に向けて厳しい練習を課していくのですが、受け入れてからでないと学生は動かないと思いました」

――その考えは、選手たちの間で理解が進んだのでしょうか。

「自分たちの力のなさを理解してもらううえで大事な役割を果たしてくれたのが、キャプテンの飯塚(厚・4年)です。彼は昨年と同じことやっていたら、昨年を超えることができないという考えでした。僕も、35年やってきた大後監督を超えていくために何か新しいことを始めないといけないと思っていたなかで、彼が学生たちを集めて、箱根の結果を見ても自分たちに力がないということを噛み砕いて説明し、何が足りないかを話し合うようにチームをリードしてくれました」

――4月からのトラックシーズンは、どう進めていったのですか。

「箱根の強豪校と比べて能力が高い子ばかり集まってくるわけじゃないですし、強い選手を上回れるような練習がまだ十分にできていません。そう考えると、せめて経験値を上げておきたい。今後、もうひとつ上のステージにいくために、準備のできている学生に関してはレースや実戦練習を多く取り入れました」

 自主性を重んじると、厳しさや一体感に欠けるところも出てくるが、今のところはいい方向に進んでいる。全日本大学駅伝予選会では結束力を高め、それぞれが自分の力を発揮することに注力し、見事7位で予選を通過した。

――全日本の予選会はお見事でしたが、大会へのアプローチはどういう感じで進めていったのでしょうか。

「実は選考会に出場できる状況かどうかも微妙でしたが、出なければ始まらないので10000mをメインに準備しました。選考会については、最後のミーティングで『余裕があればラスト2000m、ラスト5周、ラスト5分間、勝負していいよ。迷うぐらいなら勝負して負けたほうがいい』と伝えました。みんなそれを理解してくれたと思うんですが、1組目の滝本(朗史・2年)は、ラスト3000mから飛び出していったので、さすがにヒヤヒヤしました。でも、あの飛び出しがチームに勢いをつけました。うちも万全ではなかったのですが、大崩れする選手がいなかったのが突破の要因だと思います」

――1月から指導してきたなかで、ひとつ結果を出せたのは、監督のなかでも何か手応えになるものを感じられたのではないでしょうか。

「手応えというよりも、新しい気づきがありました。予選会前、学生が『いけるよ』という感じだったので、『そんなに甘くないけどな』と思っていたんです。でも、1カ月前の調整段階に入って伸びてくる選手がいたので、学生はこの段階でも成長するんだなって驚きました。ちょっと前まではメンバーに入ることが考えられない子が急に強くなるんです」

 選考会の次の日、中野監督は箱根にドライブに出かけた。箱根駅伝のコースを自分の目で確かめるためだった。1998年の第74回大会以降、25年間、優勝から遠ざかり、ここ数年は、予選会で躓いたり、箱根に出場しても低迷が続いている。

――改めて箱根の山を見て来て、何か感じたものはありましたか。

「今年のチームは来年の1月3日で終わりたいと改めて思いました。同時に箱根で戦うには、やはり山が大事だなと。5区は往路の締めですし、6区は復路のスターターです。ここで差を詰められるし、広げられるので、すごく重要です。」

――箱根の予選会突破に向けて今後、神奈川大をどういうチームにしていきたいと考えていますか。

「箱根はもちろん、出雲、全日本と3つの駅伝に出られるチーム、3大駅伝にずっと出続けられるチームを目指したいと思っています。そのためには、指導はもちろん、スカウティングなど、すべきことが山積していますが、学生や支えてくれるスタッフと一緒に目標を達成していきたいと思っています」

 話をしていると、中野監督の再建への情熱が伝わってくる。

 大後総監督が「人としても指導者としても、剛しかいない」と後任を任せた理由が垣間見えた気がした。優しい人柄の中野監督は、学生から『監督』ではなく、親しみを込めて『剛さん』と呼ばれている。中野監督が学生時代、弟を含め中野姓が3名おり、苗字で呼ぶと3人振り返るので、大後先生が名前で呼んでいた。昨年も甥っ子を含め、中野姓が3人おり、それぞれ名前で呼ばれていた。それがそのまま、今も続いている。

「ずっと剛と呼ばれてきたので、『監督』って、今さら呼ばれても変な感じなんですよ」

 中野監督は、そう言って笑った。

 自主性を重んじながら選手へは提案型で打診し、学生主体を崩さずにまとまりや一体感を生むようにしている。これまで足りなかったピースが埋まり始め、今年の神大はかなり勝負強いチームになりそうだ。

■Profile
中野剛(なかのつよし)
1991年神奈川大学入学。2年時には箱根駅伝デビューを飾り、その後も3年時には1区、4年時には2区を担当した。卒業後、佐川急便(現SGホールディングス)に入社。選手として活躍後、2008年に同監督に就任。2021年からは神奈川大学陸上競技部駅伝チームコーチに就任し、2023年に同ヘッドコーチに就任した。