現在、日本サッカーはトップのJ1リーグのみならず、あらゆるカテゴリーでレベルアップを示している。その中でも異彩を放つの…
現在、日本サッカーはトップのJ1リーグのみならず、あらゆるカテゴリーでレベルアップを示している。その中でも異彩を放つのが、関東リーグ1部の南葛SCだ。率いるのは、風間八宏監督。天才指導者とチームの冒険を、サッカージャーナリスト後藤健生がつづる。
■カウンター炸裂で「悔しい結果」に
関東サッカーリーグ1部第15節、南葛SC対東邦チタニウムの試合が東京・葛飾区の奥戸総合スポーツセンター陸上競技場で行われ、カウンターを炸裂させた東チタが3対1で勝利した。
内容的には、開始直後からホームの南葛SCがボールを支配し、何度も決定機をつかんでいたのだが、そこで1点を決めることができなかった。
そして、40分には東チタのGK射庭康太朗が蹴ったFKを飯島秀教が頭でつなぎ、清水光から戻ってきたボールを飯島が決めて東チタが先制。さらに45分にも、飯島、安東輝がつないだボールを渋谷拓海が遠目から強引にシュートを決めて、あっと言う間に東チタが2点をリードした。
後半に入って、再びホームの南葛SCが攻撃を仕掛け、88分に右CKに加藤政哉が頭で決めて1点を返すことに成功したが、アディショナルタイムの90+5分には東チタの後藤準弥がロングシュートを決めて東チタが快勝した。
決定力の差による結果だった。
90分を通してボールを握り続け、何度も決定機がありながら決めることができなかったのだから、南葛SCにとっては非常に悔しい結果となった。
■名将の目標は「優勝」「昇格」ではない
これがJリーグだったら、監督は記者会見の冒頭で「サポーターの皆さんにお詫びをしなければ……」と切り出したに違いない。監督が謝罪しなければ、サポーターの怒りは収まらないだろう。
ところが、南葛SCの試合後、監督は「面白かったでしょ?」と話を切り出した。南葛SCの監督とは、あの風間八宏氏である。
もっとも、これは公式の記者会見でもないし、「囲み」でもなく、風間監督と僕の1対1の立ち話だった。だから、風間監督も安心して「面白かったでしょ?」と言ったのだろうが……。
もちろん、選手もチームも監督も勝利を目指して戦っているのは当然だ。相手より1点でも多くゴールを決めて勝利するのがサッカーというスポーツの目的だ。
さらに、勝点を積み重ねて順位を上げて優勝を目指すのがリーグ戦というものであり、そして、その先に「昇格」という目標もちらついてくる……。関東リーグというカテゴリーのリーグなら、上位に入って地域サッカーチャンピオンズリーグに挑戦して、JFL昇格を狙う……。
どのチームも、どの監督も、そうした目標を持って戦っている。
だが、風間監督の目線はそこにはない。
「うまくなること」
それが、このチームの目的なのだ。
南葛SCは1983年に創設されたクラブチームだが、2013年にサッカー漫画の金字塔『キャプテン翼』の作者である漫画家、高橋陽一氏を後援会長に迎え、漫画の中で大空翼が所属していたチームと同じ「南葛SC」に改称。2019年には高橋氏をオーナー兼代表として法人化され、翌2020年にはJリーグ百年構想クラブとして承認された。同年には東京都リーグ1部で優勝し、関東リーグ2部昇格を決め、同2部は1年で通過し、2022年から関東リーグ1部で戦っている。
そして、2024年から、かつて川崎フロンターレの監督として、のちにJ1リーグで4回の優勝を記録する川崎の基礎を築いた風間を、監督兼テクニカルダイレクターに迎えて注目を集めているのだ。
■レギュラーも決めずに「40人」を試しながら
チームには稲本潤一や今野泰幸、大前元紀といった代表クラスをはじめ、何人もの元Jリーガーが在籍するが、同時に無名の選手も多く、初めて関東1部で戦った昨年はリーグ戦で6位に終わり、JFL昇格に続く地域チャンピオンズリーグ出場はならなかった。
将来のJリーグ入りという大きな夢を描く一方で、関東1部の中堅だったチームを名将の誉れ高い風間監督がどのように強化するかに注目が集まった。
風間監督は、さっそく、ボールを動かす独特のトレーニングにとりかかったという。登録選手数が40人を越える中、最初はレギュラーも決めずに、40人を試しながらのスタートだった。
川崎の監督に就任する前、風間氏は筑波大学監督を務めていた。
現在の筑波大学は高校年代のトップクラスの選手が集まる強豪校だが、風間が監督を務めていた時代はそれほどの有力選手が集まる大学ではなかった。春のシーズン開幕当初は目を引くようなチームではないのだが、風間監督のトレーニングのおかげで選手たちがどんどんうまくなって、大学リーグが閉幕し、全日本大学選手権(インカレ)が始まる頃には優勝候補と見なされるようになる……。
そんなことが、何年も続いていた。
そして、満を持して風間氏は川崎の監督に就任。谷口彰悟や車屋紳太郎など、筑波大学出身の選手も数多く川崎に入団した。
さすがに、プロリーグでは大学リーグでのように1年でチームを強豪に育て上げることはできず、なかなか勝てない時期もあったが(そもそも、勝つことが目的ではないのだから)、風間監督の下でパスをつなぐスタイルのサッカーを確立し、風間が退任して鬼木達が監督に就任してから、川崎はJ1リーグの絶対王者として君臨することになった。