ニッポンコールに沸くパリのボッチャ会場。試合後、温かい拍手に包まれて「幸せでした」と杉村英孝は笑顔をたたえた。団体種目で3大会連続のメダル獲得を目指した混合団体BC1/BC2の挑戦は、銅メダルという形で幕を閉じた。団体戦ならではの緊張感を楽…
ニッポンコールに沸くパリのボッチャ会場。試合後、温かい拍手に包まれて「幸せでした」と杉村英孝は笑顔をたたえた。団体種目で3大会連続のメダル獲得を目指した混合団体BC1/BC2の挑戦は、銅メダルという形で幕を閉じた。
団体戦ならではの緊張感を楽しむために個人戦では、女子(BC1)の遠藤裕美が銅メダルを獲得したものの、男子はBC2で連覇を目指した杉村が準々決勝敗退、悲願のメダル獲得を目指してパリに乗り込んだ廣瀬隆喜も予選敗退に終わった。
ボッチャは個人戦の後、団体戦がある。「モチベ―ション的に切り替えるのが難しかった」と、パラリンピック初出場の遠藤は言う。それはベテラン2人も同じだ。
「個人戦の悔しい気持ちを、チーム戦にぶつけたいと思っていた。個人戦が終わった段階から、3人でコミュニケーションを取る時間をすごく増やした。試合に入る直前まで“しりとり”をしてチームの雰囲気を上げて試合に入れた」(杉村)
「個人でメダルを獲れず悔しい結果だったが、みんなで笑い合いながら部屋で過ごす時間をつくり、コミュニケーションを図って初戦を迎えた」(廣瀬)
コート外を含む、さまざまな策を講じて戦う気持ちを整えた。
1エンドを6球で戦う個人戦に対し、チームではひとり2球(3人で6球)で戦う。それだけに、より的確な投球を求められ、投球する選手にプレッシャーもかかる。そんな状況を楽しむメンタリティを大きな舞台で発揮することができるか。それも、メダル獲得へのカギになったのではないだろうか。
難敵続きでも自分たちのプレーを見せることができたそんななかで迎えた決勝トーナメント。初戦は快勝、続く2戦目は負け続きだった韓国に5―3で勝利し、予選を突破した。
「仲間をカバーして最少失点に抑えることが、最近勝てていなかった韓国への勝ちにつながった」(杉村)
翌日の準々決勝はブラジルと対戦。劣勢からタイブレークに持ち込み、エース杉村の一投で劇的な勝利を収めた。その後、準決勝では、ボッチャ新興国のインドネシアに0―9で完敗し、金メダルの夢は途絶えたものの、杉村は最後の一投まで勝負がわからないボッチャの醍醐味を体現できたことに胸を張った。
そして、一夜明けて行われた3位決定戦は韓国に8―3で勝利。先攻の日本は、相手に有利な第2エンドで3得点し、第5エンドでも杉村がジャックボールを動かす「スライス」を成功させて2点を加えた。
「コンディションは、万全ではなかった。でも、試合のなかでの緊張感や観客の声援がすごく後押しをしてくれて、 気持ちよくプレーをさせてもらえた結果、自分のパフォーマンスに現れたのかなと思っています」
もちろん悔しさもある。「やっぱり金メダルを目指して乗り込んだので」と前置きをしつつ、杉村は言う。
「思いっきり戦っていく姿(を見せることが)が金メダル以上に価値のあるものだったのかなと思っているので、 この銅メダルという大きなメダルをすごく誇りに思っています」
再び挑む険しきパラリンピックへの道3位決定戦に臨んだ日本代表は、準決勝の負けからどう切り替えて強豪との一戦に挑んだのか。大会前から、ボッチャの“深い魅力”を発信したいと、話していた廣瀬は、その強い思いを確認して試合に挑んだようだ。
「日本のムーブメント、ボッチャのブームというところは、切らしてはならないという気持ちがあった」
「リオより東京、東京よりパリ」をテーマに心技体を磨いてきた日本ボッチャ界のレジェンドは、堂々と語る。
「準々決勝では、最後に杉村さんが空中からぶつけるショットを見せた。寄せる、乗せるだけじゃないボッチャの魅力をいろんな人に見ていただいた。東京(大会のとき)とは違う、ボッチャの面白さ、楽しさをパリの地でお見せできたと思う」
杉村もこう語る。
「ムーブメントを一番推し進めてくれるのがパラリンピックの舞台だと思うので、そこで勝つことがすごく大事だと思うし、だからこそ銅メダルを獲れたことが未来につながることだと思う」
ボッチャをプレーする国が増え、勢力図も変化している。東京大会以降、使用できるボールのルールも変わった。
「メダルへの道も険しかったが、パリに出場できるまでの道も険しかった」と杉村も廣瀬も口を揃える。
「パラリンピックは、ひとつの通過点。でもやっぱりパラの舞台ってすげえなっていつも思わされて、こんな最高の舞台で大好きなボッチャができるって幸せだなって思う。そこに出るまでの道のりはやっぱり本当に険しくて大変なんですけど、またそこにチャレンジする意味はあるのかな」と杉村。
多くの観客が注目する中で、ライバルたちと高いレベルで競い合える場所。「4年後、パラリンピックのコートに立ちたいな」と遠藤。2028年のロサンゼルスパラリンピックでも、火ノ玉JAPANの進化した姿を見たい。
text by Asuka Senaga
photo by Hiroyuki Nakamura