WOWOWのドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」。パラアスリートや障害を持つアーティストの内面に迫る内容で、国内外から高い評価を得、数々の受賞歴もある。これまで、良質の番組を作り続ける制作者の思いや、日本のパラスポーツ中継の歩みにつ…

WOWOWのドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」。パラアスリートや障害を持つアーティストの内面に迫る内容で、国内外から高い評価を得、数々の受賞歴もある。これまで、良質の番組を作り続ける制作者の思いや、日本のパラスポーツ中継の歩みについて取材してきた。最終回となる第3回では、日本のスポーツ中継の歴史を築いて来たテレビマン、田中晃・現WOWOW会長の“哲学”を聞いた。

▶第1回 WOWOWがパラアスリートのドキュメンタリー番組『WHO I AM』を作り続ける理由  を読む

▶第2回 『WHO I AM』を作り続けるWOWOWが伝えたいパラスポーツの真髄 を読む


WOWOW会長の田中晃氏。日本テレビ時代、不可能と言われた箱根駅伝の生中継を成功させた

箱根駅伝生中継という不可能への挑戦

日本テレビ在籍時代に、今や正月の風物詩となった箱根駅伝のテレビ生中継を初めて成功させたWOWOWの田中晃会長は、スポーツ中継で最も大切なことは「フィロソフィー(哲学)の具現化」だと話す。それはどのようなものなのか。

「スポーツというのは、独占中継が基本です。つまりは、視聴者は制作者を選べない。『ありのままに見せてくれたらいい』なんて意見もありますが、それはそれで難しいことなんです。中継をする以上では、そこには中継をする側が何を伝えるかを明確にし、それを自覚することが重要です」(田中氏)

そのことをはっきりと認識した出来事の一つが、1987年に初めて生中継された箱根駅伝だった。

“箱根中継”で守り続ける最重要事項とは?

今でこそ正月の風物詩となった箱根駅伝だが、当時は生中継をすること自体が不可能だと考えられていた。総走行距離は往路と復路を合わせて10区間、217.1km。フルマラソンの5倍をゆうに超える。さらに山登りの5区は標高差800mを一気に駆け上がる。正月の時期なので、天候によっては路面凍結の危険性があるなかを、中継車が確実に選手を追いかけなければならない。

そもそも、知名度は高くても、箱根駅伝は関東圏の大学が実施しているローカル駅伝大会でしかない。それでも、これほど人気があるのはなぜなのか。なぜ、選手は大会に出ることに青春を捧げるのか。田中氏は、箱根駅伝初のテレビ生中継の総合ディレクターに指名されたとき、その理由の重さに驚かされた。

「過去に出場経験のあるOBたちに話を聞くと、みんな少年のように目を輝かせながら、人生の宝物のように語るんです。一方で、大会本番で思うような走りができずにブレーキがかかった人は、人生の大きな挫折として心の傷になっている。箱根駅伝で走ることは、ランナーにとってそれほど重いものなんです」

OB選手たちに話を聞き続けるうちに、箱根駅伝には出場した選手たちに共通の想いがあることがわかった。もちろん、チームの最大の目標は総合優勝だ。次に大切なのは10位以内に入って翌年のシード権を獲得すること。そして、選手個人として重視されていたのは区間賞争いだった。

「これらのポイントは、今なら、箱根駅伝をテレビ観戦する人は誰でも知るようになりました。でもそれ以上に、箱根駅伝に出場するランナーが大切にしている価値がある。それは、『タスキを次につなぐこと』なんです。その重みを、どの人も熱く語る。すごいなと思って、だから中継ではタスキリレーを中継のフィロソフィーの最重要事項にした。日本テレビは1987年に箱根駅伝の生中継を開始して以来、全校全区間のタスキリレーを中継している。誰一人としてカットしたことはない。つまるところ箱根駅伝とは、どの大学が勝つかというよりも、タスキを繋ぐ選手個人のドラマの集合体です。それを表現できなければ、中継する資格はないんです」

個人のドラマが重要で、それを象徴するのがタスキリレーである。だからこそ、レースを実況するアナウンサーが「○○大学がタスキを渡しました」という表現を使うことは許されない。大学名と一緒に、必ず選手個人の名前を伝える。こういった決め事を田中氏は「フィロソフィーの具現化」と呼ぶ。中継の本番前には、700人にのぼる中継スタッフに対して、このフィロソフィーを徹底するのだという。

パラスポーツは社会を変える

パラスポーツのアスリートを伝える時も、基本は同じだ。選手たちの肉体から逃げない。正面からそれを伝える。そして、メダル獲得だけではなく、自分自身のこれまでの限界、自分を超えた瞬間を伝える。それがパラスポーツならではの価値だからだ。

さらには、パラスポーツは社会を良い方向に変えていく力があると考えている。

「パラスポーツの競技力が向上して、パラリンピックで活躍して、世界で認知されることは大切です。しかし、それはゴールではない。老若男女、性別、宗教、肌の色の違い、障害の有無、障害といっても発達障害もあれば知的障害もある。そんな多様な人たちが、それぞれの個性が尊重されて、社会に受け入れられていく。今の日本では『ダイバーシティー・アンド・インクルーシブ社会』なんて言うけど、そんな社会がいつ実現できるかわかりません。ですが、大事なのは、そのベクトルに向かっていく“歩み”ではないでしょうか」

目標を持つ姿が人の心を打つ

田中氏は、現在はWOWOWの経営陣の一人として会長職に就いているため、番組制作の現場からは離れている。一方で、23年6月からは、それまで理事を務めていた車いすバスケットボール連盟の会長に就任した。現在は、車いすバスケを「する人」「みる人」「ささえる人」を増やすことを目標に掲げ、2030年までに選手やスタッフの登録者を1500人、車いすバスケ天皇杯の観客動員数1万人、サポーター会員1万人、スポンサー企業を10社増やすことを目指している。特に、子どもたちに車いすバスケを体験してもらう機会を増やすことを重視している。


車いすバスケを「する人」「みる人」「ささえる人」を増やすのが目標だ。右端が田中晃会長

「最初は『東京パラリンピックの中継をどうするか』というテレビ屋としての発想しかなかったのが、だんだんとパラスポーツが、今の時代に必要な社会課題を克服する力があると考えるようになったんですよね。それを実行するには、子どもたちへの教育と地域に根ざすこと。それが大切で、30年後の社会へのプレゼントになると思ってます」

それが田中氏にとっての「新しいフィロソフィーなのか」とたずねると、笑いながら「まあ、後付けだけどね」と答えた。そして、こう付け加えた。

「僕は信じているんです。スポーツの本質を伝え続けていけば、みんな気づいてくれると」

パラスポーツの魅力とは何か。スポーツ中継のプロとして探究を続けてきた田中氏が、それを象徴するものとして紹介してくれたのが、パラ水泳で13個の金メダルを取った南アフリカのナタリー・ドゥ・トワの言葉だった。

「私自身、自分より重い障害のある選手の姿に心を打たれる。これがパラリンピックに参加し続けたい理由だ。人生の悲劇とは、生涯で自分の目標が達成できないことではない。悲劇とは、目指す目標を持てなくなることだ」


目標を持ち続ける姿に胸打たれる。パラスポーツの大きな魅力のひとつだ

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