いよいよフランスで初めての夏季パラリンピックが始まる。パラリンピック研究の第一人者でイギリス・コベントリー大学准教授のリサーチフェロー、イアン・ブリテン氏に、“パラリンピックにまつわる雑学”を教えてもらった。1964年の東京大会には、3つの…

いよいよフランスで初めての夏季パラリンピックが始まる。パラリンピック研究の第一人者でイギリス・コベントリー大学准教授のリサーチフェロー、イアン・ブリテン氏に、“パラリンピックにまつわる雑学”を教えてもらった。

1964年の東京大会には、3つの大会名があった!

3つの名前が存在する背景には、「大会が2部構成で行われたこと」、「大会をわかりやすく紹介するため」という理由がある。

大会の1部は、車いす使用者が参加する「国際ストーク・マンデビル大会」、2部は、すべての身体障がい者が参加できる「国際身体障がい者スポーツ大会」という構成だった。

当時「国際ストーク・マンデビル競技大会」の知名度は低かったため、大会組織委員会は、「オリンピック開催後に開催国で行われる国際ストーク・マンデビル競技大会。つまりParaplegia(対まひ者)のOlympic(オリンピック)である」と記者たちに説明した。そしてある記者が「それならパラリンピックにしたらどうか」と言い、“正式な愛称”として使われた。

1964年の東京大会の記録用紙が2日間行方不明?

“やり正確投げ”とは、やりを投げる線から、男子は10m、女子は7mの距離にある直径3mの標的に向かってやりを正確に投げて採点する競技。1960年のローマ大会からしばらく実施されていた。

東京大会の記録は公式記録ではないため、国際パラリンピック委員会のWEBページにも掲載がない。

・選手や大会関係者などにアクレディテーション(アクセス権限)カードを発行した初めてのパラリンピックである。

・東京オリンピック1964のスポンサーの一つだったたばこ会社は、パラリンピックを記念したパッケージデザインのたばこを作った。

・やり投げ、砲丸投げ、円盤投げの初日、冷たい向かい風のために競技が中断され、のちに再開された。

2012年のロンドン大会で、オランダの車いすテニス選手が470試合連勝
photo by X-1

フェルヘールが最後に負けたのは、2003年1月30日の試合だった。フェルヘールは2013年2月に引退。つまり、約10年間無敗だったことになる。

12歳で車いすテニスを始め、1999年に初めて世界ランキング1位になったフェルヘールは、13年間世界チャンピオンを守り続け、シングルスで169のタイトルも獲得している。

「史上最も成功したパラリンピック」がイギリス国民に与えた4つのインパクト

さまざまな成功を収めたロンドン大会は、史上最も成功した大会といわれている。国民や、イギリスに住む人たちの考えにも多くの変化をもたらし、今もなおそのレガシーが受け継がれている。

・イギリス文化やイギリス製品を紹介する一環として、陸上競技のフィールド種目では、投てき用具をサークルに運ぶ際などには、無線操作(ラジコン)式のミニチュアの「Mini(ミニ)」が使われた。Miniはイギリスで誕生した小型乗用車として有名だ。

多くのイギリス人らが観戦したロンドンパラリンピックphoto by X-1
フランスは夏冬のパラリンピックを開催した7番目の国になる!

夏冬のパラリンピックを開催した国と都市は以下の通り。

-ローマ(夏季、1960年)

-トリノ(冬季、2006年)

-東京(夏季、1964年と2021年)

-長野(冬季、1998年)

-トロント(夏季、1976年)

-バンクーバー(冬季、2010年)

-ロサンゼルス(夏季、1984年)

-アトランタ(夏季、1996年)

-ソルトレークシティ(冬季、2002年)

-ソウル(夏季、1988年)

-平昌(冬季、2018年)

-北京(夏季、2008年)

-北京(冬季、2022年)

-アルベールビル(冬季、1992年)

-パリ(夏季、2024年)

夏冬合わせて2度目のパラリンピックが行われるフランスphoto by Takamitsu Mifune

主な研究テーマは、障がいとパラリンピックスポーツの視点から見る社会学的歴史学的スポーツマネージメント。イギリス・ベントリー大学准教授

▶インタビュー記事:パラリンピック研究の第一人者が語るオリパラのレガシーとは

text by TEAM A

key visual by Takamitsu Mifune