まもなく始まるパリ2024大会。パリでオリンピックを迎えるのはこれが3度目で、前回1924年パリ大会から100年ぶりの開催となる。さらに歴史を遡れば、最初にパリでオリンピックが行われたのはなんと1900年、ギリシャのアテネに次いでパリが第2…
まもなく始まるパリ2024大会。パリでオリンピックを迎えるのはこれが3度目で、前回1924年パリ大会から100年ぶりの開催となる。さらに歴史を遡れば、最初にパリでオリンピックが行われたのはなんと1900年、ギリシャのアテネに次いでパリが第2回大会の大舞台に選ばれた。
このときパリへの誘致をすすめたのは、国際オリンピック委員会(IOC)の創立メンバーで「近代オリンピックの父」と呼ばれるピエール・ド・クーベルタン男爵。しかしこの1900年大会はその運営から競技の内容まで、現在私たちが親しんでいるオリンピックとはかなり異なったものだったようだ。そこで今回は知って楽しい1900年のパリオリンピックの豆知識を紹介する。
すでに万博開催が決まっていたパリで、クーベルタンが奔走パリへのオリンピックの誘致が決まった時、実はすでに1900年パリ万博の開催が決定しており、オリンピックのための場所もなければ予算も十分に割けない状態だった。クーベルタン男爵と万博運営側との長い交渉と譲歩ののち、「万博の中のいちスポーツイベント」としてオリンピックが行われることになる。
そしてこのオリンピックははっきりとした開会式もなく、万博の期間に合わせて1900年5月14日から10月28日までという長期間に及んだ(現在は、オリンピック期間は最大16日間と憲章で定められている)。さらには万博運営側が、オリンピックの名称は使わずに「国際スポーツ競技大会」と呼んだため、一般にはそちらの名称が定着してしまったそうだ。
幻の熱気球レース、間に合わないメダルなど混乱の大会運営競技は陸上競技やサッカー、テニスのほか、水泳、フェンシング、射撃、自転車競技(トラック)などが万博会場内で行われた。参加は26チーム、テニスやポロなど複数の競技で各国の選手で構成された混成チームが存在したため、「国の威信をかけて」という意識は薄かったであろうと想像される。主役となったアスリートは陸上競技のアルビン・クレンツレーン選手(アメリカ)で、60m走、ハードル、走り幅跳びなど4種で金メダルを獲得した。参加選手総勢997人のうち22人と少人数ながら、女子選手が初めて参加した大会でもあった。ちなみに女性初の金メダリストは、テニス女子シングルスのシャーロット・クーパー選手(イギリス)だった。
そして、現在ではとても考えられないような競技があったのが1900年大会の特徴でもある。生きた鳩を的にした射撃競技が行われたそうで、「残酷すぎる」と以降は廃止になったとか。会場では熱気球レースやセーヌ川での魚釣りなども行われたものの、これらはオリンピックとして実施された競技と認められなかった。
肝心のメダルも製作が間に合わず、大会から2年経ってようやく勝者の手元にメダルが届いた、と語られている。
1900年パリ万博、街に今も残る足跡一方、1900年のパリ万博自体は、新時代の幕開けを象徴する歴史的大イベントとして世界中から注目された。参加国はこぞって当時の最新技術を展示し、電気を使った動く歩道や、一般化されたばかりの自動車の展示が人気を集めた。参加国は40を超え、当時のフランスの総人口を超える5100万人の入場者数を記録した。こうした万博の大きな規模と人気に、まだまだ歴史の浅かったオリンピックが飲み込まれてしまった格好だ。
1900年というと遥か昔のようだが、このときにつくられた建造物は、今もパリの街のあちこちで見ることができる。印象派の絵画コレクションで知られるオルセー美術館は、もともとこの1900年万博訪問客のために作られた鉄道の駅舎を改装したもの。セーヌ川をはさんで右岸、左岸に分かれていたパビリオン会場の移動をスムーズにするため、彫刻やアール・ヌーヴォーの照明が美しいアレクサンドル3世橋も開通している。
万博パビリオン会場として建設され、現在もイベント会場として使われているのはグラン・パレ。近代的な鉄骨とガラスの屋根に古典様式のファサードを組み合わせた壮麗なグラン・パレは、つい先日改装工事が終わったばかり。パリ2024大会の会場として、フェンシングやテコンドーの実施が予定されている。パリの街のあちこちに残る歴史の足跡にも注目しながら、大会観戦を存分に楽しみたい。
text by Yuka Miyakata(Parasapo Lab)
photo by Shutterstock