サッカー日本代表のパリ五輪挑戦がスタートした。初戦のパラグアイ戦では5-0の快勝。56年ぶりのメダル獲得に向けて、これ以上ない好発進を遂げたU―23日本代表でキャプテンを務める、藤田譲瑠チマ(22)にインタビューを敢行。  第3回は、サッ…

 サッカー日本代表のパリ五輪挑戦がスタートした。初戦のパラグアイ戦では5-0の快勝。56年ぶりのメダル獲得に向けて、これ以上ない好発進を遂げたU―23日本代表でキャプテンを務める、藤田譲瑠チマ(22)にインタビューを敢行。
 第3回は、サッカーとの出会いから、サッカー一筋だった少年時代、そして「うまくなりたい」サッカー少年少女へのアドバイスまで、とことん聞いた!

「試合中に使うものではないので」

――では、藤田選手のサッカーとの出会いから、プロとして世界に羽ばたいていくまでを、転機、エピソードとともに振り返らせてください。できましたら、藤田選手に憧れる、サッカー少年たちへのアドバイスもいただけたら幸いです。

藤田 わかりました。

――3歳のクリスマス。目を覚ますと、枕元にサッカーボールが置かれていました。うれしくて、保育園でも小学校でも、暇を見つけてはボールを蹴っていたと。すぐにワンバウンドリフティングができるようになったとお母さまが話されていましたが、普通のリフティングや100回、両足でなど、いつぐらいにできたのでしょうか? また、うまくなるためのコツはありますか?

藤田 リフティングは実際に、試合中に使うものではないので、そこは大事かと言われたら、自分はそうだとは、あまり思わないんですけど。
 でも、サッカーが好きだったら、自然とボールを触る回数が、日常生活の中で増えてくると思うんで、そういった中でボールの感覚とかをつかめたら、おのずとリフティングもできるようになるんじゃないかなと思います。

――なるほど。ボールと多く触れ合ったほうがいいということですね。
 藤田選手は物心ついた頃には、サッカーを仕事にしたいと考えていたといいます。また、小学校の頃は、携帯電話を持っていなかったので、暇な時間があったら、「グラウンド集合」と号令をかけて、チームの連絡網で友達の家に電話して、サッカーのメンバーを集めていたとも。
 ガキ大将的だったと話されているチームメイトもいらっしゃいました。どんな小学生時代だったんでしょうか?

「サッカーIQが少しずつマシになった」

藤田 小学校のときは、本当にサッカー一筋でした。休み時間はもちろん、学校が休みのときやサッカーの練習が休みのときも、みんなに連絡して、空いているグランドや公園でサッカーをしていました。

――サッカーが好き過ぎたんですね。

藤田 好き過ぎるというか、本当にサッカーしか頭になかったんで。飽きたら鬼ごっことか、そういう別の遊びもやっていましたけど、基本はサッカーをやるという感じでした。

――小学校のときは、肉体的に他の子よりも優れていたこともあって、フィジカルに寄ったプレーやドリブルが大好きだったとか。
 ゴールキーパーのときにはドリブルで持ち上がって、相手選手を全員抜き去って、ゴールトゥゴール(11人抜き)を決められたとの話も。監督には、相手に失礼だからダメと怒られたそうですが。
 小学校のときからボランチ(守備的MF)以外、センターバックやフォワード、サイドハーフなどさまざまなポジションでプレーしたことで、他の選手がボランチにどうしてもらいたいか、どういうプレーをしてもらいたいか、ということを学ばれた。
 そういったことで、周囲の人間を生かすプレーに目覚めていくわけですが、その際、自分のプレーの幅や、広い視野を身につけられるために、意識してやられたことはありますか? 

藤田 練習中、コーチが自分に対して話してない、アドバイスしていないことでも話を聞くようにして、いろいろな目線からサッカーが見られるように、というのは、小学校のときから意識してやっていました。

―――他のポジションのアドバイスを聞くことで、司令塔としての素養、ゲームメーカーの資質を磨いていったんですね。

藤田 ゲームメイクというよりも、さまざまなポジションや、いろいろな角度から学ぶことで、サッカーIQが、少しずつマシになったのかなと思っています。

藤田譲瑠チマ(ふじた・じょえる・ちま)
2002年2月16日生まれ、東京都町田市出身。ナイジェリア人の父と日本人の母との間に生まれ、小学生時代は町田大蔵FCでプレー。東京ヴェルディの下部組織で才能を伸ばし、2019年9月にトップチームデビューを果たす。その後、当時J1の徳島ヴォルティスから横浜F・マリノスを経て、2023年7月にベルギー1部リーグのシント・トロイデンへ完全移籍。日本代表デビューは、2022年7月の香港戦。4月にカタール・ドーハで開催されたU23アジアカップで、キャプテンとして日本代表を優勝に導き、自身も大会MVPに輝いた。パリ五輪出場を決めた準決勝のイラク戦では、長短2種類のパスで2アシストし、2-0の勝利に貢献。その広い視野、デュエルの能力、正確な技術、試合の流れを読む洞察力は、A代表の遠藤航(リヴァプール)以上との評価も。大岩剛監督の下、7月25日(パラグアイ戦)からのパリ五輪に挑む。ポジション=MF。身長175cm、体重76kg。

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