万感の思いを込めた初優勝だった。1月の能登半島地震で被害を受けた鵬おおとり学園(石川県七尾市)の男子サッカー部。6月の石…

万感の思いを込めた初優勝だった。1月の能登半島地震で被害を受けた 鵬おおとり 学園(石川県七尾市)の男子サッカー部。6月の石川県高校総体決勝で強豪・星稜に先制されながら、試合終了間際の決勝点で、逆転勝ちした。寮や練習場所を失った選手たちに強さをくれたのは、サッカーでつながった全国の仲間たちだった。

「感謝をどうやったら表現できるかだけを考えてプレーした」。センターバックの竹中健之助選手(3年)は、振り返った。

能登半島の付け根にある七尾市は1月1日夕、震度6強の激しい揺れに襲われた。部員44人は帰省中で無事だったが、寮周辺の地面が液状化。選手たちは約1か月間、自宅待機を余儀なくされた。

部活ができない苦しみを赤地信彦監督(39)は、旧知の仲だった帝京長岡(新潟県長岡市)の監督・古沢徹さん(38)に打ち明けた。「うちにきなよ」。そう答えた古沢さんの脳裏に浮かんだのは、20年前の新潟県中越地震。長岡市は震度6強を観測し、当時学生コーチだった古沢さんは、選手たちのつらさを目の当たりにしていた。

同高では、2選手が練習に参加。他の選手たちも、小松大谷や金沢龍谷、真岡(栃木県真岡市)、名古屋、東山(京都市)など県内外の計約20校が受け入れてくれた。

8年前に熊本地震を経験した熊本国府は支援金を送った。鵬学園とは交流戦で親交があり、選手たちは「石川・能登と、ともに!」と書いたチャリティーTシャツ350枚を作製。SNSで購入を呼びかけ、すぐに完売した。ほかにも全国から物資や支援金が届き、中にはスパイク60足を贈った学校もあったという。

赤地監督も活動再開に向け、全員が生活できる場所を探して奔走。10か所以上断られて見つかったのが、学校から約60キロ離れた富山県射水市の民宿「青山・有磯亭」だった。

寮費の範囲内に限られ、十分な代金を支払えない可能性もあったが、民宿代表の青山力也さん(56)は快諾。選手たちもできるだけ負担をかけまいと、掃除や食器洗いを率先した。

一番の課題は食費だったが、2014年の選手権大会で富山第一を監督として日本一に導いた大塚一朗さん(59)(現・モンゴル代表監督)が手を差し伸べた。県生活協同組合連合会とJA全農とやまに協力を求め、米や肉、野菜などを無償で提供してもらった。昼食は費用を負担してキッチンカーを派遣し、カレーライスやラーメンなどをふるまった。

3月末、仮の寮を確保できた。民宿を去る日、選手たちは青山さんに「幸せをありがとう つぎは僕たちが笑顔をとどけます!」と書いたユニホームを手渡した。4月以降は毎試合、「能登に笑顔を支えに感謝」の言葉を1文字ずつ書いたTシャツを着てSNSで発信した。

寮改修もめどが立ち、選手たちは学校のグラウンドで練習を重ね、連係も磨いてきた。石川県総体で順調に勝ち進み、迎えた決勝当日。この日も七尾市は震度4の揺れに襲われた。試合は前半早々に先制を許したが、「地震に比べれば全然きつくない」と後半一気に3点を奪い、栄冠を手にした。

右サイドバックの生駒晟司選手(3年)は「支えてくれた人たちがいなかったら、この景色は見られなかった」とかみしめた。

試合後、赤地監督から「やりましたよ。全国行ってきます」と連絡を受けた青山さん。「私たちみんなの心に残る2か月間。こちらこそ幸せをありがとうと言いたい」と思いを込めた。