サッカー日本代表「パリ世代」インタビュー12藤田和輝(栃木SC→ジェフ千葉/GK)後編アルビレックス新潟で「調子に乗って…
サッカー日本代表「パリ世代」インタビュー12
藤田和輝(栃木SC→ジェフ千葉/GK)後編
アルビレックス新潟で「調子に乗って」ポジション喪失から日本代表へ
今秋、アジア大会で銀メダルを獲得したU-22日本代表だったが、その下馬評は決して高いものではなかった。というのも、Jリーグとの日程の兼ね合いもあり、その顔ぶれは大学生を数多く含む、"2軍"とも称されるメンバーだったからだ。
栃木SCの守護神、藤田和輝もまた、そこに名を連ねたひとりである。
しかし、彼らは周囲を見返すべく意地を見せた。中国・杭州で繰り広げた激闘の数々で、間違いなく評価を高めた。
果たしておよそ1カ月後、南米の強豪アルゼンチンを招いて行なわれた親善試合で、先発GKとしてピッチに立っていたのは藤田だった。
現時点でのU-22日本代表のベストメンバーが顔を揃えたアルゼンチン戦。そのスタメンに"アジア大会組"が食い込んだ意味は小さくない。
パリオリンピック出場を目指す藤田にとっては、大きな、大きな一歩である。
(※インタビュー後の12月15日、来季からのジェフユナイテッド市原・千葉への期限付き移籍が発表された)
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藤田和輝(栃木SC→ジェフ千葉)2001年2月19日生まれ
photo by AFLO
── 藤田選手が初めて年代別日本代表に選ばれたのは、2015年のU-15代表候補キャンプでした。
「当時アルビレックス新潟には、本間至恩(現クラブ・ブルージュ)、岡本將成(現・鹿児島ユナイテッドFC)、それに今プロにはなっていませんが、五十嵐新(現・新潟医療福祉大)、若月輝(現・慶応義塾大)と、U-15代表に入ったことのあるヤツが4人いたんです。それがうらやましいし、悔しいし、自分もどうにかして代表に入ってやろうと思って、ナイキプレミアカップ(中学生年代の全国大会)でがんばりました。
でも、そこで評価してもらって(候補キャンプに)呼ばれましたけど、全然ダメでしたね。その後は、まったく呼ばれることなく終わりました」
── とはいえ、その後も2021年のU-20ワールドカップ(新型コロナウイルスの影響で開催中止)を目指すチーム(U-18〜U-20代表)にはコンスタントに選ばれていました。
「U-15代表に選ばれる前に、U-13のJFAエリートプログラムにも入ったことがあるんですけど、僕は早生まれなので、その時も一個下の代(学年)で呼ばれているんです。それがなんか嫌で......。U-20の時も同じで、正直、自分の代(学年)で選ばれたU-15の時よりうれしくなかった。早生まれだから選ばれているんだろうなって。
でも、今は早生まれでよかったなって思います。おかげで、パリ(オリンピック)を目指せていますから。今は(U-22代表に)福田師王(現ボルシアMGⅡ)とか(学年で)4個下のヤツもいるので、年長者らしいプレーをしなきゃダメだって思うようになりました(笑)」
── ですが、パリオリンピックを目指すチームが昨年立ち上げられてからは、代表に選ばれるまでに時間がかかりました。
「U-20の時は代表に入っていたので、パリ(オリンピック)に行きたいという思いはすごくありましたけど、結果がついてこなかった。『今年こそ絶対に(栃木で試合に)出る』という決意で始まった今シーズンでした」
── だとすると、アジア大会のメンバーに初めて選ばれた時は......。
「めちゃうれしかったです(笑)。でも、そこで結果を残してパリに行ってやろうっていうより、アジア大会で試合に出たい、試合に出て勝ちたい、絶対に優勝しようって、それだけでした。代表として恥ずかしいプレーはできないなって思っていました」
── 先のことは考えず、目の前の目標に集中する。そのスタンスは小さいころから変わってないですね。
「こうやって質問されて、あらためて振り返ると、そう思いますね。
アジア大会(に出場したU-22代表メンバー)は2軍みたいな言われ方だったし、実際そうだったと思いますけど、でも、選ばれたことには変わりないし、僕はそこで結果を出せばいいと思っていました。
とにかく代表に選ばれている以上、誇りを持ってやらなきゃいけないし、日本のために、応援してくれる人のために、結果を残すんだって、もうそれだけを考えて僕自身はやっていました」
── 大岩剛監督もうまく選手のモチベーションを高めてくれたのではないですか。
「僕だけがそう思っているだけだったら、ああいう結果にはつながらなかったと思います。実際ガツガツしているヤツしか選ばれていなかったですし、大岩さんも『ここに来て日の丸をつける以上、お前らがU-22代表だ』と言ってくれたので。
U-23アジアカップ予選と重なって(日程が近く)、(主要な)メンバーがそっちへ行っているから自分たちが呼ばれたんだろうなという感覚はありましたけど、でも、そんなの別に関係ないって、みんなが思っていたと思います」
── 2軍と言われながら、結果は準優勝。そこでの経験はどんなものでしたか。
「国際大会の雰囲気にも徐々に慣れていきました。不安はあったし、緊張もしていましたけど、臆していたとか、ビビっていたということはなかったと思います。
やっぱり(準々決勝で)北朝鮮に勝ったのが大きかったですね。だから、韓国との決勝も、そこまで緊張しませんでした。日の丸をつけているからとか、アジアの決勝だからとか、いい意味で特別な感覚にはならず、ピッチに入ってからは『いつものJリーグの試合と一緒だな』って。責任感を持たなければいけない試合を重ねるなかで、自分でもひと皮むけたのかなとは思います」
── アジア大会準優勝だけで終わらず、次のアルゼンチン戦のメンバーにも入れたことは大きな成果だったのではないですか。
「アジア大会が終わって、いろんな人から『活躍していたね。次のメンバーにも入れるんじゃない?』って言ってもらえましたし、自分でも入りたいとは思いましたけど......、まさか本当に入れるとは思っていなかったので、選ばれた時は『マジ?』みたいな(笑)。でも、うれしかったですね。
結果で見たら、アジア大会は(優勝できず)2位でしたけど、そのなかでアピールができたからこそ、アルゼンチン戦に呼んでもらうことができた。やっと入れた、滑り込めた、ようやくパリ(オリンピック行き)の争いに参加できる。今はそんな感覚です」
── A代表にも選ばれている鈴木彩艶選手(シント・トロイデン)が、今後もそちらに専念するとなれば、U-22代表のGK争いは横一線でさらに激しくなりそうです。
「2、3年前に(U-20代表で)彩艶と一緒にやっていた時は、『絶対に負けない!』と思っていましたけど、彩艶はシント・トロイデンでがんばっているし、A代表にも選ばれている。現実的に考えて、パリの椅子のひとつはアイツで確定だと思っています。
それでも、残りの1席に絶対入りたいって思っているし、そこは彩艶がA代表に行こうが行くまいが関係ない。自分は残り(2席ではなく)1席だと思って、そこに入るためにがんばろうと思うし、チームのために自分のやれることをやるだけなので......、なんか別に......、ほかの人のことはそんなに考えていないです。とにかく選ばれるんだ、とにかくパリに行くんだっていう気持ちだけです」
── 現時点でのベストと言っていいメンバーで臨んだアルゼンチン戦では、先発に名を連ねました。
「出られるとは思っていなかったので、正直、ビックリしました。大志(野澤大志ブランドン/FC東京)はJ1で出ているのに、僕はJ2ですからね。
それでも僕を使ってくれたのは、これまでのパフォーマンスを評価してもらえているからだと思ったし、浜野(征哉)GKコーチにはすごく感謝しています。だからこそ、来年は(所属クラブで)絶対に活躍しなきゃいけない。そうでなければ、この(代表の)枠組みには入っていけないと思っていますから」
── パリオリンピック出場は現実的な目標になってきましたか。
「僕はそんなに自分に自信があるタイプではないので、あまり大きなことは言えないんですけど......、『オレ、絶対パリに行きます!』っていうのは、恥ずかしいけど、あえて周りに言うようにしています。今言っていても、恥ずかしいですけど(苦笑)。
そういう(自分に自信が持てない)ところを変えていかなきゃいけないなって思うし、実際に(パリオリンピック出場が)現実味を帯びてきているし。(アルゼンチン戦で)"1軍"のメンバーに入って試合にも出られたことで、絶対にパリに行くんだって、今は本当に思えるようになってきました。パリへの思いは、昨年に比べたら、より一層強くなったと思います」
── 新潟時代の同期である本間至恩選手をはじめ、同世代の海外移籍が増えてきました。藤田選手も意識しますか。
「まったくしないです(笑)。僕は今年、やっとJ2で1年出られただけ。1年"しか"出ていないんです。だから、まずはJ1で活躍できるようにならないと。そうなった時には、もっと上で(やりたい)という気持ちになるかもしれないですけどね」
── 当面の目標であるパリオリンピック以降、どんな目標を思い描いていますか。
「やっぱりワールドカップに出場するような、A代表に選ばれるような、そういう選手にはなりたいですけど......、でも、それよりも今一番思っているのは、新潟で活躍したいということ。
こうやって栃木にお世話になっていますし、だから栃木で結果を出したいし、恩返しもしたいと思ってやっていた。でも、やっぱり新潟は自分が育ったクラブなので。外から見ていて、一緒にやっていた仲間が試合に出ていてうらやましいし、自分もそこでプレーしたいとあらためて感じるようになりました。
もちろん、今後のことはわかりませんけど、どこかほかのクラブから高額のオファーが来ましたとか、海外からオファーが来ましたとか、そういうことを考えるよりも、まずはもう一回、新潟でプレーして活躍したい。今はそう思っています」
<了>
【profile】
藤田和輝(ふじた・かずき)
2001年2月19日生まれ、新潟県新潟市出身。幼稚園の頃からアルビレックス新潟のスクールに通い、下部組織を経て2019年にトップチームに昇格。2020年に一度はレギュラーを掴むもその後はポジション争いに苦しみ、2022年に栃木SCへ期限付き移籍。2024シーズンは期限付き移籍でジェフユナイテッド市原・千葉でプレーする。日本代表は2023年11月に行なわれたアルゼンチン代表戦で先発出場を果たす。ポジション=GK。身長186cm、体重82kg。