ホワイトソックス西田陸浮×アスリートジャパン根本真吾氏インタビュー前編 今年7月のMLBドラフト会議で、シカゴ・ホワイトソックスが11巡目で指名したオレゴン大学の西田陸浮。東北高校を卒業後に渡米した西田は、2年制のマウントフッド・コミュニテ…

ホワイトソックス西田陸浮×アスリートジャパン根本真吾氏

インタビュー前編

 今年7月のMLBドラフト会議で、シカゴ・ホワイトソックスが11巡目で指名したオレゴン大学の西田陸浮。東北高校を卒業後に渡米した西田は、2年制のマウントフッド・コミュニティ・カレッジを経てオレゴン大学に編入し、アメリカ最高峰のNCAA (全米大学体育協会)ディビジョン1での活躍が認められて指名に至った。

 プロ選手としてのキャリアを歩むことになった西田と、そのアメリカ留学のきっかけを作ったアスリートブランドジャパン株式会社代表の根本真吾氏に、留学の経緯や日米の野球環境の違いを聞いた。



ホワイトソックスから指名された西田陸浮と、留学をサポートしたアスリートジャパンの根本真吾氏 photo by Shiratori Junichi

【西田が米留学を決断した理由】

――まずは、西田選手のドラフト指名のきっかけを作った「アスリートブランド」の事業内容を聞かせてください。

根本:我々はスポーツに特化した留学支援の会社で、今年で20年目を迎えました。「アメリカでスポーツに打ち込みたい」という学生の受け入れ先を探したり、留学後の学生の生活をサポートしたりすることが主な業務です。

 アメリカの大学は、奨学金をもらいながらアスリートが活躍できる仕組みが整っているので、「レベルの高いジュニア世代の日本人選手であれば、成功する人が出てくるのではないか」という仮説を基に事業をスタートさせました。設立間もない頃は、インターネットで「スポーツ留学」と検索してもほとんど情報が出てこない状況でしたが、最近は多くの方に会社のことを知っていただけるようになりました。

――これまで、どのような選手たちの留学をサポートしてきたのですか?

根本:「留学」といっても、短期留学から数年間の長期留学までさまざまですが、すべてを合わせると1200人以上の方に利用いただいています。短期の留学先として最も知られているのは、テニスの錦織圭選手も留学していたIMGアカデミー(フロリダ)で、ここは最短で1週間からトレーニング利用を受け付けています。

 一方で長期留学は、実際にアメリカの学校に入学し、スポーツに取り組むことになります。競技別に見ると、野球とサッカーが大半を占めますが、バスケットや陸上競技、バレーボール、レスリングといった種目の選手たちもサポートしていて、今年は約70人のアスリートが留学しています。

――競技レベルの高い選手でないと、アメリカへの留学は難しいのでしょうか?

根本:部活を一定期間以上、完全に辞めてしまったりした場合には受け入れ先を見つけにくいですが、高校3年間しっかり競技に取り組んだ選手であれば、今のところは受け入れ先を見つけられている状況です。

――西田選手がアメリカ留学を考えるようになったのはいつ頃ですか?

西田:高校3年生の頃、夏の甲子園に向けて宮城県予選が始まる前だったかなと思います。最初は留学どころか日本の大学で野球を続けるつもりもなかったんですけど、「もしアメリカに行けるのなら野球を続けてもいいかな」と軽い気持ちで父に話したら、アスリートブランドさんのセレクションを見つけてきてくれたんです。

 僕の夢は「経営者になること」だったので、「まずはアメリカに留学して、その後は経営者になったら?」という父の言葉に後押しされて、留学を考えるようになりました。

――アスリートブランドには、選手のほうからの問い合わせが多いんですか?

根本:直接声をかけてくれるケースが大半ですが、中には、野球留学の経験者に成功する可能性のありそうな選手をピックアップしてもらって、こちらからオファーさせていただくケースもあります。

――留学を考える前、西田選手は高校卒業後の進路をどのように考えていましたか?

西田:先ほども言いましたが、「この先、野球を続けるのはしんどいな」と思っていました。東北高校では経験せずに済みましたし、もう昔の話なのかもしれませんが、日本の大学の野球部の中には後輩が先輩の分まで洗濯をするところもあると聞いて。「大学生にもなって、なんでそんなことをしないといけないんだ?」と疑問に感じましたし、そんな環境では続けられないだろうと思ったんです。

――東北高校を選んだのは、そのようなチームカラーに惹かれたからなのでしょうか?

西田:いいえ、全然そんなことはないです。実は中学の時にも「野球を辞めようかな」と思っていたんですけど、僕は成績がよくなかったので「野球をしないと高校に行けない」ことがわかって(苦笑)。いろいろな人に「ダルビッシュ有の出身校やぞ!」と後押しされて進学を決めたんですけど、その時には東北高校が宮城県にあることさえも知りませんでした(笑)。僕が所属していた履正社ボーイズ(現・北大阪ボーイズ)のバッテリーも東北高校への入学が決まっていたんですが、僕はその"バーター"のような感じです。

 当時、ダルビッシュ投手のことはもちろん知っていましたけど、野球は"やる"ほうであまり"見る"機会はなかったので、憧れの野球選手は特にいなかったような気がします。格闘技のほうが好きで、ストリートファイターのキンボ・スライス選手とかを応援していました。

――甲子園には出場できませんでしたが、東北高校での3年間を振り返っていかがですか?

西田:毎日のように走り込みをするので、練習は本当にしんどかったです。でも、幸運なことにアメリカでは走り込みの練習はメニューに入ってなくて(笑)。甲子園には行けませんでしたが、高校で頑張った3年間はその後の人生の支えになったし、野球に対する考え方の基盤を作ることもできました。

【アメリカの大学でのトレーニング】

――アメリカでの練習についてのお話がありましたが、日米のトレーニングにはどのような違いがありますか?

根本:練習時間の上限が決められていて、短い時間で効率を重視したプログラムが組まれている点が大きな違いです。

西田:アメリカでは、基礎体力のトレーニングと実践練習を別のものとして捉えている印象を受けました。実践練習は毎日2、3時間くらいでしたが、練習している様子が4方向からカメラで撮られていて、練習後にその映像を見ながら課題を修正していく感じでした。試合の時も、ベンチの裏に相手チームのデータ資料が貼り出されていて、データを基に配球や守備のポジショニングを考えていたので、戦術面でも大きな違いを感じました。

――西田選手が感じたアメリカで野球をする魅力は?

西田:選手がレベル別に分けられていて、実力がまだついていない選手も試合に出られるところでしょうか。日本の強豪校では部員が100人以上いるところもあって、試合のメンバーから外れた選手は、誰も見ていないグラウンドでボール回しやキャッチボールをすることもある。

 そうではなくて、レベル分けされた選手同士の試合であればプレーできる選手も増えるでしょうし、きっと個々の選手の成長にも繋がるはず。試合に出ながら成長できる環境は魅力的だと感じました。

――日本との違いを感じたことはありますか?

西田:選手の基礎体力や身体能力には大きな違いがありましたね。僕は日本で、自分よりも足が速い選手に会ったことがありませんでしたが、アメリカに行くとチームで3、4番目くらいのタイムでした。あと、身長2mを超える投手が160キロ超のボールを投げてくることも珍しくありません。

 その点で「最初は苦戦するだろうな」とも思っていましたけど、メンタルの強さには自信がありましたし、走塁や守備など自分の強みを生かせたら「何とかなるんじゃないか」という手応えも、徐々に感じるようになりました。

――まずは2年制のマウントフッド・コミュニティ・カレッジに進学しますが、そこを選んだ理由や1年目の目標を聞かせてください。

西田:僕は「プロ野球選手になろう」とはまったく考えていなかったので、とりあえずNCAA ディビジョン1に所属する強豪の4年制大学に入ることを目標にプレーしていました。でも、正直に言うと、野球よりも勉強のほうがキツかったです(苦笑)。

――言語の違いもあると思いますが、西田選手はどのように野球と勉学を両立されたのですか?

西田:それまではあまり勉強に時間を割いていなかったんですが、高3の夏の大会が終わった頃からアスリートブランドさんが提携している塾に通い、大げさではなく「A、B、C」から勉強を始めて(苦笑)。少し話せるようになったところでアメリカに渡りました。

 留学後も、日本人の僕は通常の大学の授業に加えて、「ESLクラス」という英語の授業を受ける必要があった。夏休みも学校に通い詰めて何とか卒業して、オレゴン大学の3年次に編入することができたんです。

――語学が堪能ではなくても、留学することができるんですね。

根本:選手のご両親や、部活動の顧問の先生とスポーツ留学の話をすると、「うちの子は英語ができないから......」とすぐに可能性を否定される方もいらっしゃるんですが、帰国子女などでない限り、英語を話せないのは当たり前です。アメリカの大学は新年度が8、9月から始まるので、高校の部活に区切りをつけてからでも十分に間に合わせることができます。言葉の壁さえ乗り越えられたらチャンスは広がりますから、「語学を理由に可能性を閉ざさないでほしいな」と思っています。

(後編:米ドラフトの裏側「スカウトと食事、18チームの方と話をさせていただいた」>>)

【プロフィール】
●西田陸浮(にしだ・りくう) 

2001年5月6日生まれ、大阪府育ち。内野手。身長168㎝。東北高校で1年生からスタメンで活躍し、卒業後に渡米。2年制大学を経て、オレゴン大学に編入(3年次)してからも好成績を残し続け、今年7月のMLBドラフト会議でシカゴ・ホワイトソックスから11巡目で指名された。

●根本真吾(ねもと・しんご)

1968年、埼玉県春日部市生まれ。アスリートブランドジャパン株式会社代表取締役。前職はミズノ株式会社で⽶国市場向け野球⽤具企画担当、⽇本⼈MLB選⼿対応、アトランタ五輪関連等、草の根からトップアスリート対応まで米スポーツ現場での体験により国や⾔葉、⽂化を超えるスポーツの持つパワーを実感。スポーツ留学という⾔葉がない時代にスポーツ留学会社を創業し今年の秋で満20 年。サポート⽣では⻄⽥陸浮選⼿のMLBドラフト指名をはじめ、アメリカの⼤学最⾼峰大学で奨学⾦付きでプレーする選⼿を輩出。選⼿以外でもUC バークレイ進学、⼤⼿企業就職や起業後に上場企業からM&A され⼦会社社⻑になった⽣徒など多⽅⾯で活躍している若者を輩出中。「スポーツで世界の⼈々を繋げる」をミッションにスポーツをきっかけに世界に挑戦する若者を絶賛⽀援中。スラムダンク奨学⾦留学担当。室伏広治選⼿マネジメント(現在は終了)。元徳⼭⼤学特任教授。