ホワイトソックス西田陸浮×アスリートジャパン根本真吾氏インタビュー後編(前編:「この先、野球を続けるのはしんどいな」と考えていた西田がなぜホワイトソックスから11巡目でドラフト指名されるまでに至ったのか>>) 今年7月のMLBド…

ホワイトソックス西田陸浮×アスリートジャパン根本真吾氏

インタビュー後編

(前編:「この先、野球を続けるのはしんどいな」と考えていた西田がなぜホワイトソックスから11巡目でドラフト指名されるまでに至ったのか>>)

 今年7月のMLBドラフト会議で、シカゴ・ホワイトソックスの11巡目で指名されたオレゴン大学3年の西田陸浮。MLB選手としてのキャリアを歩み始めた西田と、その留学をサポートしてきたアスリートブランドジャパン株式会社代表の根本真吾氏に、ドラフト当日のエピソードや今後について聞いた。


MLBドラフトでホワイトソックスから指名を受けたオレゴン大の西田陸浮(写真/本人提供)

【ドラフト1時間前、ホワイトソックス関係者から

 

「テレビを見てくれ」】

――2年生のマウントフッド・コミュニティ・カレッジを経て、オレゴン大学に編入されましたが、その際はどのような形でオファーが届くのでしょうか?

根本:アメリカでは、2年制大学が4年制大学と同じ野球連盟に所属していて、2年制大学の有力選手を4年制の大学がスカウティングしているんです。

 年に1度のレギュラーシーズンに加えて、公式戦のない夏にはサマーリーグが各地で開催され、30~40試合が組まれています。西田選手の場合は、1年目のシーズンで大活躍した後に、サマーゲームでも存在感を示したので、それもスカウトの目に留まる要因だったのかなと思います。

西田:シーズンが終わると、さまざまな大学から僕のSNSやメールに直接連絡が来るようになって、それらのオファーを比べながら交渉を重ねていくという流れでした。最終的には400万円くらいの奨学金を出してもらえることになって、それ以外にもさまざまな形で学校がサポートをしてくれたので、本当に助かりました。

 1年目のサマーリーグの時は、夏の間に4回くらいチームが変わって、最終的にはランキング6位のチームでプレーすることができました。たった数カ月の間に環境が大きく変わり、さまざまな人との出会いが刺激にもなった。常に新しい目標を立てながら、モチベーションを維持できるのはアメリカ特有だなと思いました。

―― 一方で、目まぐるしい環境の変化に対応できない選手もいるのではないでしょうか。

根本:残念ながらそのような選手も一定数見てきました。どんな状況も柔軟に受け入れられるところは、西田選手のよさでもあり強みだと思います。

――西田選手はオレゴン大で63試合に出場し、打率.312、5本塁打、37打点、25盗塁の好成績を収めました。最初にドラフト指名の話があったのはいつ頃ですか?

根本:その話に移る前に、まずは両国のドラフト制度の違いからお話しさせていただきたいと思うのですが、そもそも選手が「ドラフトの指名候補」になるタイミングがアメリカと日本では異なります。アメリカでは、高校の卒業時と2年制大学の学年終了時。その後、もし4年制大学に進んだ場合には、3年の終了時か21歳以降のタイミングで「ドラフト指名候補選手」になるように定められて、最高学年ではない選手を指名できる点が日本との大きな違いです。

西田:そうなんです。だから現在22歳の僕は、昨年のマウントフッド・コミュニティ・カレッジを卒業したタイミングでも指名される可能性がありました。ですが「オレゴン大学に進んだほうが、翌年の上位で指名される可能性があるんじゃないか?」と球団の方に言われて、進学することに決めたんです。

――球団から直接連絡があるんですか?

西田:アメリカではドラフト指名候補の選手と、MLB球団のスカウトが一緒に食事に行って、野球以外の話をしながら交流を深めていくんです。僕は指名があるまでに18チームの方と話をさせていただきましたが、指名してくれたホワイトソックスの担当者とはほとんど話したことがなくて。ドラフトが始まる1時間くらい前に、その担当者から「指名するからテレビを見てほしい」という連絡があって、指名されるのを知りました。

――実際にドラフトで指名された瞬間はどんな感じでしたか?

西田:父と一緒に日本でドラフトの様子を見守っていました。午前1時を過ぎていましたが、指名された時には「よかったな、プロ野球選手やん!」と父が言ってくれて。2人でハイタッチした後に、夜も遅かったので、ひとまず寝ました(笑)。翌朝に起きた時、たくさんの方から連絡が来ていて驚きましたね。

根本:西田選手から「ドラフトで指名されるかもしれない」とは聞いてはいましたけど、「水モノなのでどうなるかはわからない」という思いも少しありました。私たちがサポートした選手がドラフトで指名されたのは初めてのケースだったので、西田選手が指名を受けた時は本当に嬉しかったですし、さらに若い選手たちに「留学」という新たな選択肢を示せたことは、今後のスポーツ界にとっても意義があったんじゃないかと思います。

――もし指名されなかったら、その後どうするつもりでしたか?

西田:実は、オレゴン大学のチーム関係者からは「もしドラフトで指名されなかったら、オレゴン大でコーチをやってくれないか?」というオファーがきていたんです。僕は高校時代から自分の思いを積極的に発信するタイプでしたし、オレゴン大学でも首脳陣のミーティングに混ぜてもらって、一緒に練習メニューを考えたりもしていました。

 ある首脳陣からは「将来は日本の高校で陸浮と一緒に指導をしてみたい」と言われたこともありましたね。もし、プロ野球選手になれていなかったら、指導者の道に進んでいたんじゃないかと思います。

【西田が語る「究極の目標」】

――来シーズンの目標は決まっていますか?

西田:今季に「1年の全試合に出場してプロ野球選手になる」という目標は達成できたので、次の目標を探しているところです。もちろん「ホワイトソックスで活躍したい」とは思っていますが、僕にとっての「目標」は「自分が本気で頑張れば達成できること」。達成できない目標は夢でしかないと思っています。ホワイトソックスでの活動や自分の立ち位置などがよくわからない状態で、具体的な目標を立てるのは怖さがあるんです。

――マイナーリーグは移動距離が長く、プレー環境も過酷だというイメージがありますが、不安を感じることはありますか?

西田:昔のマイナーリーグのイメージとは、かなり変わっていると思いますよ。3Aや2Aの選手は移動もありますが、最初に加入する1Aのチームは、同じ拠点で試合をすることが多いと聞いています。最初のうちは給与が少ないと思いますけど、今のマイナーリーグは家賃も払ってくれますし、スポンサーから用具を提供してもらっている選手もいる。日本のみなさんがイメージしている状況よりは、環境が整っていると思います。

――将来はどのような選手になりたいですか?

西田:僕の究極の目標は、「野球界の1%は西田陸浮のおかげで発展した」と言われる社会を作ることです。僕が野球界の発展に最も貢献できる方法は、自分の経験を活かして、留学を考えいる方々のサポートをしてあげること。だから「ワンハネ株式会社」という会社を立ち上げました。

 まずは、今年の冬にアメリカの4年制大学入学を見据えた中学生向けのトライアウトをやってみようと思っています。サポートしてくださる方々と一緒に、さまざまな準備を進めているところです。そこで、アメリカ留学の魅力を伝えていけたらなと思っています。

――中学生のうちから大学進学の準備が必要なんですか?

西田:アメリカの名門大学は、15、16歳の選手と前もって契約を結ぶこともあります。なので、もし中学生のうちに大学進学を決められたら、高校では日本で英語の勉強をしながら野球に打ち込むことができます。決して強豪校に行く必要もありません。

 もちろん自分の練習も頑張りますが、今の僕が野球界の発展に役立てられることは、日米の"架け橋"を作ることだと思っているので、どちらも頑張っていきたいです。

【プロフィール】
●西田陸浮(にしだ・りくう) 

2001年5月6日生まれ、大阪府育ち。内野手。身長168㎝。東北高校で1年生からスタメンで活躍し、卒業後に渡米。2年制大学を経て、オレゴン大学に編入(3年次)してからも好成績を残し続け、今年7月のMLBドラフト会議でシカゴ・ホワイトソックスから11巡目で指名された。

●根本真吾(ねもと・しんご)

1968年、埼玉県春日部市生まれ。アスリートブランドジャパン株式会社代表取締役。前職はミズノ株式会社で⽶国市場向け野球⽤具企画担当、⽇本⼈MLB選⼿対応、アトランタ五輪関連等、草の根からトップアスリート対応まで米スポーツ現場での体験により国や⾔葉、⽂化を超えるスポーツの持つパワーを実感。スポーツ留学という⾔葉がない時代にスポーツ留学会社を創業し今年の秋で満20 年。サポート⽣では⻄⽥陸浮選⼿のMLBドラフト指名をはじめ、アメリカの⼤学最⾼峰大学で奨学⾦付きでプレーする選⼿を輩出。選⼿以外でもUC バークレイ進学、⼤⼿企業就職や起業後に上場企業からM&A され⼦会社社⻑になった⽣徒など多⽅⾯で活躍している若者を輩出中。「スポーツで世界の⼈々を繋げる」をミッションにスポーツをきっかけに世界に挑戦する若者を絶賛⽀援中。スラムダンク奨学⾦留学担当。室伏広治選⼿マネジメント(現在は終了)。元徳⼭⼤学特任教授。