サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マ…

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は「後ろ手ディフェンスが嫌いな理由」。

■未知の競技だったサッカー

 当時、日本のサッカーは完全なマイナー競技で、1964年の東京オリンピックを前に、日本サッカー協会(当時の正式名称は日本蹴球協会)は血眼になって日本代表の強化に取り組んでいた。日本代表が(1936年のベルリン・オリンピックを除くと)デットマール・クラマーさんの指導を受けるべく、初めて欧州遠征を敢行したのは、この年の夏だった。だが当時の日本には、サッカーをプレーした人だけでなく、実際に競技を見た人の数さえ、とても少なかった。

 そうした時代に、小学校の先生たちがサッカーを単に「足でボールをける変な競技」と考えたとしても不思議ではないし、大きな落ち度と言うこともできない。そして足でボールをけることと同時に、彼らの心を強く縛っていたのが、「手を使ってはならない競技」という強迫観念のようなものであったことも、想像に難くない。サッカーという競技を他の競技から際立たせている特徴は、「手を使わないこと」と、「頭でボールを打つこと」の2つであるからだ。

■教師も悩んだ指導法

 小学校3、4年生のときに私のクラスを担任していた先生は女性だったが、彼女がサッカーという競技をまったく知らず、ただ「手を使わずに足でける」といったイメージだけで私たちの体育の授業に臨んでいたことは間違いない。ただ、繰り返して言うが、私はそれは仕方のないことで、まったく彼女の責任ではない。

 3、4年生の体育の授業におけるサッカーは「ラインサッカー」である。その授業を始めるに当たって、先生は「サッカーは手でボールを扱ってはならない競技よ。みんな、両手を体の後ろで組みなさい」と言った。これもきっと、新しい種目の授業方法を伝える研修会のなかで、指導者から教えられたことだったに違いない。

 言われたとおり、私たちはみんな両手を体の後ろに回して組み、目の前にころがってくるボールに対し、力いっぱい足を振った。決められた時間のなかで、私が何回キックするチャンスがあったのか、覚えていない。おそらく、数回あったかなかったかだろう。ボールのけり方も知らない。もちろんつま先でけるトーキックだっただろう。ボールは思いどおりになど飛ばないし、楽しさなんて、かけらもなかった。

 小学校3、4年生の「ボール運動」には、「キックベースボール」という競技もあった。サッカー用のボール(特別なものはなく、ドッジボール用のボールだった)を使い、「ピッチャー」が手で転がしたボールを足でけってあとは野球と同じだった。野球は誰にもなじみのある競技で、けったら一塁に走り、続く「バッター」のキック次第で塁を進んでホームを目指すことなど、先生に教えられなくてもわかっていた。

■「女子にはサッカーをさせない」

 おそらく、私が通っていた小学校の先生には、サッカー経験のある方などひとりもいなかったのだろう。小学生時代における私の「サッカー経験」は、3年生か4年生の「ラインサッカー」いちどきりだった。「簡易サッカー」が教科にはいっているはずの5、6年生時代には、サッカーはいちども取り上げられなかった。

 ちなみに、この1958年の学習指導要領の改訂では、中学校の体育にも「サッカー」が採用されている。こちらは「ラインサッカー」などではなく、通常のサッカーではあったが、「男子のみ」となっていたことは、大いに注目すべきだと思う。小学生では体育の授業は男女いっしょに受けるが、中学になると男女別の授業になる。そして女子の体育にはサッカーは含まれていなかったのである。

 「サッカーは男がプレーするもの」というのは、当時、世界の多くの国で常識だった。「サッカーは女性の健康に有害」という根拠のない説を信じている者も多く、イングランドをはじめとした多くの国では、女性がサッカーをプレーすること自体が実質的に「禁止」されていた。こうした「世界の常識」を背景に、日本でも、文部省の手によって中学生年代においては「女子にはサッカーをさせない」という「学習指導要領」がつくられていたのである。日本の女子サッカー史を考えるうえで、非常に興味深いエピソードではないだろうか。

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