サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マ…

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回のテーマは「日本サッカーの出発点」。

■新しくできた「チボリ」

 現在、アレマニア・アーヘンは市の中心から北にある「チボリ」という名の近代的なスタジアムで戦っている。2006年のブンデスリーガ1部昇格を受けてクラブとアーヘン市が建設を計画、市民の寄付を得て2008年に建設が始まり、2009年夏に完成した収容約3万3000人という近代的なスタジアムである。しかし残念なことに完成時にはアレマニア・アーヘンはブンデスリーガ2部に落ち、現在はその下の下、地域リーグでプレーしているのだが…。

 ただし、このスタジアムは1960年に日本代表がクラマーさんの目前で「新時代」へのスタートを切ったアレマニア・アーヘンのスタジアムを壊して同じ場所に建てたものではない。新スタジアムは、旧スタジアムから数百メートル北東に建てられた。そして旧スタジアムの「チボリ」という名称を引き継ぎ、旧スタジアムは「アルター・チボリ(オールド・チボリ)」と呼ばれるようになったのである。

 すなわち、1960年に日本代表がプレーしたのは、現在の近代的な「チボリ・スタジアム」から南西に少し離れた場所にあった。現在では「ハンプトン・バイ・ヒルトン・アーヘン・チボリ」という高級ホテルがある場所が敷地の南東の角にあたり、その北に広がる低層の集合住宅が並ぶ高級住宅地こそ、パスが3本つながらない時代の日本代表がクラマーさんに初めて試合を見てもらったスタジアムのあった場所なのである。

 その住宅地の小路には、「アレマネン(アレマニアの)通り」や、「シュターディオン(スタジアム)通り」などの名前がつけられ、中央の公園には「アルター・チボリ遊び場」という看板があり、往時をしのばせる。

■「チボリ」の由来

 「アルター・チボリ」の完成は1928年。1万人収容の、当時としては最高クラスのスタジアムだった。1953年には2万人規模に拡張され、さらに1957年にはメインスタンドに屋根がかけられ、照明塔も設置された。ただし2万のうち1万7000席は「立ち見席」だった。当時のスタジアムとしては、ごく当たり前の比率だったらしい。

 ところで、ドイツのアーヘンでなぜ「チボリ」なのだろうか。チボリといえばイタリアの有名な保養地である。実は19世紀にこのあたりに高名な写真家の邸宅があり、その庭がイタリア風だというので「チボリ」と呼ばれるようになり、その後この地域に開かれた市民のための運動施設を「チボリ・スポーツパーク」と呼んだのが由来だという。

 「アルター・チボリ」は新しい「チボリ」が完成した後もアレマニア・アーヘンのユースなどが使っていたが、2011年には土地が売却され、完全に取り壊された。そしてその土地が、現在はホテルになり、住宅地となっているのである。

 西側のメインスタンドと東側のバックスタンドは建物だったが、南北のゴール裏のスタンドは「土塁」を築いてそこに階段状の観客席(立ち見席)を設ける形だった。土地売却後、開発業者によって南側の「土塁」は崩され、平地となったが、北側の「土塁」は高級マンションの「裏庭」のようになっており、崩されることなくいまも残っている。「アルター・チボリ」の痕跡を最も強く感じられる場所である。

■63年前の選手たちの思い

 1960年、日本のサッカーは、まさに「崖っぷち」にあった。前年のオリンピック予選で韓国に1勝1敗ながら総得点1-2で屈し、ローマ・オリンピックに出場することができなかったのだ。他の競技が4年後の東京オリンピックに向けてローマ大会で経験を積むなか、サッカーだけは「蚊帳の外」という形だった。日本代表が羽田からパリに向かった航空機には他の競技団体の視察団でいっぱいで、彼らは翌日にはローマに向かった。サッカーの日本代表だけがデュッセルドルフ行きの便に乗らなければならなかったのである。

 開催国枠で自動的に出場できる東京オリンピックではふがいない成績を残すことはできないと、日本蹴球協会は背水の陣を敷き、この年の3月にクラマーさんの招聘を決め、8月には、日本のサッカーとして1936年ベルリン・オリンピック以来の「欧州遠征」を決行したのである。

 選手団22人は、どんな思いで日本を飛び立ち、また、どんな思いでクラマーさんの指導を受け、ドイツの名門クラブとの試合に臨んだのだろうか。そしてパスが3本もつながらないという試合で0-5の完敗を受けて、何を考えたのだろうか。

 しかしそれがドイツとのアウェーゲームを4-1で勝つという現在の日本代表へのはるかな「スタート」であったのは間違いない。

 ここに2万の観客を熱狂させるスタジアムがあったことなど想像もできない「アルター・チボリ」の平和で静かな夏の夕刻。私は63年前の日本の若い代表選手たちの心を思った。

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