8月26日の『卓球ジャパン!』は「かすみんSP」と題して、5月に現役引退を表明した石川佳純をピックアップ。本人をゲストに招き、これまでの卓球人生を秘蔵映像とともに2週にわたって振り返る。

石川佳純伝説の始まりは7歳の誕生日。念願だった試合用のユニフォームをプレゼントされ、本格的に卓球人生がスタートした。「紫のユニフォームで下は青い短パンだったんですけど、すごく嬉しくていまだに覚えてます」(石川)

中学からは名門・四天王寺に進み、そこで出会ったのが大嶋雅盛監督だ。

厳しい指導者として知られる大嶋監督だが、石川を叱ったのは中学1年の時の1回のみ。中国での合宿中、集中力が切れた石川に対して「何を考えているんだ、今から帰れ!」と一喝。

もちろん石川本人もこの時のことは覚えており「すごく反省しましたね」とコメント。ここから気を引き締め直し、二度と怒られることもなく、一気に日本のトップへと駆け上がっていく。

2007年に史上最年少で世界卓球デビューを果たすと、世界に衝撃を与えたのが2009年横浜大会。当時世界ランク99位の石川が世界ランク10位の帖雅娜(香港)にゲームカウント0-3、3-9から歴史的大逆転勝利を果たしたのだ。

さらに翌年の世界卓球2010でもメダルがかかった団体準々決勝・韓国戦の3番でゲームカウント0-2から逆転勝利。

「今も覚えてるんですけど、0-2で負けてて、そこから長いサーブを出さないと勝てないと思って全部長いサーブを出して、流れが一気に変わった」(石川)

窮地で力を発揮できるのが、石川佳純という選手の特別な才能だ。

そして初出場となった2012年ロンドン五輪の女子団体では日本卓球界初となるメダルを獲得した。

準決勝のシンガポール戦、本来ならば平野早矢香がシングルス2点起用で、ダブルスは石川・福原愛ペアでいく予定だったが、試合前日に石川が福原を2点起用にし、ダブルスを石川・平野にする案を監督に提案して急遽オーダーが変わったという裏話がある。

なぜ石川がそれを思いついたのか、平野もその真相をずっと知りたかったということで、ついに石川に語ってもらった。

理由としては、平野とのペアで過去にシンガポールペアに勝っており、なおかつこのロンドン五輪のシングルスで石川はシンガポールのエース、フォン・ティエンウェイに負けており、自信がなかったのだという。

「自分が(フォンと)やっても難しいかなって......。福原さんなら勝てると思ったんですよ。ずっと見てきて"強い!いける!"って」

オーダーについて選手が監督に意見することはそう多くはない。五輪のメダルが懸かった大舞台で、しかもチーム最年少の石川が、というのはかなり異例のことだ。

変更したオーダーは見事にハマり、福原がトップで相手のエースを下すと、石川・平野ペアも勝利して、シンガポールをストレートで撃破。日本初のメダルを確定させた。

この時のことを振り返り「最年少だったから言えたんだと思います」と石川。

「先輩たちに託してるので。自分が一番年上だったら絶対言わないと思います」先輩の平野、福原を信じていたからこその進言だったのだ。

さらに視聴者からの質問コーナーでは「今後、日本代表の監督やコーチを務める可能性はありますか?」と聞かれ、「全く想像がつかないです」と石川。

やってみたいという気持ちも現在はまだないようで「子供に教えるのはすごく好きですけど、日本代表とかハイプレッシャーな所っていうのはまだ想像つかないですね」とコメントした。

「卓球ジャパン!」BSテレ東で毎週土曜夜10時30分放送