蹴球放浪家・後藤健生は、世界各地でサッカーを観戦してきた。また、さまざまな状況でサッカーを目にしてきた。2004年のイ…

 蹴球放浪家・後藤健生は、世界各地でサッカーを観戦してきた。また、さまざまな状況でサッカーを目にしてきた。2004年のインドでは、暗闇でサッカーに目を凝らしたことがあった。

■人が溢れかえる街

 試合会場は西ベンガル州にあるコルカタ。かつては「カルカッタ」と呼ばれていましたが、2001年にベンガル語に従って「コルカタ」が正式名称となったばかりでした。かつて植民地時代に、インド植民地の首都として英国人が建設した街で、計画的に建設され、広大な公園なども配された美しい都市でした。

 しかし、職を求めて、あるいは富を求めて、コルカタにはインド全土から多くの貧しい人たちが殺到しました。また、イスラム教国家としてインドとは別の国として独立したパキスタンの一部となった「東パキスタン」(現在のバングラデシュ)から逃れてきたヒンドゥー教徒も大量にコルカタに流れ込みました。現在のコルカタの人口は約450万人。周辺の都市を含めた「コルカタ都市圏」全体では1400万人に達するそうです。

 英国人がここを首都と定めて街を建設した当時の想定をはるかに超えた人口です。

 人口は超過密。人々が溢れかえっています。夜中にホテルを出て、真っ暗な歩道を歩くと、歩道の上で眠っている大勢の人を踏みつけてしまいます。まさに「混沌」の世界でした。

■アジア最大のスタジアム

 僕が、この試合に行きたいと思った理由の一つはソルトレイク・スタジアムを見てみたかったからでもあります。

 コルカタの衛星都市、ビダンナガールにある巨大なスタジアムで、ビダンナガールの旧名が「ソルトレイク」だったので、英語では「ソルトレイク・スタジアム」と呼ばれます。

 インドの中では、コルカタのあるベンガル州は旧ポルトガル植民地だったゴアと並ぶ“サッカーどころ”で、コルカタのモフンバガンやモハメダンといった伝統あるクラブは、英国に対する抵抗運動の象徴にもなった人気クラブです。

 そして、大観衆を収容するために1984年に作られたのがこのビッグ・スタジアムでした。安全基準の関係で現在の収容力は6万人程度になっていますが、かつては13万人以上の観衆が入ったこともあるそうです。

 つまり、ここは「アジア最大のスタジアム」ということになります。それで、スタジアムを見学するのもこの時のインド旅行の大きな目的だったのです。

 さて、試合当日にスタンドに行ってみると、記者席はガラスで覆われた部屋になっていて冷房がきいていました。「ありがたい」のは「ありがたい」のですが、僕は本来は露天のスタンドの方が好きなのです。「スタジアムの空気」を感じていたいからです。

 でも、どうやら簡単には外には出られない構造のようなので、この日は「まあ、涼しいところで観戦しようか」と思っていました。

■配電盤にヘビ

 前半終了間際に宮本恒靖が左に展開し、本山雅志、三都主アレサンドロで崩し、最後は鈴木隆行が決めて日本が1点リードしてハーフタイムに入りました。

 そして、間もなく後半という時に、そう「停電」になってしまったのです。隣の席に座っていたインド人記者にインドのサッカーに関する質問をしたりして時間をつぶしました。

 その記者は、インド北東部、ミャンマーと国境を接するアッサム州から来たということでした。われわれがイメージする「インド人」の風貌ではなく、東アジアのわれわれと同じ顔つきでした。

「はあ、インドはやっぱり多人種国家なんやなぁ」などと、感心をしていたのですが、「停電」はなかなか復旧してくれません。冷房が切れてしまっているので、そのうち記者席の中もだんだん暑くなってきました。

 それでも30分ほどで停電は終わり、45分ほどの長いハーフタイムを挟んで無事に後半が始まり、小野伸二、福西崇史、宮本が得点を決めて日本が4対0で勝利しました。

 翌朝の現地の新聞によると、「停電」の原因は配電盤にヘビが入り込んで、電源がショートしたことだったとのこと。係員が高圧電流が流れている機械の中に手を突っ込んで、必死の作業でヘビの死骸を取り除いて復旧させたそうです。

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