フランス・パリで開催された世界パラ陸上選手権、男子走り幅跳び決勝(T64=ひざ下切断、現地時間=7月14日)で、ドイツのマルクス・レームが8m49をマークして金メダルに輝き、大会6連覇を達成した。レームは今年6月に8メートル72の世界記録を…

フランス・パリで開催された世界パラ陸上選手権、男子走り幅跳び決勝(T64=ひざ下切断、現地時間=7月14日)で、ドイツのマルクス・レームが8m49をマークして金メダルに輝き、大会6連覇を達成した。レームは今年6月に8メートル72の世界記録を更新していて、健常者の世界記録である8メートル95に着実に近づいている。来年開催のパリ2024パラリンピックでは、人類初の9メートル超えジャンプで注目されることになる。


あと23センチでパラアスリートが健常者を超える

この日、マルクス・レームの順位など気にしている人は誰もいなかった。男子走り幅跳び(T64)の決勝に出場した選手は11人いたが、過去に8メートルを超えた経験のある選手は一人もいない。レームが1回目で8メートル29を記録した時点で、優勝は決まったも同然だった。

それでも、観客の熱気が冷めることはなかった。むしろ、時間が過ぎるごとに声援は大きくなっていく。会場に来た人はみんなわかっている。今年6月にレームが更新した世界記録は8メートル72。健常者の走り幅跳びの世界記録は、1991年の東京世界陸上でマイク・パウエルが記録した8メートル95。パラアスリートが健常者の記録に追いつくまで、あと23センチに迫っている。観客は、レームが8メートル95を超える歴史的な瞬間を目撃するために集まっているのだ。


5回目の試技だった。いつも通り、正確なリズムで助走を刻むと、一気にトップスピードにギアが入った。その勢いのまま力一杯に義足の右足で踏み込むと、空中で両足を胸の方向にたたみ込んで空中に浮かび上がる。着地の瞬間、会場にはどよめきと声援、拍手が混ざり合った音が広がった。やがて電光掲示板には、大会新記録となる8メートル49が表示された。

記録はすでに世界一のロングジャンパー

2位に1メートル10の差をつけての圧勝だった。それでも、レームは結果に満足していなかった。特に、6回目となる最後の跳躍では、助走に入るまでの1分間の持ち時間をギリギリまで使って、集中力を高めていた。

「今日は風がつねに変化していて、それが難しくて調整が必要だった。風が変わるかもしれないので、落ち着かなければならなかった」

6回目の記録も、5回目と同じ8メートル49。それでも、この記録に十分な価値があることには違いない。健常者の男子走り幅跳びの世界ランキング1位はミルティアディス・テントグルー(ギリシャ)で、今年のベスト記録は8メートル41。レームは、世界ランキングトップの記録をこの大会だけで2度も上回ったのだ。レームもそのことは意識していたようだ。

「今年、8メートル49以上を跳んだオリンピック選手はいない。これは、2024年のパリ・パラリンピックに向けて、観客たちが(パラ陸上の)スタジアムに行くべきだと伝える素晴らしい宣伝になることを願っているよ」


レームが右足を失ったのは14歳の時。ウェイクボードでの事故が原因だった。子どもの頃からスポーツが好きで、20歳の時に本格的に陸上を始めると、21歳の時に出場した世界パラ陸上クライストチャーチ大会(ニュージーランド)で走り幅跳びに出場し、優勝。以来、新型コロナの期間を除いて2年ごとに開かれた世界パラ陸上は6連覇、パラリンピックでもロンドン大会から3連覇中だ。

今では世界一の走り幅跳びの選手である。レームの自己記録8メートル72を上回る記録を残した選手は、過去に8人しかいない。もちろん、8メートル95に追いつくために記録を23センチ伸ばすことは容易ではない。しかも、レームは現在34歳で、アスリートとしてのピークを過ぎていてもおかしくない年齢だ。ただ、レームも記録を更新し続けている。助走のスピードと踏み切りのタイミング、そして風向きの好条件が合致すれば、人類初の9メートルは義足のジャンパーが実現することは不可能ではない。来年のパリ五輪・パラリンピックでは、レームの存在は世界でさらに注目されることになるだろう。

レームは、パリ大会の前哨戦となる来年5月の神戸世界パラ陸上に出場する予定だ。「来年の神戸で7連覇をしたい」と話した上で、神戸大会に向けてこんなメッセージを送った。

「みなさんがスタジアムに来ることを本当に願っています。陸上競技が好きで、走り幅跳びを見たい人。そして、とてつもないジャンプを見たいなら、絶対にチケットを手に入れてください」

義足の選手が健常者の記録に近づくにつれ、道具に対する批判が高まり、なかには「テクニカル・ドーピング」と言う人もいる。
しかし、義足があれば8メートル超えが容易なわけでは決してない。現にそのジャンプを安定的に出せる義足のアスリートはレーム以外に存在しないのだ。パラアスリートがオリンピック選手の記録を超えた時、世界の人々のパラスポーツを見る目は変わるだろう。歴史的瞬間の日は、いつ来てもおかしくない。