2009年にオリからドラ4指名…前田祐二さんは中学で野球を始めた プロ野球選手になるには何が必要なのか? 幼いころからチ…

2009年にオリからドラ4指名…前田祐二さんは中学で野球を始めた

 プロ野球選手になるには何が必要なのか? 幼いころからチームの主力、甲子園や強豪大学で活躍する――。そうした“野球エリート”の過程を踏まずプロ入りを果たしたのが、2009年ドラフト4位でオリックスに入団した前田祐二さん。現在は「前田ベースボールアカデミー」、オンライン動画指導「前田’s ムービーレッスン」を立ち上げて少年、少女の育成に力を注いでいる。「誰よりも野球が下手だった」と語る男がいかにして“夢”を掴んだのか。前後編に分けてお届けする。

 前田さんはBCリーグ「福井ミラクルエレファンツ」に所属していた2009年にオリックスからドラフト4位指名を受け入団。史上初めてBCリーグから支配下選手としてドラフト指名を受けた選手として注目を集めた。プロ入り後は先発、中継ぎとして通算61試合に登板し7勝7敗、4ホールド、防御率2.98の成績を残し、2015年に現役を引退した。

 現役時代は最速148キロの直球にスライダー、カーブ、チェンジアップなど多彩な変化球を操る左腕だったが、意外にも「野球を始めたのは中学生から。体も細くて、ルールもほとんど知らない。一番下手くそでした」と振り返る。現在は指導者として子どもたちと触れ合う機会が多く「大丈夫だよ。僕よりは皆、野球が上手いから」と答えるのが“お決まり”になっているという。

 小学時代は4歳上の兄のキャッチボール相手を務めていたが、集団スポーツに馴染めず卓球部に所属。大阪・藤井寺中学では「絶対にやると決めていた」と、意を決して軟式野球部に入部するもレベルの違いに戸惑った。周りは小学生から野球を続けてきた選手ばかり。野球のルールも知らず、外野フライもまともに取れない状況だった。

監督の一言で外野手から投手に転向も「捕手の返球の方が速い」

「打てない、守れない、ルールを知らない。3拍子揃った新入部員でしたから、周りからは『なんだこいつ?』ってなるのは当然だった。今で言う軽いイジメ的な、邪魔者扱いを受けていた。始めの1か月は楽しくはなかったですね」

 当時はイチローに憧れて右翼のポジションに就いていたが「当時の監督から『投手をやってみないか?』と言われたのが転機でした」。左投左打。投げることは得意だった前田さんは、投手に転向したことで初めて野球の楽しさを知った。

 外野手を早々に諦め、入部から2か月後の6月から投手練習に参加。「今考えると古典的な練習で回数も異常でしたが毎日、楽しかった。苦に思ったことは一度もなかったです」。毎日欠かさず長距離、短距離のランニングメニューをこなし、ノルマだった400回~500回の腹筋、背筋も必死に食らいついた。

 投手を始めた頃は「捕手からの返球の方が速い」と揶揄されていたが、半年後には試合のマウンドに立っていた。最速90キロだった直球は中学3年を迎える頃には132キロまでアップしていた。「特別なことはしてません。練習を疎かにせず土台ができた結果。続けることの大切さを学びました」。

 進学の際は野球推薦は頭になく、地元の公立・富田林高校を選んだ。激戦区の大阪。甲子園やプロ野球への思いはあくまでも夢の話。一番下手だった野球少年は努力を続け成長したが、高校入学時はまだ“普通の左腕”として純粋に野球を楽しむだけだった。(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)