駒澤大学陸上競技部 藤田敦史・新監督インタビュー 前編(全3回) 2022−2023年シーズンの大学駅伝で圧倒的な強さを誇ったのが駒澤大だった。今年1月の箱根駅伝で8回目の総合優勝を果たし、史上5校目の学生駅伝三冠(出雲駅伝、全日本大学駅伝…
駒澤大学陸上競技部
藤田敦史・新監督インタビュー 前編(全3回)
2022−2023年シーズンの大学駅伝で圧倒的な強さを誇ったのが駒澤大だった。今年1月の箱根駅伝で8回目の総合優勝を果たし、史上5校目の学生駅伝三冠(出雲駅伝、全日本大学駅伝、箱根駅伝)を成し遂げた。
そして、昨年度限りで、28年間に渡って駒澤大の指揮をとってきた名将・大八木弘明監督(現・総監督、1995年からコーチ、2002年から助監督、2004年から監督)が勇退。ヘッドコーチを務めていた藤田敦史氏へと最強のチームを引き継いだ。
平成から令和へ、年号が変わっても強豪校であり続ける駒澤大を率いることへの思いを藤田監督に聞いた。
駒澤大玉川キャンパスでインタビューに応じた藤田敦史監督
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「正直、プレッシャーしかないですよ......」
ーー藤田監督が、大八木氏から正式に監督就任を打診されたのはいつだったのでしょうか?
藤田敦史(以下、同) 正式っていうわけではないのですが、昨年の12月30日くらいに「おそらく来年はやらないから、頭に入れておきなさい」ということを切り出されました。
ーーそんなにも箱根駅伝の直前だったのですね。
もちろん、その前からなんとなく感じていた部分はありました。というのも、大学スポーツは4年間で選手が入れ替わっていくのでスカウト活動をやっていかないといけないんですけど、この1、2年は「お前がやりなさい」と言われていましたから。
つまりは、お前が(選手たちを)指導するんだからなっていうことを意味していたと思います。なんとなく、「そろそろ......」という感じのことは言われていたので、心の準備はもちろんしていました。
正式には1月3日の優勝会見の場ですよ! 司会のアナウンサーの方から大八木が、箱根駅伝100回大会に向けて問われた時です。もしかしたらこの場で言っちゃうのかなと思っていたら、言っちゃったみたいな(笑)。本当に、正式に聞いたのはあの場でしたね。
ーー駒澤大としては初めての学生駅伝三冠を成し遂げた直後です。チームの不振で指揮官が代わるケースのほうが多いですが、そうではありません。このタイミングで監督に就任することはどのように受け止めているのでしょうか?
いや、正直、プレッシャーしかないですよ......。強いチームを引き継ぐっていうこともそうですし、ここまで28年間、大八木が築き上げてきたものを、私なんかが引き継いでいいのかどうか、自分のなかで葛藤がありましたし、それは今でもあります。はたして自分がやっていけるのか、不安はあります。
ただ、子どもたちは子どもたちで、一生懸命やることに変わりはないですから、指揮官が不安がっていたら、子どもたちはもっと不安になってしまう。そういうことを思い返した時に、その不安は「やるしかない」という覚悟に変わりました。
●舵取りひとつで結果が変わる責任
ーー藤田監督も、大八木氏と同じように、"子どもたち"という言葉を使われているのですね。
大八木はずっと、学生を自分の子どもだと思って接してきました。地方から出てきた学生にとって、東京では我々が親代わりですから。何かあれば、親身になりますし、何よりも4年間かけて育てるということを念頭に置いて接するのは大事かなと思います。我々は、プロチームではないですから。
ーー監督とコーチとでは、どんな点が大きく変わりましたか?
まったく違いますよ! コーチというは、指揮官が舵(かじ)をとる際に、それがスムーズにいくように補佐をしたり、水面下でいろんな調整をしたりという役割だと思うんです。これまでの私は、大八木の方針、つまり舵取りのタイミングや方向などを一番に理解し、それをうまく噛み砕いて、学生たちに伝達する役割が大きかったんです。
監督になると、舵をどっちの方向に切るかという判断を、毎日のように、その瞬間瞬間で決断していかなければなりません。自分の舵取りひとつで子どもたちの結果が変わっていくわけで、その責任を背負うことになります。監督になってまだ数カ月ですけど、その責任の重さを痛感しているところです。
ーー大八木氏は総監督という肩書になりました。
今年2月くらいからは私が全体のメニューをつくり、鈴木芽吹(4年)、篠原倖太朗(3年)、佐藤圭汰(2年)の3人とOBの田澤廉(現・トヨタ自動車)は、大八木がメニューをつくっています。
3人はほとんど個別メニューですが、全体の練習と似通っている時は一緒にやることもあります。この間、事前に話し合っていたわけではないんですけど、まさに同じメニューでした(笑)。私のなかに、染みついているものがあるんでしょうね。
私はまだまだ新米の監督ですので、あれだけの実績を残した大八木がいてくれるのは心強い部分がありますね。何かあった時に相談できる存在がいるのは、非常にありがたい。
現場は私が見ていますが、大八木の意向を伺いつつ、私の考えとつき合わせて、チームとしての方向性を決めています。それをコーチ陣にも理解してもらって、指導に当たっています。
●自転車で1日80km、引き継いだ現場主義
ーー大八木氏のやり方を踏襲していく部分ももちろんあると思いますが、一方で藤田監督のカラーはどんな点で打ち出していこうと考えていますか?
極端なことを言えば、現状では、あまり変える必要がないのかなと思っています。大八木がつくってきたこの組織は、ある程度完成形という状況まできていますから。
ただ、大八木はあれだけの実績とカリスマ性を備えた指揮官だったので、大八木と同じことを私が言っても、子どもたちへの響き方は違うと思うんですよ。同じ言葉でも、大八木から言われるのと私から言われるのとでは全然違うと思うので、そこの部分は気を遣っています。
私の場合は、子どもたちとしっかりコミュニケーションをとって、どういう方向性でやっていくのがいいのかを話し合ったうえで、進めていくというやり方をしています。今、それがうまくいっているのかなと思っています。
ーー以前は大八木氏の妻である京子さんが調理師として食事の面を支えており、それが駒澤大陸上競技部の特色にもなっていました。現在は食事の面はどうされていますか?
食事はアスリートにとって本当に大事です。京子さんも3月いっぱいで調理師を勇退されましたが、京子さんと一緒に食事をつくっていた管理栄養士の方が引き続き残ってくださっています。あとは、業者を入れて、今までとあまり変わらないような形で食事を提供できるようにしています。
今は、食事の面を業者に委託している大学は多いと思います。監督に就任する際に、大八木からは「今は家庭の犠牲のうえで成り立つような形は続かない。そこは変えていったほうがいい」と言われました。
やっぱり今はSDGsが叫ばれていますが、チーム運営も持続可能な形にしていかないと、私はよくても、次に監督になる人間が大変になってしまいますからね。大八木のその言葉は大きかったですし、私も監督に就任するにあたって気持ちが少しラクになりました。
ーー監督になっても、30㎞走などの練習では、自転車で付き添っているのでしょうか?
やっていますよ。大八木も、ずっとやっていましたから。「ちょっときつくなってきたから、お前が行ってくれ」と言われたのは、ここ数年のことですよ。自分の体が動くうちは、自分の目で見て指導に当たることが大事だと思いますし、それで子どもたちが頑張れるのであれば、それに越したことはありません。大八木もずっと現場主義でしたからね。
授業の関係で1日2回に分けて30㎞走を行なうことがあるのですが、グラウンドから5㎞先にスタート地点があるので、その往復も合わせると1回40㎞も自転車をこぐことになります。それを2回ですからね......。しかも、給水や選手の荷物もあるので、かご付きのママチャリで行くことになる。夜は(疲労で)起きていられないですよ。
自転車もすぐにガタがきてしまいます。修理に持っていくと「この自転車でこんなに距離を乗った人、初めて見ました」と言われる始末です。そりゃあ、そうですよね(笑)。
インタビュー中編<
「怒られるのを覚悟で大八木(弘明)監督の部屋を訪ねました...」 駒澤大・藤田敦史新監督が見た28年間での名将の変化とカリスマ性>
【プロフィール】
藤田敦史 ふじた・あつし
1976年、福島県生まれ。清陵情報高卒業後、1995年に駒澤大に入学。前監督の大八木弘明(現・総監督)の指導の下、4年連続で箱根駅伝に出場。4年時には箱根4区の区間新記録を樹立。1999年に富士通に入社し、2000年の福岡国際マラソンで当時の日本記録をマーク。世界選手権にも2回(1999年セリビア大会、2001年エドモントン大会)出場。現役引退後は、富士通コーチを経て、2015年から8年間、駒澤大のヘッドコーチを務める。2023年4月、駒澤大監督に就任。