飯田哲也さんは1991年から7年連続GG賞…野村監督のコンバートが名手を生んだ 現役時代に走攻守3拍子揃った外野手として…

飯田哲也さんは1991年から7年連続GG賞…野村監督のコンバートが名手を生んだ

 現役時代に走攻守3拍子揃った外野手として活躍した飯田哲也さん。ゴールデングラブ賞を7度受賞した守備力は圧倒的で、1990年代に黄金時代を築いた“野村ヤクルト”に欠かせぬ存在だった。捕手として入団し、野村克也監督により二塁、外野へとコンバートされ才能を開花させたが、守備ではどんな努力をしていたのだろうか。

 飯田さんは中学まで投手や遊撃手を務め、千葉・拓大紅陵高に入学して外野へ。1年秋から左翼のレギュラーを掴んだ。2年秋にはチーム事情から捕手へ。高3時の1986年に春夏連続で甲子園に出場するなど強肩捕手として鳴らし、同年のドラフト4位でヤクルトに指名され、入団した。ただ、「プロで捕手ができるとは思っていなかった。やっていましたけど」。キャリアも浅かった捕手というポジションに“違和感”を抱いていた。

 転機は1990年に野村克也さんが監督に就任したこと。同年は主に二塁を務め、翌1991年には外野にコンバートされた。これがはまり、まさに水を得た魚のような活躍。同年から7年連続でゴールデングラブ賞を受賞した。「外野にはすんなり入れました。最初から全く問題はなかったです」。まさに適材適所のコンバートだったが、練習では工夫を凝らしていた。

「とにかく、打球はずっと追いかけていました」。ノックで打球を受ける練習だけではない。フリー打撃で守備に就き、生きた打球を受けることに努めた。春季キャンプなどでは同僚選手の特打に付き合い、ずっと外野の守備に就いてボールを追ったという。

「ノックの打球も捕りましたが、上達するのは(実際の)打球ですね。全然違います」と説明する。素直な打球のノックとは異なり、生きた打球は伸びたり、急失速して手前に落ちたり……。そうしたボールをひたすら追ったという。

自分の考えで前進守備…日本シリーズで歴史的プレーを演じた

 自分の感覚・考えも大事にした。飯田さんの伝説のプレーとしてよく取り上げられるのが1993年の西武との日本シリーズ第4戦。1点リードの8回2死一、二塁で西武・鈴木健が放ったヒットをつかむと本塁へ矢のような送球を繰り出し、アウトにした。ベンチからの指示を「見て見ぬふり」をして前進守備を敷いてピンチを防いだ。「西武の投手陣はいいので追いつかれたらもう駄目だと。勝手に前に行っちゃいました」と振り返る。

 こうした感覚は現在の選手も養ってほしいと語る。現にソフトバンクでファームのコーチをしていた時は、監督の了解を得た上で守備位置に関する指示を選手に出さなかったこともある。「選手には考える習慣を身につけてほしい。考える力が備わるとバッティングに生きるし、将来指導者になった時もいきます」と力説する。

 考える面白さを知ったのは高校での捕手時代。相手打者との駆け引きは楽しかったという。「騙し合いじゃないですが、(相手が)何を狙っているのかとか、色々考えるようになりました。自分なりに考えながら……楽しかったですね」。こうした土壌があったから“野村ID野球”もすんなり頭に入って来た。

 現在、非常勤コーチを務める拓大紅陵の選手たちにもことあるごとに「考えなさい」と伝える。「守備でも走塁でも打撃でも考えたら答えが出てくる。その習慣付けをしてほしい」。感覚派でもあり、その裏では様々な思いを巡らせていた。才能に工夫や考える力が結びつき、スーパー外野手が生まれた。(片倉尚文 / Naofumi Katakura)